12月28日(火) 南京に行く 今日は上海を飛び出して南京に行くのだ!! 新幹線に乗って南京まで、ということで朝からバタバタ。 上海駅なり。国慶節の頃に比べると、駅前の人も少ない。 南京までは高速鉄道で。中国では普通席にちょっとお金を足したらグリーン車になるけん、グリーン車にしようと思ったんじゃけど満席だった。そういうことで普通席。(中国語で「二等座」、二等席なのね。) 上海と南京の距離は約300キロ。東京から名古屋が約366キロじゃけん、ずいぶん来たのね~。 切符は普通席で146元(約1820円)で行けちゃう。ちなみに1時間15分くらいで来れた。 ちなみに日本で指定席の新幹線で東京から名古屋に行ったら10780円なのね…。 南京は中華民国の時代に臨時政府の首都が置かれとったこともあって、結構な都会。 地下鉄も通ってるのね。1号線と2号線。都だったこともあって、駅名で北京と同じようなんがいっぱい。 南京駅から新街口駅まで行く。ちなみに新街口という駅は北京にもあるんよ。 新街口広場の中心には中華民国初代臨時大統領、孫文の像が。 ここ南京には孫文のお墓である「中山陵」があるんだよ。 南京に来た目的でもある、南京大虐殺記念館へ向かった。 中国語での正式名称は「侵华日军南京大屠杀遇难同胞纪念馆(侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館)」。 日本語的に表現するなら「中国侵略日本軍南京大虐殺遭難同胞記念館」というところ。 記念館の前にはこういう像が大量に並んどって、下には中国語と英語で文章が書いてある。 恶魔的飞机又来轰炸了……
失去双亲的孤儿, 在禽兽的杀声里 在尸横遍地的巷道里 在已经麻木了的惊吓于恐惧里…… The devils have sent the bombers again... The poor orphans, Frightened by the vicious laugh of the brutal devils, Terrified by the corpses piling up in the alley, Have lapsed into numbness... 日本語だと、 悪魔の飛行機がまた爆撃をしに来た…… 両親を亡くした孤児たちは、 獣の恐ろしい叫び声の中で 死体の横たわった路地の中で 麻痺してしまったショックと恐怖の中で…… 至る所にこのような文字が。30万人というのは、 発掘しようたら人骨が出てきた、というエリア。 これを撮ったら警備員さんに写真撮っちゃいけん、と怒られた。撮影禁止なのね。 南京大虐殺というものがあったんか、なかったんか、ということに関しては、「きっとあった」んだと思う。 じゃけどこの記念館に展示してあるもの全てを信じることはできん。 例えば30万人という数字はほんまじゃろうか。数週間の間に30万人って殺せるんか? 倉敷市の人口が47万人。倉敷の半分以上の人をすぐにはすぐは殺せんじゃろう。 それに当時の南京の人口は25万人にも満たんかった、と言われとる。(人口以上は殺せない) こういう歴史だからこそ、中国側だってもっと真剣に、きちんと調査する必要があると思う。 こんなことを言うたらいけんのんかもしれんけど、胡散臭い。じゃけど、ほんまの感想なんじゃけん仕様がない。 僕は今晩の飛行機で北京に帰るけん、南京から上海にバーッと帰ってくる。 晩ご飯の時間になっとったけん、前回も上海で食べた「吴江路(呉江路)」の「小杨生煎(小楊生煎)」にやって来る。 そして「生煎」と一緒にまたまた串焼きの「西北郎(西北郎)」にやって来た。 串焼きも大量に頼んで、福岡君、吉田君との最後の夕食。寂しいなあと思いつつも、楽しくお喋りしながら食べる。 食後にプリンのお店に来た。(ここも上海のお友達、施さんが前回連れてきてくれたとこ) もう二人が喜んじゃって、もう一つ買ってきて良いですか?だって。ぷぷぷー、でも気に入ってくれたなら嬉しいのだ。 そして、その後「南京西路站(南京西路駅)」でお別れ。 僕は空港の方面で、後輩たちはその逆の方向へ。また日本で会うで!!と言って、別々の電車に。 突然一人になってものすご寂しいーーーーー!!でも、また会えるのだ。元気での!!僕も北京で頑張るよ!! |
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