The time is gone, the song is over, thought I'd something more to say.

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世の中は便利になったけれど

外で昼食を取って職場に戻っていると公衆電話があるのに気付きました。いつも通っている場所ですから、毎日のように目にしていたはずなのです。なのに、ここに電話ボックスがあるという認識自体がなかったというのは、ちょっとした驚きでした。いかに自分が公衆電話というものの存在を意識しないで暮らすようになっているのか……と思いました。

日本だと災害時に役立つという理由で残されている公衆電話もありますが、中国でも同じなんでしょうか。硬貨を投入するタイプのようですが、中国では今や何事もスマートフォン決済になっちゃっているから、硬貨なんて持ち歩いている人はいないんじゃないかしら。

そんな私も最後に公衆電話を使ったのはいつだったか思い出せません。はっきり覚えているのは2011年。なぜ覚えているかというと、その年にガラケーをやめてスマホを使い始めたからです。実家に帰省した夏休みのとある夜、旧友とシコタマ飲んで終電で帰宅していると、うたた寝して乗り過ごしてしまったのです。私の地元の岡山は1駅1駅の距離が結構あり、徒歩で帰るのは厳しい。そこで弟に連絡して車で迎えに来てもらおうとしました。

けれどスマホを取り出すと……まさかの電池切れ!と言うのもガラケーって電池のもちは優秀で、1回充電すると長いと1週間近く電池がもつんですよね。当時ガラケーに慣れていた私はスマホのバッテリー残量が少ないまま外出してしまったのです。

私は深夜0時を回った無人駅で立ちすくんでしまいました。結局、駅前の公衆電話から(唯一電話番号を覚えていた)実家に電話をかけ、親から弟に伝えてもらう形で迎えに来てもらいました。30分くらい待ちましたけど、本当に来るのか不安だったのを覚えています。

ケータイのなかった時代ってこんな感じだったんですよね。友人と事前に「どこに何時集合」と約束。今だと遅刻しそうならLINEで「遅れそう」のひと言で済みますが、当時は家を一歩出ると連絡手段がなくなり、時間通りに着いた側は事情を知る術もなく待ちぼうけを食らうことになります。待てども待てども来ないので「ちょっとトイレに」と集合場所を離れた途端、遅刻した人間が到着する……みたいなすれ違いが起きるわけです。で、こういうことを防ぐために、かつてはどこの駅にも「伝言板」がありました。私が中学生の頃には都内の駅でもまだ見かけましたが、これも今では理解が難しいシステムでしょうね。

けれど、だからこそ当時は「時間厳守」の意識が強かったんじゃないかしら。あと、当時のほうが電話番号をよく記憶していたような気がします。実家の電話番号、祖父母宅の電話番号、両親のケータイ番号……スラスラ言えました。これも今ではスマホに登録された連絡先に頼りっきりです。世の中が便利になった反面、人間は退化してしまったのかな。そんなことを考えてしまいます。

会社宛の手紙

私宛に東京の本社から一通の手紙が転送されてきました。宛先は会社の部署名になっていて、私の名前は一文字も書かれていません。なぜ私のもとに?裏を見ると……女性の名前。ひと目で分かりました、中学時代の同級生です。

その同級生とは中学校を卒業して以来、成人式のときに一度だけ再会しましたが、それっきりの仲です。どういう風の吹き回し?読み始めてみると……私は仕事柄たまーにテレビに出ることがあるのですが、その放送を見たことをきっかけに連絡をくれたとのことでした。

女性から手紙が来たというと「そういう仲だった人?」と思われるかもしれません。いえ、全くそうではなく、ただの友人。サバサバした性格で、少し男勝り*1なところがありました。歯に衣着せぬ言い方が印象的で、芯がしっかりしていました。私に対しても厳しい物言いをしてくることがありましたが(笑)仲良くしていましたねえ。一緒に盛り上がった話題とか今でもハッキリ覚えています。まるで昨日のようですが、もう20年以上も前なんですね。

私は岡山出身ですが、中学時代は父親の仕事の都合で東京で過ごしました。当時は2000年代初頭で、中学生でもケータイを持っている人がほとんどでした。当時のケータイの電話帳は今に至るまで引き継いでいるので、手元のスマートフォンを見れば同級生の電話番号は大概残っています。

しかし今回手紙をくれた彼女の連絡先は全く分かりませんでした。と言うのが、彼女は当時ケータイを持っていなかったからです。ちょっぴり「昔かたぎ」なところがあり、デジタル系?のものを好んでいなかったんです、彼女は。きっと今もSNSなんてやっていないんじゃないかしら。さすがに今はスマートフォンくらい持っているんでしょうけど。けれど送られてきた丁寧な手書きの手紙を見て、変わっていないんだなあと微笑ましく思いました。会社の部署名が宛先になっていたのは、彼女も私の連絡先を知らなかったからでしょう。

中学生の頃から独学で中国語を勉強していた姿がとても印象的で、今でも祖母との会話で出てくるほど。当時は、なんで中国語なんだろう?と疑問に思ってしまい、ふざけてばかりの私は、つい配慮のない発言をしてしまったりと、嫌な思いをさせてしまったこともあったと思います。本当にごめんなさい。
今、中国で頑張っていることを知り、音読や字に対しても興味を持っていた意味がやっとわかりました。なりたい自分になる努力を、あの頃から続けていられることは、とてもすごいことだと思います。

そうそう、当時は周りの人からしょっちゅう「なんで中国語なの?」と聞かれました。その数年後、中国は目覚ましい経済成長を遂げ、今度は「中国語を学ぶなんて先見の明があったんだね」と言われるようになりました。けれどそんな打算的に学んでいたわけではありません。理由はただただ、中国語という言語そのものに興味があり、学ぶこと自体が楽しかったからです。

まあ、これだけでもかなり変わった中学生ですよね。こんな中学生がいたら、私だって「変わった子だな」と思うと思います。けれど当時学び始めた中国語は今でも続いていますし、今や「飯の種」として身を助けてくれています。曲がりなりにも仕事にすることができたのですから、ありがたいことではあります。ちょっと口幅ったい言い方で恐縮ですが、これは中国語をただただ好きで学び続けていたからかも、と今にして思います。

彼女の手紙を読み、当時、純粋に楽しく中国語の海を泳いでいた頃のことを思い出しました。初心を思い出させてくれた彼女に感謝です。ぜひ私も手書きで返事を書こうっと。

References
*1今はあんまりこういう言い方をしちゃいけないんですかね。

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