BOBOYORU.NET

The time is gone, the song is over, thought I'd something more to say.

42ページ目 (112ページ中)

最後のお別れ

いろいろな事情があって、ふと私の弟2人が実家のある岡山に帰っている。今日は祖父母宅に集まってワイワイしたらしく、私も帰宅してからオンラインで参加した。

正直、このタイミングで家族が集まる機会ができたことに心底ホッとしていた。気になっていたのが今週月曜日に亡くなった親戚のおばさんのこと。祖父の姉にあたる人で、亡くなってから祖父がかなり落ち込んでいると聞いていた。そりゃあそうだろう、私だって自分の兄弟が「もしそうなったら」耐えられないだろうなあ。だから孫が帰ってきて賑やかになれば、落ち込む祖父にとって少しでも励みになると思ったのだ。

ビデオ通話で弟と会話をしていると「明日、大阪に行く」と言う。どうやら明日(土曜日)大阪でおばさんの葬式があり、急遽弟が祖父母を連れて行ってあげる話になったようだ。

祖父は散歩が日課で、数キロくらいなら平気で歩くほど元気。判断力もしっかりしている。ただ、ここ数年で耳の聞こえが悪くなった。大阪くらいなら体力的に全く問題ないが、ただ「耳の聞こえ」を心配し1人で(乃至、祖母と2人で)行くことは半ば諦めていたのだろう。本当は行きたくて行きたくてしようがないのに。それを見かねた弟が、自分が大阪まで連れて行くことを申し出たようだ。

ビデオ通話をする弟の脇から祖母が「おじいちゃん、もう、それはそれは喜んでいるよ」と割って入る。しかし映像に祖父の姿が見えない。どうしたのかと聞くと、さっそく自室で大阪行きの準備をしているのだと言う。そうだね、喪服に数珠に、香典だって用意しなくちゃいけない。

弟たちと話していると祖父が部屋に入ってくるのが見えたので、私からも「気をつけて行ってきて。大阪のおばさんも最後のお別れができること、きっと喜んでいるよ」と伝えた。すると祖父が我慢できず泣き出したので、思わず驚いてしまった。祖父が泣いた顔なんて見たことがなかったからだ。曰く、姉が亡くなってここ4日ほど気が塞いでいたらしい。葬式に参列できることが本当にうれしそうで、私も画面越しに泣けてきてしまった。

人が亡くなっているのに「良かった」というのは憚られるけど、弟たちの帰省の時期がちょうど重なって本当に良かった。そして弟の提案にも感謝。急遽、大阪行きが決まった祖父母と弟に私からも少しカンパした。強行軍かもしれないけど、心おきなくお別れをしてきてほしい。

コスパのいい蘭州牛肉麺

今日も今日とて昼食を食べに会社近くの蘭州牛肉麺屋に行った。

ここの蘭州牛肉麺は15元(約300円)だが、1つ上の上質版だという“优质拉面”でも20元(約400円)。目玉焼きが載っているのと牛肉が気持ち多い以外は何が上質なのかよく分からないが、たった5元で贅沢な気持ちになれるなら……と思って、いつもこちらを注文している。

そして麺の奥に見えるのが“凉菜”。“凉菜”は辞書で引くと「前菜」と説明していることが多いけど、うーん、前菜じゃないんだよなあ。むしろサラダとか漬物といった呼び方の方が合っているかもしれない。ここの“凉菜”は皿からこぼれんばかりに盛られ大変ボリューミー。上に見えるのは“凉拌土豆丝”だけど、その下には“凉拌黄瓜木耳”も入っている。これでたったの5元(約100円)。

大変コスパがいいので、毎日満員御礼だ。今や中国もモノによっては日本と変わらない物価になっているし、こんなに安くてお店の皆さんは食べていけるのだろうかと心配になってしまう。いや、余計なお世話だね。いつもおいしいごはんをありがとうございます。

さらぬ別れのありといへば

母親から親戚が亡くなったと連絡を受けた。

その親戚は祖父の姉にあたる方で、大阪に住んでいたので「大阪のおばさん」と記憶していた。私も小さい頃に家におじゃましたことがあるし、最近だと4年半前に祖父母を連れて行ってあげたのを覚えている。たった4年半前だが、そのときはかくしゃくとして元気だった。いつもプールに行って運動をし、笑顔で「年の割には元気」と話していたのになあ。去年から体調を悪くして入院していたそう。加えて旦那さんと揃って認知症だったとか。

思えば、認知症とは残酷だ。祖父にしてみれば、目の前にいるのは紛れもない自分の姉なのに、自分のことを分からなくなっているのだ。高齢になって周りの人が亡くなっていく中、祖父にとっておばさんはたくさんの思い出を共有する大切な存在だっただろう。なのに記憶をなくせば赤の他人も同然になってしまう。私だったら寂しくて、とても耐えられないかもしれない。

そんなおばさんが今日亡くなったとのこと。コロナ禍だったという事情はあるものの、もっと祖父母を大阪に会いに連れて行ってあげればよかったなあと悔やむ。而立の年を過ぎて、こうした別れを経験する機会が増えた気がする。中国にいて難しいのは百も承知だが、幸い今も元気な祖父母を始め、お世話になった人たちとは少なくとも自分が後悔しないような付き合い方をしていたい。

流浪气球

ここ数日、ニュースを賑わせているアメリカによる中国の気球撃墜。今日、共産党系メディアとして知られる『環球時報』を見ると、おもしろい見出しだった。

中方抗议美击落“流浪气球”(中国はアメリカによる「さまよえる気球」撃墜に抗議した)

環球時報(2月6日付)より

おもしろいのは気球を“流浪气球”(さまよえる気球)と表現している点。

これを見てピンときた方は中国のエンターテインメントに通じている方だろう。中国で2019年に大ヒットした映画のタイトル《流浪地球》(邦題『流転の地球』)をもじったんだなあ。

流浪”というのは日本語の「流浪」と同じで「さまよう」という意味がある。だから日本語タイトルも『流転の地球』より『流浪の地球』や『さまよえる地球』のほうがよかった(分かりやすかった)んじゃないかと個人的には思っている。

この《流浪地球》、私も見た。ちょうど2019年に北京に出張する機会があり、仕事が終わってから映画館に見に行ったのだ。中国のSF特撮技術がハリウッドに追いついた!だったか、ずいぶん大げさな宣伝だったのを覚えている。とはいえカメラワークが理由か、何だかゲーム画面を見ているようだった。あとこれは「中国あるある」だが、内容がてんこ盛りで展開が早すぎて着いていけない。親子の愛みたいな「お涙頂戴」のシーンも全然共感できないし、プロパガンダなのか、ところどころで「中国!」を主張しすぎて一気に冷めてしまう。

とまあつらつらとコメントしたが、要するに私個人はそこまでの出来に感じなかった。そんな数年前の映画タイトルをなぜ今更もじるかというと、ちょうど今《流浪地球2》が公開中なのだ。ちょうど春節の連休前に公開され、私の周りでも「見た」という中国人が結構いる。

正直あんまり期待していないが、まあせっかく中国にいるんだし見に行ってもいいかも。

すしだすし!

北京は亮馬橋にある「魚清」に行く。北京在住の日本人には有名な鮮魚店だ。

日本にいた頃はスーパーの食料品が半額になるころを見計らって刺身を買いに行き、それで1杯(……いや、1杯では済まないが)やるのが好きだった。もともと日本ほど海鮮を食す文化がない北京では、そこらのスーパーに刺身は売っていない。日本料理店や日系のスーパーに行けば売っているが、私が日本で気軽に食べていた「半額」の感覚で購入するのは難しいだろう。

とは言え、たまーにどうしても食べたくなるのは自分も日本人だから?職場の上司が「魚清」ならおいしい海鮮を売っていると教えてくれたため、行ってみた。

イートインエリアもあって食事をすることもできる。ちょうどお昼だったので食事をいただいた。後日上司に聞くと、週末はずいぶん待つこともあるようで、すんなり座ることができた私たちはどうやらラッキーだったらしい。確かに客が引っ切りなしに訪れていた。

隣は日本人、それもサラリーマン駐在員というよりご自身で経営していらっしゃるのかな?と思わしき、中年の男性2人が酒盛りをしていた。どうやら居酒屋のように利用することもできるようだ。卓上にはおいしそうな小鉢料理やミニカセットコンロで作る鍋が並び、日本酒を飲みながら盛り上がっていた。いいなあ、昼から飲んで楽しそうだ。

サーモンの握りに鉄火巻。

マグロとたこの握り。のっほほほほ*1、どれもうまいっす。北京に来て数か月、こんなおいしい魚を食べたのは初めて。それに職人が手で握ったふんわりしたシャリがまたうまい。こういう「本物の寿司」ってご飯が少なめで、いつも底なしの食欲におそわれる。

このほか鉄火丼をいただいた。とにかくマグロが食べたくてしようがなかったのだ。

中国人はサーモンがほんっっとに好き。もともと刺身を売るスーパーが少ない北京だが、もし売っているとすれば、まずサーモンの刺身だろう。家の近所のショッピングモールにある寿司屋も、店頭に並ぶのはほぼ「サーモンオンリー」。中国人の口に合うのかなあ。いや、私もサーモンは好きだね。けど、ここまでサーモンを推されるとマグロだって食べたくなるものだ。いやー、おいしい。マグロって冷凍・解凍を繰り返すとパッサパサになるけど、これはプリプリで新鮮。幸せ~。

鉄火丼を食していると、店員が立派な刺し盛りを運んでいた。そういえばメニューに刺身の項目は無かった気がするけど?その刺身盛りがあまりに立派だったので、思わず私が「わあ」と言ったら「刺身はあっちから取ってきてください」と言う。

店員が「あっち」というのは、店内にある物販エリアのことだ。食事後にのぞきに行くと冷蔵庫の中にたくさんの魚介類が並んでいた。もちろん自宅用に買って帰られるし、イートインエリアに持って行くと調理してくれるそう。例えば複数の刺身を持って行けば、板前さんがきれいにさばいて刺し盛りにして出してくれる。

物販エリアにはほかにも日本から輸入した調味料や米、冷凍食品、カップラーメンなどさまざまな商品が並んでいた。日本酒や焼酎など、日本の酒類も豊富。やはり値は少々張るけど、必要なときにすぐ手に入るのは助かりそう。

芋焼酎のさつま白波を購入。鹿児島県での勤務経験がある妻から焼酎がほしいとせっつかれていたのだ。さて、喜んでもらえただろうか。

References
*1おいしいと、つい笑ってしまう癖が。

「聞かれていない」と思う油断

今日は午前中に髪を切りに行ってきた。

いつも日本人スタイリストがいるヘアサロンというか美容院に通っているのだが、切ってもらったのは例によって今日も中国人スタイリストだった。予約のときに日本人スタイリストが空いているか聞くのだが、毎回うまっているのだ。当初は日本人に切ってほしくて通い出したんだけど、中国人スタイリストのほうが料金が安いし最近はこれでもいいかなと思うようになった。

さすが日本人スタイリストがいる美容院だけあって日本人の客がひっきりなしに訪れる。日本人と中国人は同じアジア人でも、服装や仕草ですぐに区別が付くから不思議(^^)。

ちなみに今日一緒になった日本人の客はスタイリストと結構大きめの声で話すので、会話の内容が丸わかりだった。こうして異国にいると日本語で話しても周りの人が聞き取れないので、ついつい声が大きくなる人が多い気がする。そもそも中国という国自体、声の大きい人が多いからね。ここが日本人スタイリストのいる美容院で日本人客も多いことを忘れちゃっているんだろうな。

しかし、こういうのは結構気をつけたほうがいいと思う。中国って日本語を解する人が結構いるし、「ネガティブ」なことを話している雰囲気って、その言語が分からなくても何となく通じてしまうものなのだ。これまで中国の人を怒らせかねないセンシティブな会話を日本語でワーワーする人を今まで幾度となく見て来たが、私まで何だか「いや~」な気分になってしまう。ま、それを言ったら日本国内で中国人同士が中国語で悪口を言い合うのも何度も見たけどね。

土曜日だけど午後から出勤。一仕事を終えて、夜は晩酌しました。

節分

きょうは2月3日で節分。

節分といえば、近年すっかりおなじみになった恵方巻。もともとは大阪の海苔業者が広めたもので、昔からの文化ではないなんて言われているが、平成生まれの私は小学生くらいのときにはもう食べていたかなあ。母親が買ってきてくれ、「恵方」を向きながら黙って食べるということは知っていた。期限についていろいろ言う人はいるけど、私に関して言えばすでに結構親しんでいる。

朝、出勤前に「ああ、きょうは節分だなあ。恵方巻だなあ」とボソッと独りごちたら、妻が「食べたい?作れるかな」と言う。いやあ、難しいだろう。北京のそこらのスーパーには海苔や刺身なんて売っていないし、巻き簀といった道具もない。そしたら「ロールケーキを買って恵方巻代わりにする?」と言うので「いや、それでもいいけど、やはり寿司がいいなあ……まあ、北京じゃしようがない」とだけ言い残して、出勤した。

帰宅すると、テーブルの上に恵方巻。あれれ、どうしたのこれ。

私が朝に恵方巻を食べたそうにしていたので日中にイトーヨーカドーに見に行ってくれたらしい。すると果たして売っていたとのこと。へえ、さすが日系スーパーだ。今年の恵方は南南東らしく、太巻きを2人で分けて黙々と食べた。妻にとっては、北京に来て「はじめてのおつかい」だっただろう。その気持ちがありがたい。

ちなみに「いかピーナ」は何?と聞くと、豆まき用の豆とのことでした(^^;)。

大好きな書店

今日は仕事が早めに切り上げられたので、退勤後に書店へ。向かったのは西単の“北京图书大厦”(北京図書大厦)。留学時代は毎週末のように来ていた大型書店だ。

妻が毎日中国語で日記を付け、私がそれを添削する……ということをしているのだが、いつも旅行ガイドブック付属の単語帳で言葉を探そうとする(というより、それしか持っていない)ので「そんなのでは上達しません!」と活を入れるべく日中・中日辞典を購入しに来たのだ。

私が11年前に留学していたときはもっと薄暗い感じがしたけど、きれいに明るく改装されていた。

当時は怪しい人がたくさんいて、「書店のポイントカードを執拗に貸そうとする人」や「客に小物を売りつけようとする人」とか変な人がたくさんいた。このうち小物は私も買わされたことがあって(笑)15元*1くらいの爪切り?を購入した気がする。

立ち読みしている人に近寄ってきて「私は耳が聞こえない者です。あなたの温かい心で手作りの雑貨を買ってやってください」みたいなカードを見せつけてくるのだ。初めて会ったときは私も情けから一度だけ購入したが、その後、何度も同じ手口で売りつける人を大量に見るにつけ、ああ、だまされた……と気付き、それ以降は購入しなくなった。

今やこういう人はいなくなっていた。ただポイントカードを執拗に貸そうとする人は健在(笑)。私が少しでもレジに近付くと寄ってきて「ポイントカード使いますか?最大10%オフですよ」と話しかけてくる。つまり購入する人は他人のカードで安く買え、カードの持ち主はポイントがたまり、ウィンウィンというわけ。ただポイントがたまるとどんな良いことがあるのかは忘れてしまった。

References
*1当時のレートで240円くらいか。

ごはん食べた?

中国語で挨拶の代表選手と言えば“你好”(ニーハオ)だ。中国語を学んだことのない人でも一度は聞いたことのあるフレーズだが、親しい者同士で使うことは滅多にない。日本語でも家族同士で「こんにちは」と言わないのと同じような感じ。よそよそしく、むず痒い感じがする。

中国語の教科書にはよく「中国人は挨拶代わりに“吃饭了吗?”(ごはん食べた?)と言う」という説明が書かれている。正直、中国語を学び始めたばかりの頃は「ほんと~!?そんな人、見たことないー」と感じたものだ。それに11年前の留学時代もそんな挨拶をされた覚えはない。

それが、今、北京で働くようになって……「ごはん食べた?」と挨拶してくる人がいるのだ。

いつも職場のお掃除をしに来てくれる女性の方。日本語ペラペラな他の中国人スタッフと違い、中国語しか話せない方で、まさに“老百姓*1なので、一般の中国人はどんなことを考えているのかなあということを知りたくて、中国語の練習も兼ねてよくお喋りをしている。

この方、いつも昼に会うと「ごはん食べた?」と聞いてくる。当初は、中国に来たばかりの私が何を食べたか気になるのかなあと思い「今日は牛肉麺を食べたよ」とか「これからデリバリーを頼む」なんて答えていたのだが、あまりに毎回聞いてくるので最近は「これ……私が何を食べたのかは別にどうでもよくて(笑)ただの挨拶なのでは」と考えるようになった。

日本語にもそういう挨拶はある。日本人がよく使う「お疲れさまです」……本当に疲れているかどうかは問題ではなく「どうも」くらいの意味なので、人に言われて「え……私、今日は別に疲れていないけど」と返す人はいない。「お疲れさまです」と言われば「お疲れさまです」と返せばいい。だから中国語でも「ごはん食べた?」と聞かれれば「食べたよー、君は?」程度で構わないわけだ。

けど私はいつも「今日は麺を食べたよー。行ったのは○○の店で……」といろいろ答えるようにしている。そのほうが話が広がるのだ。相手も「○○に行ったの!?あそこよりアッチのほうがいいよ」なんて教えてくれる。

そして今日は私も「ごはん食べた?」デビューをしてみた。これまた中国語しか話せない中国人スタッフに「ごはん食べた?」と聞くと「食べたよー、これから食後のお茶を入れるところ」と返してくれた。すると、そこから「どこのお茶?」「アルゼンチン」「へー!アルゼンチンのお茶!」なんて話が続いて盛り上がった。なるほど、これが「ごはん食べた?」の醍醐味かあ。

けど、この挨拶。昼時にしか使えないのが残念だ(^^;)。

References
*1老百姓”というのは「庶民」とか「一般の人」という意味。日本語的には「年老いた農民」と読めそうだが、中国語では全く違う意味だ。

妻のケータイ番号を入手する

今日は日曜日だけど、昨日に引き続き中国では「振替出勤日」。

ただ昨日があんな感じだったので*1今日はお休みをいただくことに。午前中はのんびり過ごし、昼から妻のケータイ番号を入手すべくチャイナ・ユニコム(“中国联通”)の販売店に行った。

このブログで何度も書いているように、今の中国で生活をしようとしたらスマートフォン無しではなりたたない。料金の支払いは「ほとんど」スマホ決済と言っていい状況だし、飲食店に入って注文するのだってスマホアプリからなのだ。さらにアプリの利用には中国国内の電話番号を入力しなくてはならない場合も多く、とても排他的な仕組みになっている。

妻が来てから最も面倒だったのが公共交通機関の利用。例えば地下鉄の場合、乗車用のスマホアプリがあれば改札をそのまま通れるが、中国国内の電話番号を持たない妻はアプリを利用できない。そこで自動券売機で乗車券を買おうとすると「中国公民の身分証*2番号を入力してください」と表示され、外国人は買えない仕様なのだ。有人の窓口に行くと駅員が面倒そうな顔をして「自動券売機で買えばいいでしょ」と言う。私が「外国人だから」と返して、そこで初めて買うことができる。これを乗車のたびに繰り返すのだ。中国語の話せない外国人が旅行で来たらどうするのだろう。こうした排他性は3年間のコロナ禍でより強まった気がする。

兎にも角にも、電話番号がなければ始まらないのだ。

三里屯にあるチャイナ・ユニコムの販売店を訪問。先客が2人いて、店員はこちらを一瞥して「次に案内するのでかけてお待ちください」と言う。ずいぶん待つことも覚悟したが、意外とすぐ案内してもらった。手続きはスムーズで、パスポートを見せて料金プランを選び、提示されたケータイ番号のなかから自分の好きなものを選べば完了。15分ほどで終わったような気がする。

契約したのは1か月68元(約1300円)のプラン。中国国内20GBの通信容量と、300分の通話時間がセットになっている。例によってGoogleやLINEといったサービスにはアクセスできないけれど*3、まあ、それはしようがない。

場所を移してカフェでお茶をしながらAlipay(“支付宝”)*4などを初期設定。入手したばかりのケータイ番号でログインして、私の銀行口座と紐付けて……と、ずいぶん面倒だったが、なんとか完了。晴れて妻も私なしで料金の支払いや公共交通機関の利用ができるようになった。

中国に生活していてもこんな調子なのだ。旅行で訪れた短期滞在者はどうしろと言うのだろう。確かに何でもスマホ決済で済むのは便利だ。けれど日本では間違いなく「高齢者や外国人が困る」と反対の声があがるだろう。便利ならそれで良いと考える中国と、全ての人が困らない環境を!と考える日本。いろんな意味で、よっぽど中国の方が資本主義だし、日本の方が社会主義みたいになっているとつくづく感じる。

References
*1ほとんどの中国人スタッフは休みを取っていたし、そもそも日曜日なので東京から仕事の連絡もほぼなかった。
*2中国では国民ひとりひとりが全員「身分証」を持っている。日本でいうマイナンバーカードみたいな仕様で、さまざまな場面で提示が求められることがある。
*3中国政府によるインターネット検閲によって、中国ではGoogleを始め、TwitterやFacebookというサービスにはアクセスできない。また日本で当然のように利用しているLINEも使うことができない。もし利用したい場合は「VPN」といったサービスを利用して「壁越え」をすることになる。
*4日本の「Paypay」に似た、中国のネット通販最大手アリババグループが運営するスマートフォンの決済サービス。
« Older posts Newer posts »

© 2024 BOBOYORU.NET

Theme by Anders Noren上へ ↑