The time is gone, the song is over, thought I'd something more to say.

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北京でも始まった在宅勤務

上司から一斉メッセージが届き、今日から原則全員が在宅勤務になると連絡があった。

週末の間にオフィスで新型コロナウイルスの陽性確認が相次いだらしい。なかには金曜日に私と結構「密」に仕事をした人も何人か。私の両隣に座っていた同僚も陽性に。おそらく次は私だと思ったのだろう……上司からわざわざ電話があり、発熱やのどの痛みはないかと心配してくれた。

ちなみに言うと、症状はまーったくない。私は一度陽性になった人間だから「前日にああいう症状があったな」「感染するとこういう症状が出たな」などなど、感染した場合どうなるかを今でもよく覚えている。そのどれも感じていないから、おそらく感染していない。まあ、無症状という可能性はあるかもしれないけど。

今日はおとなしく自宅で仕事。ふと窓の外を見ると、今日は空気が悪いようだ。大気が霞んで、数百メートル先が見えなくなっていた。

空を見上げると、この丸い光。お月様ではない、これは太陽だ。

太陽もこんな風に見えるくらいだから相当空気が悪いのだろう。中国もここ数年は大気汚染が改善されて、あまりこういう空を見ることはなかったが……こういう日は出歩かないに限る。在宅勤務になって良かったかもしれない。

東京で緊急事態宣言が出て連日在宅勤務をしていたのが2020年4月。まさか2年以上が経って、再び同じ状況を経験することになるとは思わなかった。しかし、日本はすでにコロナ前の生活に戻り始めている。そう考えると、中国はせっかく「ゼロコロナ」政策で得た3年の猶予を本当に無駄にしてしまったんだなと感じる。

さらばゼロコロナ?

中国では、あれだけ厳しかった「ゼロコロナ」政策の大幅な緩和が突然始まっている。

公共交通機関だけPCR検査の陰性証明提示を廃止しても意味がないと愚痴を書いたばかりだが、ほとんどの場所で今日から陰性証明の提示を求めなくなった*1。今まで感染した人は強制的に隔離施設に連れて行かれていたが、今後は無症状や軽い症状の場合に限って自宅で隔離できるようになった。

ちょっと恐ろしいくらい早い変化だ。中国の「ゼロコロナ」政策は、その名の通り、徹底的に感染を抑え込んで「ゼロ」にするのが目的。だからこそ、あそこまで厳しい行動制限を実施し、ときには痛みも伴いながらやってきた。感染者数が高止まりしている今、この勢いで緩和するなんて……

中国の国営テレビはついこの前まで「ウイルスは恐ろしい!命が大切!」と放送していたのに、一昨日くらいから「オミクロン株は致死率が低いので必要以上に怖がらないで」なんて伝えぶり。日本人の私としては「そんなの前から知っている」と言ってやりたいところだが、まあ、事実上、お手上げというところか。畢竟、目に見えないウイルスの蔓延を人間の行動制限だけで防ぐことはできないということだ。

先般の抗議活動がきっかけになったのは間違いないだろうけど、「ゼロコロナ」政策による弊害が大きすぎて限界に来ていたところもあるんじゃないかな。経済は打撃を受け、毎日のように受けるPCR検査は地方政府の財政負担になっていた。誰もが「もう無理……」と思っていたけどやめるにやめられなかったところ、抗議活動をきっかけに常識的な機動に戻せたというところだろう。

けど「ゼロコロナ」政策を取り下げるかと言ったら、おそらく取り下げないはずだ。だって、この国のリーダーさんの看板政策なんだもの。今さら間違っていましたとは言えない。だから中国政府も今回の緩和措置はあくまで「ゼロコロナ」政策の“优化”(適正化)という言い方をしている。

だから本当に緩和が続くかどうかは、まだ分からないと思う。だって政府は感染拡大を許したわけじゃないんだもの。感染が拡大すれば、規制の揺り戻しだって起きる可能性がある。そして仮に中央政府が許したとしても、地方政府は忖度するだろう。だって今まであれほど締め付けられてきたのだから。緩和して、うちの地域だけ感染者が急増したらどうしようって思うはずだ。

ちなみに一般市民でも急な緩和に戸惑っている人がたくさんいる。「緩和したら感染が広がりそうで心配」とか「感染が怖いから緩和されても外に出ない」という人が私の周りでも結構いるのだ。

彼らを見てもおかしいとは思わない。だって数年前の日本人だって同じ感覚を持っていたからだ。けれど世界中が「ウィズコロナ」になっている今さら戸惑っている姿を見ると、中国が「ゼロコロナ」政策で貯めていた3年間って何だったのだろうと思ってしまう。悪いのは彼らじゃないけど。

References
*1医療機関や学校などではPCR検査の陰性証明が必要とされているほか、北京では、飲食店の店内で飲食したりスポーツジムを利用したりする場合には48時間以内に受けたPCR検査の陰性証明が求められる。

沈黙は金なり

最近、東京から来る仕事のオーダーが無茶なことが多い。私の仕事を知らない(見えていない)人があれこれオーダーしてくるなら分かる。なのに、無茶なオーダーをする人に限って、同じ駐在員を経験している人たちばかりなのだ。

今日も東京のとある上司に、それはそれは振り回された。

ここだけの話、この上司、北京オフィスで頗る評判が悪い。周りの同僚が愚痴を言うのをよく聞いていたが、今日は私がその上司とやりとりすることになってしまったのだ。

ああでもないこうでもないといろんな無茶ぶりをしてきて、こちらは相当無理して応えていたのに、突然「……これ、何がしたいの」と言い出しちゃう。こちとら喉元まで「おまえに聞きたいわー!!」と出かかるも、こういう人はいくら言っても通用しない。むしろ彼の中ではあくまで「私がしたこと」なのだ。

この上司も私と同じポストにいたはずなのになあ。増して、ここは中国。諸外国と比べて特に制限が多い国なのだ。できることとできないことの差が大きすぎる。しかし、こういうときは「沈黙は金なり」。よほど自分に影響しない限りは、反論しないのが吉なのだ。イライラしている人に何を言っても波が大きくなるばかり。はいはいはい、と受け流しておけば、自然と機嫌は直っている。

私が電話でそんな対応をしているのを見て、周りの同僚も察してくれたのだろう。電話を切ると「またあの人?」と言われた。ご本人はまさか北京でそう言われているとは夢にも思っていないだろう。

なーんて、自分を高度十万八千メートルの上空に棚上げしつつ愚痴ってみる。このことから私が得られる教訓は、月並みな言い方だが、人にお願い事をするときには相手の立場をおもんぱかって頼める人間になろうと……そういうことです、はい。

江沢民元国家主席の追悼大会

今日は午前10時から江沢民元国家主席の追悼大会が開かれた。

中国のほとんどのテレビやラジオのチャンネルが追悼大会の生中継で放送。そして午前10時ちょうど、会場では黙祷が捧げられた。中国各地でも街なかで道行く人々が足を止めて黙祷をしたり、車が一斉にクラクションを鳴らしたりして江元主席への弔意を示した。

ちなみに前回、中国の「最高指導者」が死去したのは25年前の1997年、鄧小平のときだ。中国にとっては十数年に一度とも言える出来事なわけで、単純に比較はできない(し、こういう比較をしたら怒る方もいるかもしれないが)日本で例えると天皇陛下が崩御するくらいのことか。国民が心の中でどう思っているかは全然違うかもしれないけど。

ふと言われて気付いたが、江元主席はエリザベス女王と同い年だったのね、共に享年96。同じ年に生まれて同じ年に亡くなるとは……そう言えば江元主席は1997年にイギリスからの香港返還も成し遂げているし、偶然には思えなくなってくる*1。そういえば今年は安倍元総理大臣も死去したし、何かこう、時代を画した感がある。

References
*1いや、偶然なんだけど。

地下鉄には乗れるようになったけど

今日から北京では公共交通機関を利用する際にPCR検査の陰性証明を提示する必要がなくなった。

先週の抗議活動を受けての緩和だろう。つい昨日、地下鉄に乗れなくて困ったばかりだけど、まあ、同じことが起きなくなるなら……とりあえずはありがたい。

とは言え、帰宅時の地下鉄ホームは閑散としていた。

地下鉄やバスだけが陰性証明はいりませんって言っても、乗って着いた先の商業施設やオフィスでは相変わらず「陰性証明を出せ」と要求しているんだもの。市民が毎日検査を受けなければならない現状は全く変わっていない。「そこだけ緩和してどうする」といった状態だ。

しかし、この人が消えた駅。私が留学していた頃はこんなものではなかった。そりゃあ大勢の乗客であふれ、車両に乗り込むのも戦争。ホームには「おばちゃん駅員」が間隔をあけて立っていて、旗を振りながら“先下后上”(降りる人が先!乗る人は後!)と大声で叫ぶのだ。

通勤に地下鉄を利用している身としては、このくらいのほうが助かる。でも、あの賑やかな雰囲気を思い出すとちょっぴり寂しい。自分は中国に来ているけど、あの留学していた頃の中国に来ているわけじゃないんだなあとつくづく感じる。

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