The time is gone, the song is over, thought I'd something more to say.

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你是不是在凡尔赛?

昨日まで行っていた山西省出張での出来事。

同行していた中国人スタッフが「スマートフォンの電池がなくなりそう」と言う。私がモバイルバッテリーを貸してあげようとしたら「あなたのスマートフォンの電池は大丈夫なんですか」と言うので「まだ残量は80%もあるから大丈夫。新しいスマートフォンだから」と冗談交じりに答えると“你是不是在凡尔赛?”(「あなたは『ベルサイユ』しているんですか」)と笑いながら言う。

「“凡尔赛”(ベルサイユ)する」ってどういうこと?「ベルサイユ」自体は言わずと知れたフランスの地名だ。しかしこの場合は明らかに意味が違う。

聞くと、高級感や贅沢な生活をアピールし、自分の優越感をさりげなく誇示することを指す新語らしい。日本語でいう「マウントをとる」といったところだろうか。

漢字が分からないとき

高校時代の友人からツイッターで「中国人は漢字が思い出せないとき(急いでメモを取るときなど)どうしてるの?」と質問をもらった。

実はこういう質問は以前にも受けたことがある。日本人が疑問に思う背景には、おそらく日本語の場合「ひらがな」に逃げることができるからじゃないかな。漢字が思い出せなければ、とりあえずひらがなでメモはできる。ひらがなのない中国語はどうするのか、と。

ちなみに中国語にも「ピンイン」(“拼音”)というものがある。日本語でいうローマ字のように、アルファベットで中国語の発音を表記する方法だ。中国の人がパソコンやスマートフォンで中国語を入力する際は、この「ピンイン」を使う。例えば「中華人民共和国」(“中华人民共和国”)ならピンイン表記は[Zhōnghuá rénmín gònghéguó]になる。アルファベットの上にちょこちょこ付いているのは、発音の高低(声調)を表す記号だ。

だったら漢字が思い出せないときは「ピンイン」を書くの?と思うかもしれないが、それはないようだ。職場の中国人スタッフに聞いてみると「さすがに漢字の羅列にアルファベットは混ぜません」と言う。確かにいくらメモ書きでもアンバランス。さらに「文章の中に『ピンイン』が混じっているのは小学生みたいで恥ずかしいですよ」とも言う。中国語を学び始めたばかりの学習者ならありえるかもしれないが、ネイティブの中国人はそういうことはしないのだろう。

ちなみに台湾では漢字の発音表記に「ピンイン」ではなく「注音符号」という記号を用いる。例えば先ほどの「中華人民共和国」(“中華人民共和國”)なら「ㄓㄨㄥ ㄏㄨㄚˊ ㄖㄣˊ ㄇㄧㄣˊ ㄍㄨㄥˋ ㄏㄜˊ ㄍㄨㄛˊ」と記述する。不思議な記号に見えるかもしれないが台湾では一般的に使われるもので、ひらがなやカタカナと同様、漢字が変化してできた文字だ。台湾の人たちが書いた中国語を見ると、この「注音符号」を混ぜて書いた文章もたまーに見かける。見た目が漢字に近いので、そういう意味では「ピンイン」より漢字との親和性が高いのかもしれない。

で結局、漢字が思い出せないときはどうするのか。

中国人スタッフ曰く「同じ発音の漢字で代替します」とのこと。例えば「キーボード」のことを意味する“键盘”。このうち“”という漢字をド忘れした場合、“见盘”と書く……といった具合だ。“”も“”も発音は[jiàn]で同じだからだ。けど……文章に「ピンイン」が混じっているのは恥ずかしいという割に、これも相当恥ずかしいのではと思うけど(笑)。するとスタッフは「緊急用ですね。人に見せるのはやはり恥ずかしいです」と話す。

その上でスタッフはこうとも教えてくれた。

「今は漢字が思い出せないときは、みんなスマートフォンで変換して調べますよ」。わはは、そうか、確かによく考えれば日本も同じかもしれない(^^;)。

言語の奥深さ

連日の飲み会、最後に控えしは、もともと仕事でつながりができ、今や友人と言える仲になった中国人の女性。同じ業界で働いているが、とにかく「できる」方で、いつも会うたびに刺激をもらっている。

日本語が本当に上手で(いや「上手」という表現も失礼かもしれない)話していると一瞬、中国の方だと忘れてしまうほどだ。彼女が日本語で話すのを聞いていても「こんな表現をよく知っているなあ、自分は同じ表現を中国語で言えるだろうか」と感心してしまう。

飲みながら話が出たのが「きしむ」という日本語だ。尾崎豊の「I love you」に次のような歌詞が登場する。

きしむベッドの上で優しさを持ちより
きつく躰 抱きしめあえば
それからまた二人は目を閉じるよ
悲しい歌に愛がしらけてしまわぬ様に

「きしむ」という日本語は中国語にピッタリな訳語が存在しない。辞書を引いても”吱吱嘎嘎响“と説明があるだけだ。これじゃあ「ギシギシと鳴る」になっちゃって、風情?というものがない。こんな歌詞では「壊れているベッドなのかな、直せばいいのに」と感じられること請け合いだろう。

日本語は木と木がこすれ合うことを形容する動詞があるのだなあ。もちろん逆に日本語にピッタリする訳語のない中国語だって存在する。どの言語にも、それぞれの奥深さがあるのだ。

彼女もまた仕事で中国に来ることがあるだろう。別れ際に「さようなら」じゃなくて「また会いましょう」と言えるのが何だかうれしかった。私にとって引き続き刺激をもらい続けたい人の1人。

ケンケンガクガク?

ふと見たウェブ記事で知ったのだが……

「喧喧囂囂(けんけんごうごう)」と「侃侃諤諤(かんかんがくがく)」 | ことば(...
Q:「喧喧囂囂(けんけんごうごう)」と 「侃侃諤諤(かんかんがくがく)」A:先日のテレビ番組で、「(この問題をめぐって)ケンケンガクガクの議論になりました」という言い方を耳にしましたが、これは間違った言い方ではないでしょうか。解説:「喧喧囂囂(けんけんごうごう)」の「喧」と「囂」には、ともに「かまびすしい」「やかましい」「さわがしい」という意味があります。この文字を重ねたは、「口やかましく騒ぎたてるさま」「たくさんの人がやかましくしゃべる様子」を表すことばです。一方、「侃侃諤諤(かんかんがくがく)」...

「ケンケンガクガク」と普通に使ってしまっていたが「喧喧囂囂」(けんけんごうごう)と「侃侃諤諤」(かんかんがくがく)が混じって生まれた誤用らしい。

とは言え、ケンケンガクガクのほうがよく耳にする気がする。辞書にもすでに載っているようで、手元にある電子辞書の「デジタル大辞泉」(小学館)には次のようにある。

《「けんけんごうごう(喧喧囂囂)」と「かんかんがくがく(侃侃諤諤)」とが混同されてできた語》大勢の人がくちぐちに意見を言って騒がしいさま。

混交表現であることは認めつつも、1つの日本語として認める立場を取っている。一方、明鏡国語辞典(大修館書店)はバツ印と共に「誤用」と一刀両断だ。

そういえば先日、女友達と話していたときのこと。彼女には弟が1人いたため、私が「一姫二太郎だね」と言うと「弟は1人だよ?」と答えるので、2人して「?」という顔になってしまった。

私が言った「一姫二太郎」は「子を持つには一番目は女の子で、二番目は男の子がよい」という意味だった。一方、彼女が知っている「一姫二太郎」は「子を持つには女1人、男2人が理想だ」という意味らしい。うーむ、私は初めて聞いた。

文化庁のホームページによると、本来の意味は私が使ったほうだ。しかし平成12年度の「国語に関する世論調査」では、彼女が使った意味で理解している人が3割あまりいたそう。おそらく平成12年度の調査でこれだから、今調査すればもっと割合は高くなっているのではないか。彼女がそう誤用しているというよりは、すでにおそらく相当数の人が後者の意味で使うようになっているのだろう。

ケンケンガクガクだなんて言っていた私に、それをあれこれ言える権利はない。誤用も広く使われれば市民権を得ていくのかもしれないが、ことばが「その形」であるにはきちんとした理由があるのだ。自分への戒めとして、ここに記録を残しておこうと思う。

高い城の男

きょうは宿直勤務明けで、午後から時間ができたので英語塾に行きました。

プライベートレッスンという一対一の授業を受けていて、これまでは大体イギリス人の男性の先生を付けてくれていたのですが、ここ最近はアメリカ人の女性の先生が多いです。顔がものすごく小さい美人な先生で、わざわざ気を使って付けてくれているのかしら(^^;)。突然びっくりするようなことを言ってきては”just kidding!”(冗談よ)なんて笑わせてくれる、楽しい方です。

それはそうと、水出しコーヒーに初めて挑戦してみました。

私は本当にコーヒーが好きで、お茶のようながぶがぶ飲んでしまうのですが、これからの時期はやはりホットよりアイス。アイスとなると家では作れないので(ホットを冷やしただけではパンチのない味気ない感じになりませんか)またスーパーで紙パックアイスコーヒーの大量買いかなあと思っていたのですが、そんなに飲むならいっそのこと水出しアイスコーヒーを自分で作ってみよう!と思い立ったのです。

水出しアイスコーヒー用のピッチャーと、アイスコーヒー用の豆を購入。ひたすら水を注いでピッチャーをいっぱいにします。

この作業に結構時間がかかるので、最近ハマっているドラマを見ながら作業をしました。見ているのは”The Man in the High Castle”(高い城の男)というアメリカのドラマ。*1Amazonプライムビデオで見られます。

第二次世界大戦でアメリカが敗れたという設定になっていて、アメリカの西海岸は日本が、東半分はドイツ・ナチスが支配しています。サンフランシスコの町並みは(私たちでいうところの)現実と違って、日本語…つまり漢字やひらがなの看板があふれていて、日本人がたくさんいます。一方、ニューヨークにはナチスの鉤十字が至る所で見られるという具合。そうした世界を舞台に謎のフィルムが出回り、このフィルムを巡る争いが人々を巻き込んでいく…という物語です。

日本のかいらい国家である西海岸の日本太平洋合衆国では、日本の文化が至るところで見られるようになっています。突然、坂本九さんの『上を向いて歩こう』が流れたり、越路吹雪さんの『ラストダンスは私に』が流れたり。

きょう見た第8話で流れた曲が印象的でした。

白人女性が歌っているのですが、歌詞は日本語です。

なぜ朝日は輝くの?なぜ海は波打つの?
知らないのね、世界の終わり。あなたの愛は消えた。
なぜ鳥は歌ってるの?なぜ星は瞬くの?
知らないのね、世界の終わり。あなたの愛は消えた。
朝、起きて思う。なぜ普段のままか?
分からないの、分からないの。生きることの意味が。
なぜ私は泣いてるの?なぜ涙が溢れるの?
知らないのね、世界の終わり。これでさようなら、あなた。
知らないのね、世界の終わり。これでさようなら、あなた。
さようなら……

いい歌だなあとインターネットを検索するのですが、全くヒットしない。おかしいなと思ったら、実はカバーでした。スキータ・デイヴィスの”The End of the World”(この世の果てまで)を日本語にしたものでした。

こういうドラマを見ていると英語学習熱もめらめらと湧き上がりますね。字幕なしで見られるようになりたいなあ。

References
*1原作はアメリカのSF作家フィリップ・K・ディックによる歴史改変SF小説です。第二次世界大戦で枢軸国が勝利し、アメリカが東西に分断されている世界を舞台としていて、1962年に発表され、1963年のヒューゴー賞長編小説部門を受賞したそうです。
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