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The time is gone, the song is over, thought I'd something more to say.

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大雨に対する対策

北京は昨日に引き続き大雨に見舞われています。亡くなった方もいるとのこと。

日本にいる色んな方から「大丈夫か」とお声がけいただきますが、私は大丈夫です。昨日も書きましたが、一番被害がひどいのは北京西部の郊外ですね。

インターネット上に出回るウワサでは、北京中心部に被害を及ばさないために「濁流の流れる川を郊外でわざと氾濫させている」という情報を目にしました。つまり中心部まで濁流が流れて氾濫しないように、わざと離れた郊外で堤防に穴をあけて氾濫させているというのです。この情報が本当かどうかは分かりません。けれど「もし本当だった場合」、政治の中枢が集まる中心部を守るために郊外の方々が犠牲になっているならひどい話です。

帰宅する頃に雨は降っておらず、紫色の夕焼けが見えました。

北京は滅多に雨が降らないこともあって、確かに排水機能は脆弱です。そもそも歩道もボコボコなので、そこら中に水たまりができています。こうした事態を見るに付け、思い出すのが日本の「首都外郭放水路」です。

首都外郭放水路の公式ホームページより

https://gaikaku.jp/

一見するとパルテノン神殿みたいですが、埼玉県の地下にある巨大な空間です。大雨で首都圏を流れる川が氾濫しそうになった場合、ここを通って巨大な江戸川に流れ込む仕組みになっています。雨の多い日本ならでは、ですね。1993年に着工し、2002年に完成したとのこと。普段、見学会も実施しているということで日本に帰ったら見に行ってみたいなあと思う場所の1つです。

北京にもこんなものがあったなら……と思いますが、雨の少ない北京では雨のために地下に巨大な空間を作ろうなんて夢にも思わないかもしれません。だからといって、中心部の被害を防ぐために郊外で氾濫させるってもし本当だったらあらえない対策法です。

北京は今日も雨だった

今日で7月も終わりですね。北京は2日前から大雨が続いています。

朝の出勤時に、ちょうど地下鉄の駅から出る場所で撮影した写真です。あまりにも雨が強いので、出ようか出まいか様子を見ている人たちが何人かいらっしゃいました。

思えば去年9月に赴任してから、北京で傘を使ったのは片手で数えられるほどしかありません。2回とか、そんなもんじゃないかしらん。北京に梅雨はありませんから、5月頃から気温がぐんと上がって「いきなり夏」になるのが定番です。こんなにも雨が続くなんて異常に感じます。

北京西部の郊外にある門頭溝区という場所では土砂災害や洪水も発生しているよし。日本も雨で大変なことになっている地域があるようですが、改めて考えると異常気象ですよね。地球が私たちに警告してくれているんじゃないかと感じてしまいます。

春困秋乏夏打盹,睡不醒的冬三月

昨夜(というか、日付は今日だったんですが)の帰宅が午前2時過ぎだったこともあり、朝はずいぶんゆっくりさせてもらいました。とは言え、明日の週明けに向けて大理出張のまとめもしなければならず、昼から自宅のデスクに向かってお仕事。

たっぷり寝たはずですが、それでもウトウトしてしまいます。

中国語に“春困秋乏夏打盹,睡不醒的冬三月”という言葉があります。訳すと「春は眠く、秋は疲れやすく、夏はウトウト、そして冬のみつきは目が覚めない」。おお、つまり夏はウトウトするものなのか……と言いたいところですが、よく読むと言っているのはつまり「年中眠い」ってことですな。

大理3日目

今日は大理出張の最終日です。

今日は朝から強い雨が降っていました。昼前になってやんだので外に出ると、遠くの山々に雲がひっかかっています。この山は「蒼山」といいます。大理自体が海抜2000メートルの場所にあるので、この「蒼山」は海抜3500メートルから4000メートルになるようです。

遠くに仏塔が見えました。ここ大理に住む少数民族、ペー族は仏教を信仰しているんですね。

さて、今日は大半の時間を移動に費やす1日。北京からの往路は飛行機で直接大理に来ましたが、なんと復路は飛行機のチケットが取れなかったのです。おそらく旅行シーズンに入っちゃっているからでしょうね、予約をしようとした時点でビジネスクラスしか残っていませんでした。そこで大理から鉄道で雲南省の省都、昆明に向かい、そこから飛行機で北京へ帰ろうという算段です。

いざ宿から大理駅に来ると、この混雑。飛行機もいっぱいでしたが、鉄道は鉄道でこんな状況です。現在大理駅は改装中で、こちらは仮駅舎とのこと。通常よりスペースも狭いこともあって椅子さえ空いておらず、しようがなく地べたに座り込むことにしました。

隣には同じく地べたに座り込んだ子どもたちがトランプで遊んでいました。

座り込んで40、50分ほど待った頃、改札が始まりました。すると一目散に改札口に走り出す人!人!人。こういうのを見るにつけ、何をそんなに慌てているのか……と思っちゃいますが、もしかしたら自由席の人たちなのかも。急がないと席がなくなっちゃうと。大理駅は始発駅なので自由席でも座れる可能性が高いのかもしれませんね。

私たちは指定席だったので、のんびりとホームへ。今回乗車したのは“和谐号”(和諧号)です。

昆明までは高速鉄道で2時間余り。距離にすると330キロメートルほどですから、日本で言えば東京から名古屋くらいでしょうか。

車内で仕事をしようと思っていたのですが、思いのほか揺れます。なんだか気持ち悪くなってしまい、作業するのはやめて昼寝をすることにしました。ウトウトしていると昆明に到着。日本だと2時間の移動って長い気がしますが、中国だと短いほうかもしれません。

大理ほどではありませんが、昆明も涼しかったです。同行していた中国人の同僚が「昆明は『春城』と言います」と教えてくれました。1年を通して春のような気候が続くということなんでしょうね。

昆明駅の改札を出てからタクシー乗り場まで向かい、車で昆明空港まで向かいました。

ようやく昆明空港まで来ました。

飛行機は午後8時半の便でしたが、私たちの乗る予定の飛行機が遅れて昆明に到着したため、遅れて搭乗が始まりました。いざ搭乗しても一向に離陸せず、しばらくすると機内アナウンスで「管制の都合で離陸が遅れます」とのこと。結局、45分ほど遅れて離陸しました。機内は私たちのように北京に戻るとみられる客のほか、雲南省から北京に旅行に行くんだなと思わしき客もたくさん搭乗していましたが、皆さんとても静かに離陸を待っていらっしゃいました。

北京に到着したのは翌日の午前0時過ぎ。それも市内に近い首都空港ではなく大興空港のほうです。飛行機には子どもたちもたくさん乗っていて、私もクタクタでしたが子どもたちはもっとクタクタだったでしょうね。中国人スタッフがこういう飛行機の便を“红眼航班”(赤い目のフライト)と言うと教えてくれました。早朝・深夜で十分に睡眠が取れず、赤目になってしまうからでしょうね。どうやら英語でも”red-eye flight”と言うようです。

自宅に着いた頃には午前2時を回っていました。“红眼航班”……調べてみると、日本語にも「目の隈便」という言い方があるようです。ああ、明日が日曜日で良かった。

大理2日目

大理出張2日目。今日は朝から頭が痛かったです……高山病でしょうか。

いつもならこうした頭痛も時間が経てば収まってくるのですが、今日は夕方を過ぎても続きました。ガンガンした痛みで、こんなのは久しぶりです。

頭の痛みを堪えて日中に仕事をこなし、夕方に「大理古城」に来ました。

名前だけ見ると古い町並みが残っていそうですが、その実、今や立派な観光地です。土産物店や飲食店が建ち並び、すっかりテーマパーク化しているように感じます。こういうところを見ると大理が「観光業に依存している」というのがよく分かりますが、新型コロナウイルスの感染が拡大していた間はどうしていたんでしょうね。

ただ、そんな心配も過去の話でしょう。だってコロナ禍の明けた今はこんな感じ。大理はもともと中国屈指の観光地ですが、子どもたちが夏休みに入っていることもあって親子連れの姿が特に目立ちました。いやあ、この人の多さでは、頭痛が治るどころか余計に痛くなりそうです(^^;)。

大理出張、最後の夜にいただいたのは“石板烧”(石板焼)。その名の通り、石の板の上で肉や野菜を焼いて食べる料理です。石の上で食材を焼いて食べるのはどうやら地元の「ペー族」(白族)という少数民族の文化のようで、大理の至る所に店がありました。

肉や野菜があらかじめ決まっているセットを注文。あと雲南省といえばキノコも有名ですから、単品で注文しました。なんとマツタケが68元(約1400円)。とても日本ではいただけない値段です。

ワクワクしながら食材を焼き始めましたが……肝心な石が温まっておらず、全然焼けません。ジュージュー音を立てて焼けるようになるまで15分近くかかったでしょうか……お腹はぺこぺこなのに、これじゃあ生殺しです。薄い肉はあっという間に食べきり、あとは野菜で腹を満たすような感じでした。マツタケも香りを感じず?これは本当にマツタケだったのかしらん(笑)。

結局この店も観光客向けだったんでしょうか。ちょっと残念な夜でした。

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