The time is gone, the song is over, thought I'd something more to say.

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蘇州の女

上海出張の最終日。今日は上海随一の観光地「外灘」(ワイタン)に行きました。観光ではなく、もちろん仕事です(^^)。

今日は少し霞がかっているかな、ぼやけているようです。

ここ外灘は英語名で「バンド」とも呼ばれますが、なぜそう言うのか知りませんでした。中国語のほうは何となく分かります。漢字の「灘」()は岸のことを指すので、おそらく「外側の岸」とかそういう意味でしょう。調べたところ、上海では川の上流を「裏」、下流を「外」と言うそうです。なので外灘は外側の岸ではなく「川の下流側の岸」という意味で、これが固有名詞になったんですね。一方、英語名の「バンド」は埠頭、堤防を意味する”Bund”に由来するようです。

ちなみに最初にあげた写真は外灘ではなく「外灘から対岸を見た様子」です。あのビルやタワーが建ち並んでいる地域は「浦東新区」で、私たちが立っている側が外灘。写真のように19世紀後半から20世紀前半にかけて建てられた西洋建築が建ち並んでいて、レトロを売りにしたバーやレストランが多く入っています。

以前、東京で働いていた頃に上海に出張する機会があったのですが、その際に上海オフィスの先輩が外灘のバー、というかクラブ?に連れて行ってくれました。先輩が飲み物を注文しに行ってくれたのですが、戻ってくるとなぜか女性を連れているのです。どう見ても東南アジア系ですが、外国語訛りの中国語で「アタシは蘇州人」と言い張ります。年齢は私より10歳は上だったかなあ、正直おばさんです(失礼)。私の隣に居座って「疲れたからホテルに行きたい」なんて言い出すので、私が絶句していると先輩がケラケラ笑っていたなあ。外灘に来ると、そんなことを思い出します。

上海料理の夕食

上海出張2日目、今日は朝から見事な豪雨でした。雨の少ない北京ではお目にかかることのないほどの規模でした。

そんな中で仕事を済ませ、夜は上海オフィスで働く先輩に声をかけて一緒に食事。上海料理がいただける“帅帅精致家常菜”という店に行きました。店内の写真は撮り忘れたのですが、ずいぶんオシャレ。こちらの料理長はパリにある世界最大の料理学校「ル・コルドン・ブルー」で中華料理の講師を務めているんだそうです。

こちらは“松露香美芹盐田虾球”、エビとセロリにトリュフで香り付けがしてある料理でした。エビはプリプリ、セロリはシャキシャキ、あっさりですが、しっかり味がついていたのでおいしかったです。まさに日本人好みの味。

こちらは上海蟹と豆腐の煮込みスープ。中国語では“蟹粉豆腐”と言います。蟹粉というのは上海蟹の蟹肉と蟹みそ、贅沢な味です。鶏ガラスープがベースになっているのかな、とても優しい味でした。これぞ上海料理という感じです。

こちらは“外婆红烧肉”、日本語にすると「おばあちゃんの紅焼肉」。醤油で甘くトロトロに煮込んだ豚の角煮です。肉の下には白米が少量盛り付けてあって一緒に食べるようです。とても柔らかくて、箸で簡単にほぐれるくらいでした。

何という種類だったかは忘れてしまったのですが、こちらは魚を“清蒸”にしたもの。“清蒸”というのは調理法の一種で、魚を蒸してほんのり醤油ダレをかけていただくものです。この魚のメニューはもともと辛い味付けだったのですが、私たちのほうで“清蒸”で調理してもらえないか頼んだら快諾してもらえました。

ぎっしりと身が詰まっていて、とてもおいしかったです。あっさり味の好きな日本人には“清蒸”がおすすめ。これを食べると、ああ、上海に来たなあという感じがします(^^)。

上海大学再訪

出張で上海に来ました。

以前、広州に出張した日本人の同僚が「北京に比べて広州の人はみんな『生きている』感じがする」と言っていましたが、上海も同じですね。ふとした小さな通りでもオシャレなレストランや雑貨店が溢れ、人々が生活を楽しんでいる感じがします。

んなことを言ったら「北京の人は『生きていない』ってのか」なんて言われちゃいそうです(^^;)。いえいえ、北京には北京の良さがあると思います。ただ経済の都市・上海と政治の都市・北京ではどうしても違いがあるのは事実です。実際、今回一緒に出張した中国人の同僚は上海のほうが“开放”(開放的)だと言っていました。

私は今北京に住んでいて、学生時代に留学したのも北京です。中国語を話せば「発音が北京寄り」と言われることが多く、どちらかというと私は北京と縁の深い人間だと思います。け・れ・ど、実は上海とも縁があるんです。と言うのも、私が中国で初めて訪れた都市は北京ではなく上海なんです。高校時代に日中の高校生が交流するプログラムに参加し、地元・岡山の高校生で作る訪問団の一員として上海を訪問しました。当時は2005年、もう20年前のことなんですね。確かこの年は中国各地で反日デモが起きて大変な1年でした。プログラムの主催者からは再三「安全はきちんと確保します」という説明があったことを覚えています。

今日は仕事で上海大学に行きました。ここ当時も訪れた場所です。いくつかキャンパスがあるそうなので、本当に当時訪れた場所と同じかどうかは分かりませんけど。初めて訪中した際に訪れた場所に、こうして中国で働くようになって再訪する。何だか感慨深いです。

上海の日本式百貨店

上海出張2日目。今日午後の飛行機で北京に帰ります。

やはり北京に比べて賑やかですね、上海は。ショッピングモールに限らず、小さな路面の雑貨店も客で賑わっていて、みんなが経済活動を楽しんでいる感じがします。北京だけ見ていると分かりませんが、きっと上海に住んでいる人たちは物質面だけでなく精神面でも日本のような西側の国々に相当近付いているんだろうなあと想像します。

今回は静安寺の近くに宿泊しました。静安寺には久光というデパートがあって、地下1階には日本のデパ地下のような光景が広がっています。特に食品スーパーは7割近くの商品を日本から輸入しているそうで、日本のものが何でも手に入ります。学生時代、北京に留学していた頃に上海に旅行に来てここのスーパーを始めて訪れたときは「まるで日本じゃないか」と興奮したことを思い出します。だって北京にはこんなスーパー、ありませんから(^^;)*1

それもそのはず、このデパートは「そごう」のフランチャイジー。開店の際には旧そごうの日本人社員4名が派遣され「日本式百貨店」としての陣頭指揮をとったそうです。

References
*1今は少し増えましたけどね、亜運村のイトーヨーカドーとか。

機場と空港

上海に出張しました。

飛行機を使ったんですが、いやあ、つくづく中国の空港の保安検査は嫌になりますね。カバンからパソコンや傘、モバイルバッテリーを取り出せと指示があるので、それらについては取り出してあります。だのにX線を通したら「あれは何だ」「これは何だ」とアレコレ言われてパソコンのACアダプターを取り出し、鍵を取り出し、今日なんて財布まで取り出されました。

何だか中国の保安検査は「危険物を見つける」ためにやっているのではなく、彼らが「乗客のカバンの中に何が入っているか把握したい」というほうが優先されているような気がしてなりません。つまりX線を通しても「ん?何だこの影は?」となったら、それが危険物かどうかは関係なく確認するんです。おかげで保安検査場でカバンの中はぐちゃぐちゃ。こんなに取り出されたんじゃ、何か入れ忘れているものがあるんじゃないかと不安になります。私はこれだけが理由で飛行機に乗りたくなくなっちゃいます。

中国語で空港のことを“机场”と書きます。日本の漢字で書くと「機場」、つまり「飛機場」の略です。何だかあっけないですよね、「機場」って。私は日本語の「空港」という言葉のほうが好きです。空の港、すなわち空港。まあ英語の”airport”(エアポート)をそのまま漢字にしたんでしょうが(エア=空、ポート=港)、それでも中国語の「機場」よりはるかに趣があるように思います。

と思ったら、上海の虹橋空港に「空港」という言葉がありました。空港までの送り迎えをしてくれるサービスの看板に“空港接送机管家”とあります。訳すと「空港送迎コンシェルジュ」……みたいな感じでしょうか。おそらく日本語由来の表現で、たまに中国語でも使われているようです。

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