中国東北の旅、今日は最終日です。午後の飛行機で北京に戻るので、それまでの時間を使って延辺朝鮮族自治州の中心都市・延吉市内を散策します。
まず向かったのは「西市場」、韓国・朝鮮語では“서시장”(西市場=ソーシジャン)です。延吉市中心部にあり、ビルまるまる1棟が市場になっています。
The time is gone, the song is over, thought I'd something more to say.
中国東北の旅、今日は最終日です。午後の飛行機で北京に戻るので、それまでの時間を使って延辺朝鮮族自治州の中心都市・延吉市内を散策します。
まず向かったのは「西市場」、韓国・朝鮮語では“서시장”(西市場=ソーシジャン)です。延吉市中心部にあり、ビルまるまる1棟が市場になっています。
中国東北の旅、2か所目の目的地・延辺朝鮮族自治州に来ました。
ここは中国に55いる少数民族のひとつ、朝鮮族の自治州です。朝鮮族と言うと、あまり詳しくない方は「北朝鮮の人?それとも韓国人?」といった反応をされます。朝鮮族はあくまで中国国籍を有する中国人です。けれどルーツは朝鮮半島にあって、日本の植民支配から逃れて満州に移り住んだとか、朝鮮戦争の際に中国に渡った人たちを祖先とする人々だとか言われています。そんなこともあって延辺朝鮮族自治州は中国でありながら漢字とハングルを併記している独特の景観で知られています。延辺という地名も中国語では“延边”(イェンビェン)と発音しますが、韓国・朝鮮語で発音した“연변”(ヨンビョン)という呼び方もよく使われています。
私はいつか延辺朝鮮族自治州に行きたいと思っていました。その独特の経験を見てみたいのはさることながら、韓国や北朝鮮*1の雰囲気とは違うのかしら?中国で独自に発展した朝鮮文化ってどんな感じなんだろう?と関心を持っていたからです。
*1 | とは言っても、私は北朝鮮に行ったことがないので比較のしようがないんですけど。 |
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中国東北の旅、2日目。今日は引き続き長春市内を散策します。
まず向かったのは「新民大街」という大通りです。ここは満州国時代には「順天大街」と呼ばれ、政府機関の建ち並ぶ官公街として整備されました。まずは大通りの南端にタクシーを乗りつけ、北に向かって歩くことにしました。
中国では今日からメーデーに合わせた連休が始まり、東北部の吉林省長春に旅行に行きました。ここはかつて満州国の首都・新京が設置された場所で、今も当時の建築物がたくさん残っています。
満州国は「国」と名乗っているものの、実際には日本の傀儡国家です。日本が中国東北部を占領した際、国際連盟や諸外国からの批判をかわすために建国されました。当時ありったけの最先端技術を投入して街作りが進められた一方、日本の敗戦により満州国はわずか13年で消滅します。その後、日本に引き揚げようとした人たちがソ連軍の攻撃で虐殺され、親とはぐれて日本に帰れなかった「中国残留孤児」を生み出した悲劇の地でもあります。
日本と中国の歴史を語る上で、中国東北部――旧満州の歴史を抜きにはできません。そんなこともあって私は中国にいる間、必ず一度は行きたいと思っていました。この連休中の航空券を調べたところ、よその観光地に向かう便は軒並みビックリする価格に値上がりしていた一方、長春便はそうでもなかったので、これ幸いと「満州国の記憶を訪ねる旅」を企画したのです。
このブログに何度も書いている、行きつけの蘭州牛肉麺の店が突然閉店してから約1か月が経ちました。そろそろ営業再開しているのではないかと思い、見に行ってみました。
店は閉店したままでした。店内は荒れてしまい、床のタイルなんて割れてへこんでいます。1か月前に見に来たときもこんな状況でした。
この店、以前にも2回突然閉店したことがあります。1回目は新型コロナウイルスが感染拡大していた時期で、このときは北京市内のあらゆる店が営業停止していました。2回目は店が改装工事したときです。このときは予告もなく突然閉店したので「もう食べられないのか」と大変残念に思ったことを覚えています。結局、1か月後に新装開店したんですけど。
それほど、私はここの蘭州牛肉麺が好きなんです。ほかにも“牛肉凉拌面”(牛肉冷やしまぜそば)という冷やし中華みたいなのも好きだし、あと丼物やチャーハンもおいしい。路地裏の目立たない店ですが、料理の味はそこらのチェーンを断然上回っています。
この店は昼時になるといつも混んでいました。だから予告なしに閉店したときも「おそらく閉店することはない」「きっと改装工事だろう」と思うことができたのです。けれど今日訪ねると、その可能性はなくなったことが分かりました。
ガラス戸に“出租”(貸し出します)と貼り紙がされています。日本風に言うと「テナント募集中」でしょうか。次の入居テナントを探し始めたということは、もうあの蘭州牛肉麺の店が戻ってくることはないということです。あんなに人気だった店がなぜ突然閉店したんでしょう。
店は年配の夫婦と、その息子夫婦が切り盛りしていました。息子夫婦は相次いで息子さんと娘さんも生まれたようで、息子さんが店内で元気よく走り回る姿をよく見かけました。どうしちゃったのかなあ。お父さんはいつもイスラム教徒の帽子をかぶっていたので、多分「回族」だったんだと思います。すると出身は甘粛省や青海省のほうで、そちらに帰っちゃったのかしら。それとも移転したのかな?いずれにしても知る術はありません。
この店に初めて来たのは2019年、東京から出張で北京に来たときです。2022年に北京に赴任してから再度訪ねると店がまだ残っていて感動したものです。
北京生活も3年目になりますが、ここには本当によく来ました。何を食べようか迷ったらここに来ていたくらいです。ここで食べたいろんな味は忘れられないだろうなあ。これはショックでしばらく立ち直れないかもしれません。
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