The time is gone, the song is over, thought I'd something more to say.

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中国の駅での思い出

日本ではまもなくゴールデンウィークが始まりますが、中国でも大型連休が控えています。5月1日のメーデー*1に合わせた連休で、中国では「労働節」(“劳动节”)と呼ばれています。

せっかくなので私も家族と旅行に行こうかと計画を立てていて、今回は旅行途中で高速鉄道に乗るプランを考えました。日本でいう新幹線です。今や中国の鉄道もインターネットで乗車券が手に入るので、いざ購入しようとすると……あら?何度やっても購入できません。

どうしたものか……と調べたのですが、どうやら「本人認証」ができていないのが理由のようです。外国人が高速鉄道に乗るにはパスポート情報が必要で、初めてネット予約をするときにはパスポート情報が間違ありませんよと確認する手続きをしなければならないのです。通常ならネット上でササッとできるはずなんですが、何度やっても「駅の窓口で手続きしてください」と表示される始末。

あまりトロトロしていると連休中の高速鉄道はあっという間に満席になります。善は急げ、ということで今日駅に直接行って手続きをすることにしました。

やってきたのは北京駅。職場から近いので私は仕事の合間に抜け出し、妻と娘はタクシーで来てもらいました。娘が私を見つけた途端にニターッと笑ってキャッキャッしてくれたのがすごく嬉しかったです。駅は平日にもかかわらず地方出身と思わしき乗客の人たちで賑わっていました。

乗車券販売所(“售票厅”)の窓口に行って「本人認証」の手続きをすると、あっさり終了。ついでに乗車予定の乗車券も購入しました。

こうして乗車券販売所の窓口に並ぶと十数年前に留学していた頃を思い出します。当時はまだ駅で乗車券を買うのが一般的でした。連休前は混んで行列ができるんですよね。で、割り込みしてくる人が絶対にいるんです。「発車まで時間がなくて」とか言ってヘラヘラしながら気付いたら私の前にいるんですけど、すると後列の人たちは決まって私を叱ります。なぜなら私が「割り込みを許した張本人」だからです。

列は抜かされ後列からは罵られ……悔しいやら情けないやら。やっと自分が乗車券を購入する番になっても、駅員の中国語が早口で何を言っているか分からず、泣きっ面に蜂なんてことがよくありましたねえ。当時は乗車券を買うだけでも試練でした。

References
*15月1日に世界中で祝われる労働者の記念日で、労働者の団結と権利を主張する日とされています。

参鶏湯

今日は仕事の関係で韓国の方と食事をしました。

場所は先方が予約してくれた韓国料理の店。ずいぶん若者っぽい雰囲気の店でしたが、味は“正宗”(本格的)とのこと。店名に「参鶏湯」(サムゲタン)とあったので参鶏湯専門店かと思ったら、ほかにもいろんな料理がありました。

で、一通りの料理をいただいたあと、最後に参鶏湯と冷麺を注文。みんなで分け合って食べました。

参鶏湯の「参」って高麗人参のことなんですね。他にもナツメやニンニクが入っていて、これぞ薬膳という感じです。薄味なので食欲のないときにも良いんじゃないかと思いました。ご一緒した韓国の方によると、物足りなければ鶏肉を塩に付けながら食べるのもアリなんだそうです。

参鶏湯って体がポカポカするので何となく冬の食べ物かと思っていたんですが、実は盛夏の“三伏*1に夏バテの疲労回復として食べるほうがポピュラーであるよし。すると、これからがむしろ本番でしょうか。是非また食べに来たいと思います。

References
*11年で最も暑いとされる時期のこと。

昨日は穀雨

最近雨が続いています。先週の金曜日に降って、今日も雨。

北京は雨が少ない地域です。最後に傘を差したのがいつだったか思い出せないくらい。調べると、北京の年間降水量は約600mmで、東京の約1500mmや大阪の約1700mmに比べると半分以下です。大陸性高気圧、北京の場合は「シベリア高気圧」に覆われているので雨が少ないそうです。

昨日は二十四節気の1つ「穀雨」でした。穀物の成長を助ける雨という意味です。この頃には田畑の用意が整い、これに合わせて雨が降るんだそうです。こうして本当に雨が降るんだから、昔の人は賢いなあとつくづく感じさせられます。

ちなみに中国で穀雨は“谷雨”と書きます。え、穀物の雨なのに、なんで谷になっちゃうの?と思われるかもしれません。今の中国では「簡体字」といって簡略化した漢字が使われています。「穀」という漢字は複雑で難しいので、同じ発音の「谷」に統一されてしまったのです。だから中国では穀物のことを“谷物”と書きます。こうした漢字は他にもあって、例えば麺は“”、後は“”、髪は“”(発)に統一されました。

けど、味気ないですよね。穀雨という漢字だからこそ「春の雨が穀物を潤す」という場面が思い浮かぶのに“谷雨”ではイメージが全然違ってしまうと思います。漢字を簡略化してしまった弊害です。台湾や香港では未だに伝統的な漢字*1が使われているので、日本と同様に“穀雨”と書きます。

ちなみに学生時代に台湾へ旅行に行った際、面白いエピソードを聞きました。とある麺屋が“帥哥下麵很好吃”(イケメンの茹でた麺は超うまい)という店名を付けたそうです。ただし、これが中国だと“”が“”になるなので“帅哥下面很好吃”という表記になります。“下麵”(麺を茹でる)が“下面”になると、これには「下半身」という意味もあり――“帅哥下面很好吃”で「イケメンの下半身は超うまい」という意味になっちゃうのです。これだと麺屋が別業態の店と誤解されちゃう?……いやいや、そんなことはないでしょうけど、これも漢字を簡略化してしまった弊害かと思います。

References
*1簡略化された漢字「簡体字」に体し、伝統的な漢字は「繁体字」と呼ばれます。

懐かしいおもちゃ

散歩がてら、北京は朝陽門に行きました。

やってきたのは「MINISO LAND」。MINISOは中国各地で店舗を展開する雑貨店チェーンで、このMINISO LANDというのは旗艦店という位置づけなんだそうです。

朝陽門の若者一番地The BoxにできたMINISO LANDの北京一号店です。

ちなみにMINISOの正式名称は中国語で“名创优品”(名創優品)。中国発のブランドですが、創業当初は「日本発」を謳っていて「無印良品とユニクロとダイソーを足して3で割った中国ブランド」と揶揄されました。その実「名創優品」という名前は無印良品の「品」、ダイソー(大創)の「創」、ユニクロの「優」(中国名は“优衣库”=優衣庫)、それぞれの日系チェーンから1文字ずつ取っているとされます。

上海・南京東路にて(2017年4月撮影)

メイソウ、もといMINISOが創業された2010年代は中国でユニクロや無印良品の人気が高まりつつある頃でした。MINISOはいわばその勢いにあやかり、日本ブランドであることを装ってチェーン展開した企業です。中国でも「日本のパクリ」「恥ずかしい」と言われるようになり、その後、脱日本路線を進めることになりました。

通常のMINISOは雑貨品を扱いますが、こちらのMINISO LANDはキャラクターグッズに絞っているのが特徴なんだそうです。ディズニーやサンリオ、ハリーポッターなど、世界で有名な40以上のキャラクターを取り上げていて、広さは1000平方メートルを超えます。パクリから始まったMINISOがこうして知的財産権の固まりとも言えるキャラクターグッズの専門店をつくるようになるとは、何だか隔世の感を禁じ得ません。

モールの2階分を使った店舗の構造、贅沢な空間の使い方はさすが旗艦店です。

たまごっちが並んでいました。中国語では“拓麻歌子”、発音すると「トゥオマーグァーツ」ですから、たまごっちの音訳なんでしょうね。

私と妻が「懐かしいね」と商品を眺めていると、若い中国人の女性が駆けてきて真剣に品定めしていました。へええ、人気があるのかな。スマートフォンが当たり前の世代の人にとって、たまごっちなんてずいぶんレトロなゲームかと思いますが。けど、そういうレトロさが逆に人気を集めているのかもしれませんね。それに卵形のカラフルな本体もかわいいので、アクセサリーとしていいかもしれません。そういえば、おやじっちって今もいるのかな。

たまごっちがここまで人気になるなら、同じ時期に流行ったレトロおもちゃ*1も受け入れられるんじゃないかしら。ベイブレードとかハイパーヨーヨー、あとビーダマンとか?わあ、自分で言っておきながら懐かしい。男の子のおもちゃしか思いつきませんが、きっと女の子のおもちゃにもそういうのがあるでしょうね。日本の玩具メーカーにとってはチャンスかもしれません。

References
*1平成に流行ったおもちゃを「レトロ」と言うのも何だか複雑な気持ちですが。

世の中は便利になったけれど

外で昼食を取って職場に戻っていると公衆電話があるのに気付きました。いつも通っている場所ですから、毎日のように目にしていたはずなのです。なのに、ここに電話ボックスがあるという認識自体がなかったというのは、ちょっとした驚きでした。いかに自分が公衆電話というものの存在を意識しないで暮らすようになっているのか……と思いました。

日本だと災害時に役立つという理由で残されている公衆電話もありますが、中国でも同じなんでしょうか。硬貨を投入するタイプのようですが、中国では今や何事もスマートフォン決済になっちゃっているから、硬貨なんて持ち歩いている人はいないんじゃないかしら。

そんな私も最後に公衆電話を使ったのはいつだったか思い出せません。はっきり覚えているのは2011年。なぜ覚えているかというと、その年にガラケーをやめてスマホを使い始めたからです。実家に帰省した夏休みのとある夜、旧友とシコタマ飲んで終電で帰宅していると、うたた寝して乗り過ごしてしまったのです。私の地元の岡山は1駅1駅の距離が結構あり、徒歩で帰るのは厳しい。そこで弟に連絡して車で迎えに来てもらおうとしました。

けれどスマホを取り出すと……まさかの電池切れ!と言うのもガラケーって電池のもちは優秀で、1回充電すると長いと1週間近く電池がもつんですよね。当時ガラケーに慣れていた私はスマホのバッテリー残量が少ないまま外出してしまったのです。

私は深夜0時を回った無人駅で立ちすくんでしまいました。結局、駅前の公衆電話から(唯一電話番号を覚えていた)実家に電話をかけ、親から弟に伝えてもらう形で迎えに来てもらいました。30分くらい待ちましたけど、本当に来るのか不安だったのを覚えています。

ケータイのなかった時代ってこんな感じだったんですよね。友人と事前に「どこに何時集合」と約束。今だと遅刻しそうならLINEで「遅れそう」のひと言で済みますが、当時は家を一歩出ると連絡手段がなくなり、時間通りに着いた側は事情を知る術もなく待ちぼうけを食らうことになります。待てども待てども来ないので「ちょっとトイレに」と集合場所を離れた途端、遅刻した人間が到着する……みたいなすれ違いが起きるわけです。で、こういうことを防ぐために、かつてはどこの駅にも「伝言板」がありました。私が中学生の頃には都内の駅でもまだ見かけましたが、これも今では理解が難しいシステムでしょうね。

けれど、だからこそ当時は「時間厳守」の意識が強かったんじゃないかしら。あと、当時のほうが電話番号をよく記憶していたような気がします。実家の電話番号、祖父母宅の電話番号、両親のケータイ番号……スラスラ言えました。これも今ではスマホに登録された連絡先に頼りっきりです。世の中が便利になった反面、人間は退化してしまったのかな。そんなことを考えてしまいます。

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