The time is gone, the song is over, thought I'd something more to say.

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福建省の友人を訪ねて

中学時代の同級生で、私が中国語を学び始めるきっかけになった友人、鍾小霞を訪ねて福建省に来ました。中学生のとき以来なので、実に20年ぶりの再会です。

私と中国語の話
私は中学生の頃に中国語を学び始めました。岡山生まれ岡山育ちですが、中学時代は父親の仕事の関係で東京に住んでいました。国際都市・東京だけあって通っていた学校には韓国国籍の子、日本とフィリピンのハーフの子、黒人の子など、海外にルーツを持つ同級生がたくさんいました。そんな中に中国人の子がいました。彼女は福建省出身で、鍾小霞という名前でした。入学当初の彼女は日本語が全く話せず、誰ともコミュニケーションが取れませんでした。授業は聴き取れないので肘を突いて窓の外をボーッと眺めているだけ。休み時間になって...

空港には小霞と小霞のお父さん、そして親戚の子が迎えに来てくれました。

いろんな意味で彼女は全く変わっていませんでした(^^)。どんな風になっているんだろう、お淑やかで洗練された女性になっているのかしら……と思ったものの、いやはや中学時代のままです。ま、私だって中学時代から何も変わっていないんですから、人のことをアレコレ言えません。感動的な再会の瞬間を記録に残そうとムービーを撮りながら空港の到着ロビーに出ると、小霞はゲラゲラ笑って「撮らないでよ」と、カメラを壊さんばかりの勢いで奪い取ろうとします。そう言えば、中学時代もカメラを向けると怒られたなあ。

小霞の地元は福建省福州市福清市です。市の中に市があるのは日本人にとっては不思議に見えるかもしれません。福州市と福清市はどちらも「市」と付いていますが、違うものです。言ってみれば、福州市が「大きい市」(=地級市)で、福清市が「小さい市」(県級市)。日本で例えると大阪府の中に大阪市があるのと似ています。ただ福清市の人は自分を「福州人」ではなく「福清市」と呼ぶことが多いらしく、何かと違いが意識されるようです。日本でいうと横浜の人が「神奈川出身」ではなく「横浜出身」と言うのと同じ感じかもしれませんね。

福清市は地方都市という表現がぴったりの街です。高層ビルがいくつも建っているような街ではありませんが、通り沿いには小さな飲食店が何店舗も並んでいて、とても賑やかでした。

そして印象深かったのは夜になるとできる夜市です。夕方になると屋台が並び始め、片側2車線ある道路のうち、外側の1車線をつぶしてしまいます。加えて夜市で買い食いをする人たちが道にせり出してくるので車の渋滞ができていました。けれど車の運転手を含め、誰も気にしていないように見えるのは、ここで夜市が長年親しまれているからなのかもしれません。

夜市でドリアンを売る屋台

串焼きやマーラータン、果物を使ってその場で作る絞りたてジュースなど、実にいろんな店が並んでいました。このガヤガヤした感じ、台湾で行った夜市を思い出します(^^)。福建省は台湾の対岸ですから、文化が似ているのかもしれません。

北京の場合、王府井などに並ぶ「観光屋台」を除いて屋台は基本的にみられなくなりました。私が留学していた頃はあったんですけどね。大学近くでは夜になると屋台が並び、燕京ビールを飲みながら羊肉の串焼きをよく食べました。友人たちとよく行きましたし、1人でもよく行きましたねえ。その後、衛生面が良くないとか首都の景観を悪くするとか、いろいろ言われて姿を消しました。

福清市の夜市は何だか古き良き中国を見たようで懐かしい気分になりました。ただ小霞曰く「若い人しか行かない」そうで、本人はあまり屋台では食べないんだそうです。

小霞のご両親は福清市にビルをお持ちでした。このビル、小霞のご両親が日本で頑張って稼いだお金で建てたんですよね。上層階は自宅として使い、その他のフロアは貸し出しているとのこと。自宅部分にはご両親に加えて親戚たちが住んでいて、小霞たちが一時帰国したときに寝泊まりできるようたくさんの部屋がありました。全室にトイレと洗面所が備わった豪華仕様です。ビルの1階にはお菓子や飲み物を売る商店が入っていて、ここの店員さんとは顔見知りのようでした。

福建省滞在2日目には小霞の親戚の方が車を運転し、福州市内に連れて行ってくれました。運転してくれたのは女性の方で、最初は「小霞の友人かしら」と思ったのですが、聞くと小霞のいとこのお連れ合いの方とのこと。日本人からすると少し遠縁に感じますが、親戚づきあいが濃い中国では珍しいことではありません。

福清市から福州市の中心部までは車で1時間強だったでしょうか。福州市は福建省の省都*1なだけあって、とても発展していました。街の至る所にガジュマルの木があるのが印象的でした。ガジュマルの木は中国語で“榕树”と言いますが、福州市は“榕城”という別名もあるんだそうです。

福州市内の一角にあるガジュマルの木

福州市では福建料理の店で昼食をいただきました。私は恥ずかしながら福建料理と聞いてもパッと思い浮かばないのですが、中国では八大料理に数えられているんだそうです。

私が知る数少ない福建料理のひとつ、焼きビーフンです。福建省発祥の料理で、ビーフンという言葉も福建省の方言に由来します。こちらのビーフンには海鮮がたくさん入っていて(海に面する福建省は海鮮を使った料理が多いのも特徴です)プリプリのエビや歯ごたえのあるイカなど、海鮮好きな私としては大変食べ応えがありました。

こちらの料理は“荔枝肉”、日本語に直訳すると「ライチ肉」です。料理名だけ見ると「ライチを使った料理かしら」と思ってしまいますが、実際には一切使われていないそうです。メインの素材の豚肉を形状も風味もライチに似せた料理……といった感じでしょうか。食べてみると確かに甘酸っぱくてライチを彷彿とさせます。日本人には「福建風酢豚」と説明したほうが分かりやすいかもしれません。ライチの生産地・福州では清の時代から伝わる代表的な料理です。

ほかにもいくつか料理を注文しましたが、福建料理、特に福州は甘味が特徴のようで、どれも甘い味付けでした。写真奥のスープは“酸辣汤”(サンラータン)ですが、これさえも甘い!北京でいただくのとずいぶん違う味がしました。

ちなみにこのとき食べたものではありませんが、私が今回の福建省滞在中にいただいた料理の中で一番おいしいと思ったのは“海鲜焖面”(海鮮燜麺)です。写真を撮らなかったのが悔やまれます。下の写真はWikipediaから引用したものです。

Haixian menmian.jpg
Hhaithait – 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 3.0, リンクによる

海鮮の具材が入った麺料理で、福建省の中でも小霞の地元・福清市で食べられる料理です。なにがおいしいって、このスープがたまりません。牡蠣を始めとする海鮮の出汁がよくきいていて、とろとろ煮込まれたような濃厚さがあります。これを食べて思い出すのが、長崎ちゃんぽん。明らかに同じDNAが入っているのを感じます。

で、いざ調べてみると果たして長崎ちゃんぽんのルーツと言われているそうです。いやあ、中国で食べた麺料理では一番感動したかもしれません。私は蘭州牛肉麺好きですが、もしかしたらそれを上回っちゃうかも。それほど自分の好みにドンピシャな味でした。

福建省の滞在中、とにかく食事面ではずいぶん歓待してもらいました。特に滞在2日目の夜にはホテルのレストランの1室を貸し切り、小霞の親戚たち(厳密には旦那さん側の親戚だそうですが)が一堂に会して宴会を開いてくれました。総勢20人近くが集まり、テーブルには置ききれないほどの料理が並びました。

中国は伝統的に大家族主義の国で、親戚づきあいが盛んです。親戚関係を表す呼称も豊富で、例えば「いとこ」も中国語では父方か母方か、自分より年上か年下か、男か女かによって呼び方が全て違います。だもんで、いざ紹介されてもパッと分からないのが正直なところ(^^;)。

あと、もうひとつ私が困ったのは方言です。小霞の地元では「福清話」という方言が話されていて、親戚たちが集まるとたちまち会話が方言になります。私が使っているのは共通語(北京語)で、小霞たちが使う方言との間には外国語くらいの違いがあります。なので方言で話されてしまうと私はチンプンカンプン。もちろん皆さんは共通語も話すので、私と乾杯をするときは共通語で“同学干杯”(同級生君、乾杯)なんて言ってくれました。ただ、小霞の子どもたちの世代になると方言は使っていなかったかな。ただ聞き取りはできるようで、親戚のおじさんおばさんが方言で話しかけたら、それに共通語で返す――みたいな感じでした。

References
*1省の政府が所在する場所のことで、日本でいうところの「県庁所在地」です。

中国でも土用の丑の日

今日は土用の丑の日です。日本のスーパーやコンビニではきっと先週ぐらいからウナギの蒲焼きの販促で大忙しなんでしょうか。こちら中国には土用の丑の日にウナギを食べる文化はありません。ただウナギの蒲焼き自体はとても人気ある日本料理のひとつで、多くの日本料理店で提供しています。

正直、私自身は普段そんなにウナギを食べません。ただ北京も最近は大変暑いですし、まあだったら、1年に1回くらいは土用の丑の日にかこつけてウナギをいただいて滋養を付けようと思い立ち、食べに行きました。

行ったのは地下鉄「恵新西街南口」駅近くにある“丰年鳗鱼饭”という店。店名に“鳗鱼”(ウナギ)という文字が入っている通り、ウナギの専門店です。

いただいたは“标准鳗鱼饭”(標準鰻魚飯)、日本的に言うと「うな重・並」です。並ではありますが、立派なウナギが載っています。これにお吸い物と漬物が付いて150元(約3000円)でした。高いっちゃ高いですけど、日本でこれほどのうな重をいただこうと思ったらもっと高いんじゃないでしょうか。肉も皮も厚くタレもしっかり味が付いていて、とてもおいしかったです。

店内はお客さんで賑わっていましたが、まあ、別に土用の丑の日だから食べに来たというわけではないんでしょうね。コンスタントにこれだけ来るわけだから、やはり中国でウナギの蒲焼きは人気が高いんだと思います。私たちみたいな日本人客が来るんじゃないかと見ていましたが、私たちがいる間にはいらっしゃいませんでした(^^;)。

昼食をとった後、オリンピック公園の近くにある国家動物博物館に行きました。先日訪問した新海の生物を紹介する展示会を主催した「中国科学院」に所属していて、動物に関する博物館としては中国最大なんだそうです。

動物、鳥、海の生き物、さらには昆虫まで、あらゆる標本が展示されていました。動物園と違って動き回る姿は見られませんが、間近に見ると細かいところまで観察でき、かえって迫力があります。

夏休みだけあって大勢の親子連れが訪れていました。かく言う私たちも娘に動物を見せてあげようと来たのですが、肝心な娘は広い博物館そのものに興奮しちゃって……動物の標本には目もくれず、ギャー!と大声を出して走り回っていました。ま、半分は私たち大人が来てみたかっただけですから。もっと娘が大きくなって、動物に興味を持ったらまた連れてきてあげたいと思います。

不到長城非好漢

タイトルの“不到长城非好汉”(不到長城非好漢)というのは「長城に至らずんば好漢にあらず」、つまり「長城を訪れなければ立派な男ではない」という意味です。中国語では「初志を貫かない者は立派な人間ではない」という意味で使われます。ということで、今日はお義父さんと弟さんを万里の長城にお連れしました。

向かったのは万里の長城の中でも最も有名な八達嶺。明の時代に建築された長城で、保存状態が良いので観光地として最も整備されています。本当はもうちょっとマイナーな長城に行こうかとも考えましたが、高齢のお義父さんの体調も考えて八達嶺にしました。

我が家から八達嶺までは片道70キロ近くあります。どうやって行こうか考えた末、車を貸し切って行くことに。中国版ウーバーこと“滴滴出行”だと7人乗りの少し良い車を8時間貸し切って692元(約14000円)でした。駐車料金や高速道路料金は別に支払うほか、走行距離が100キロを超えると1キロ当たり10元(約200円)かかってしまいますが、5人で乗ることを考えれば日本より安いです。

自宅から1時間半ほどで八達嶺に到着。今回はロープウェイで高いところまで登ってみることにしました。いざロープウェイのチケットを購入すると1人往復で140元(約2800円)と結構強気な値段です。これ以外に万里の長城のチケットが1人40元(約800円)かかります。まあ、中国を代表する観光スポットだし、しようがないですね。

ここ八達嶺の長城は北と南にルートが広がっていて、日本人の間では北が「女坂」、南が「男坂」なんて呼ばれています。八達嶺の最高地点は女坂、つまり北ルートの8つ目の望楼「北八楼」です。以前は北八楼まで行くには結構歩かないといけませんでしたが、今はロープウェイを使えば手前までヒョイと行けます。

この写真の左に見えるのが「北八楼」です。ロープウェイを使えば「北八楼」と「北七楼」の間まで来ることができます。みんな北八楼まで登りたいんでしょうか、結構な人です。これが平日の金曜日ですから、週末や祝日だともっとすごかったかもしれません。

この写真右手に見える望楼が「北七楼」です。写真の奥にかけて長城が続き、麓に至ります。ロープウェイを使えばこれだけの距離をショートカットできるわけです。

写真ではあんまり伝わらないかもしれませんが階段が結構急です。誰か1人でも足を滑らせてこけたら、下の人が巻き込まれてドミノ倒しのようになっちゃいそう。ちなみに私は娘を抱っこ紐で抱いていたので決してこけるわけにはいきません。階段脇の手すりにしがみつくようにして登りました。

お義父さんもいたので、北八楼までは30分程度かけてゆっくりゆっくり登りました。今日はびっくりするような暑さでしたが、最高地点だけあって風が吹くと気持ちが良いです(^^)。

北八楼で記念写真を撮った後は再びロープウェイに乗って麓まで降り、運転手さんがいる駐車場まで戻りました。時刻はすでに午後2時すぎ。昼食がまだだったので、運転手さんに「近くにオススメの食事場所はありますか」と聞いたところ「ありますよ」とのこと。それならばと連れて行ってもらうことにしました。とは言え八達嶺周辺は山の中。一体どこに行くのだろうと見守っていると、やって来たのは八達嶺の駐車場に隣接した飲食店。こ、これは……観光客向けのそれではありませんか。

店名は“和鑫源饭庄”。一体どんな店だろうと中国版食べログと呼ばれるアプリ“大众点评”で検索したら――ヒットさえしない!店内には同じように運転手さんに連れて来てもらったと思わしきグループが1組だけ。確かに昼食時からは少し外れているものの、うーん、大丈夫かしらん(^^;)。

いざ店内に入ると、短髪の小太りで腕に入れ墨をしたオッチャンがメニューを開いてアレコレ料理を勧めてきます。鶏肉を煮込んだ料理が看板メニューなんだそうですが、1品で300元(約6000円)超え。ちょーっと高いです。

結局、同じ鶏でも少し安めの煮込み料理を注文。あとは“油菜”といってチンゲンサイみたいな野菜を炒めた料理や、“葱爆羊肉”という長ネギと羊肉を炒めた料理、それに“酸辣汤”(サンラータン)という酸味と辛味の混じった定番スープなどを注文。

味は……うーん、まあまあというか、まあ、中の下という感じでしょうか。ただ“酸辣汤”は味が薄くてお湯を飲んでいるようでした。私の好きなメニューなだけに残念。まあ、観光地の飲食店です。あまり期待しちゃいけないですね。

夕食は羊肉の串焼きをいただきました。行ったのは私の好きな“很久以前羊肉串”です。

以前は自宅近くの簋街に店舗があったんですけど、閉店してしまいました。そのため今回は鼓楼大街にある店舗に。金曜日の夜だからか、結構な待ち時間でした。オンラインで整理券を発行できるので家を出発する前に発行しておいたんですけど、それでも店に着いてから30分くらい待ったでしょうか。トータルでは100分以上はかかったと思います。

ようやく串焼きにありつける頃には午後9時を回っていました。ちょっとお義父さんや弟さんに申し訳なかったです。けれど私が言うのもなんですが、食べたらお2人とも表情がコロッと変わって。串焼きとビールをおいしそうに召し上がっていました。やはりおいしい食べ物は人を笑顔にします。

香港の“冰室”

今日の昼食は香港の料理をいただきました。

向かったのは、近所のショッピングモールに入っている“新紮師兄冰室”という店。“新紮”というのは広東語で「新入り」「新人」という意味なんだそうです。で、“師兄”というのは「先輩」という意味ですが、香港では警察官を指す俗称としても使われているのだとか。つまり“新紮師兄”で「新米ポリス」とか、そういう意味になります。

冰室”というのは日本の漢字で書くと「氷室」、香港独特の飲食店の形態で、冷たい飲み物や軽食を出すカフェみたいなものを指します。その昔、冷房が普及する前の時代は冷たい飲み物を提供する貴重な場所として人気があったそうです。

そうすると店名の“新紮師兄冰室”で「新米ポリスのカフェ」……ど、どういう意味?

調べてみると、香港で80年代に《新紮師兄》という有名なテレビドラマが放送されたそうです。で、この“新紮師兄”(新米ポリス)という言葉もその影響で広く知られているよし。中国でも見られていたのかな。もしかしたら往時を懐かしんで付けられた店名なのかもしれません。

それにしても店内はずいぶん「ピンクピンク」しています。ちょっと“新紮師兄冰室”(新米ポリスのカフェ)という店名が浮いて聞こえます(^^;)。

虾籽鲜虾云吞面”(エビワンタン麺)は私のリクエストで注文しました。香港の空港で食べた味が忘れられなかったからです。コリコリした食感の麺、プリプリのエビワンタン、うーん、おいしいです。アッサリした味なのもいいですね。一番奥に写っているのは“椰菜鱿鱼XO酱粉丝煲”、強いて日本語で言うなら「キャベツとイカのXO醤春雨炒め鍋」といったところでしょうか。にんにくで味付けがしてあり、とても食欲をそそる味。これもおいしかったです。ごはんが進みそう――今日は注文しませんでしたが。

こちらは“香港鼓油鸡”、日本語にしたら「香港風醤油鶏」。中国語で醤油は“酱油”(ジアンヨウ)と言いますが、香港では“鼓油”(グーヤウ)と言うのだそう。日本の照り焼きみたいな味付けで、鶏肉が柔らかくアッサリしていておいしかったです。

広東料理、どれも日本人の口に合う味付けでした。メニューを見るとサンドイッチみたいな軽食から香港っぽいデザートまで、とても充実していました。“冰室”だけあってドリンクもたくさんあり、食事をしなくても楽しめそう。今日が初めての来店しましたが、妻と「もっと早く気付けば良かったねえ」なんて話しちゃいました。また来たいと思います。

さようなら大好きな蘭州牛肉麺

このブログに何度も書いている、行きつけの蘭州牛肉麺の店が突然閉店してから約1か月が経ちました。そろそろ営業再開しているのではないかと思い、見に行ってみました。

店は閉店したままでした。店内は荒れてしまい、床のタイルなんて割れてへこんでいます。1か月前に見に来たときもこんな状況でした。

この店、以前にも2回突然閉店したことがあります。1回目は新型コロナウイルスが感染拡大していた時期で、このときは北京市内のあらゆる店が営業停止していました。2回目は店が改装工事したときです。このときは予告もなく突然閉店したので「もう食べられないのか」と大変残念に思ったことを覚えています。結局、1か月後に新装開店したんですけど。

フェアウェルは突然に
職場の近くに行きつけの蘭州牛肉麺の店があります。このブログでもよく紹介していますし、この前の投稿でも最近は蘭州牛肉麺よりも牛肉涼拌麺にハマッていると書いたところでした。今日なんて昼前から「牛肉涼拌麺」が食べたくてしようがなくなり、ワクワクしながら店に向かいました。労働節の連休も挟んでいたので久しぶりです(とは言っても1週間程度ですが)。店の前まで来ると、何だか様子がおかしい。とても静かなのです。もしや、労働節のお休みが続いているのかしらん?中をのぞくと……こ、これはどうしたというのでしょう。これ...

それほど、私はここの蘭州牛肉麺が好きなんです。ほかにも“牛肉凉拌面”(牛肉冷やしまぜそば)という冷やし中華みたいなのも好きだし、あと丼物やチャーハンもおいしい。路地裏の目立たない店ですが、料理の味はそこらのチェーンを断然上回っています。

この店は昼時になるといつも混んでいました。だから予告なしに閉店したときも「おそらく閉店することはない」「きっと改装工事だろう」と思うことができたのです。けれど今日訪ねると、その可能性はなくなったことが分かりました。

ガラス戸に“出租”(貸し出します)と貼り紙がされています。日本風に言うと「テナント募集中」でしょうか。次の入居テナントを探し始めたということは、もうあの蘭州牛肉麺の店が戻ってくることはないということです。あんなに人気だった店がなぜ突然閉店したんでしょう。

店は年配の夫婦と、その息子夫婦が切り盛りしていました。息子夫婦は相次いで息子さんと娘さんも生まれたようで、息子さんが店内で元気よく走り回る姿をよく見かけました。どうしちゃったのかなあ。お父さんはいつもイスラム教徒の帽子をかぶっていたので、多分「回族」だったんだと思います。すると出身は甘粛省や青海省のほうで、そちらに帰っちゃったのかしら。それとも移転したのかな?いずれにしても知る術はありません。

この店に初めて来たのは2019年、東京から出張で北京に来たときです。2022年に北京に赴任してから再度訪ねると店がまだ残っていて感動したものです。

街なかPCR検査デビュー
今日の昼食は滞在しているホテル近くにある蘭州牛肉麺の店に行った。数年前の北京出張の際にも来たことのある店で、3年半ぶりの再訪。入店すると店主夫婦とみられる2人が奥で食事をしていた。テーブルに着くと若いお兄ちゃんが注文を取りに来てくれたので蘭州牛肉麺をオーダー。ここの蘭州牛肉麺はおいしかったんだよなあ。しっかりした味が付いていて。注文を取ったお兄ちゃんが作ってくれるようだ。厨房に入っていくと中からパンッパンッと生地を伸ばしている音が聞こえ、5分ほどで持ってきてくれた。記憶が正しければ、前に来たとき...

北京生活も3年目になりますが、ここには本当によく来ました。何を食べようか迷ったらここに来ていたくらいです。ここで食べたいろんな味は忘れられないだろうなあ。これはショックでしばらく立ち直れないかもしれません。

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