6月3日 曇 東京への旅 その3 【 その1 】 【 その2 】 【 その3 】 そろそろコンテストの表彰の時間になるので、日中友好会館へ戻る。 なんか…スピーチ前より緊張するんですけど…(笑)。 日中友好会館前で記念撮影。 部屋に入ってみると、まだ上級の部が終わっていなかった。 チャイナドレスのお姉ちゃ…いやいや、先生が中国語で「现在开始审查,请各位四点四十分在现场集合。(ただいまより審査を始めますので、4時40分頃にまたここに集合してください。)」みたいなことを言う。なんだ今からか。 日中友好会館の地下に休憩所みたいなとこがあったので、そこで少し休む。 N村さんのお父さんが撮ってくれた、結果を心配するぼぼよるの図(笑)。 時間オーバーしちゃったしなぁ…。発音も完璧だったのに…。 あと10秒あれば言い切れていたのに。くそぅ…。 40分になって会場に戻る。まだ審査は終わっておらず、「汉语桥(中国語の橋)」の本戦のVTRが上映されていた。今回の「中・上級の部」に参加した人は、中国の本戦に出場しに行くらしい。結構見ていておもしろい。 日本人、韓国人などの選手が出て中国語を話していたら普通なんだけど、欧米系の選手が中国語を話していると不思議な感じ。でも、その中国語がまた上手。 写真右の選手は「拉脱维亚(ラトビア)」という、「…どこ?」と言いたくなる国の選手。バルト三国ですね。左の司会者が「演讲还是回答问题(スピーチをするか、問題に答えますか?)」と質問し、ほとんどの選手が「回答问题(問題に答えます)」と言う。 写真で司会者が「来看一下你选择哪一道题(見てください、どの問題を答えますか?)」と聞いていて、選手は番号を答えたら、問題が表示される。この問題がまた難しくて、中国人でも答えられなさそうな問題。でも外国人選手はみんなホイホイと答えていくからすごい。…勉強しているのは言語だけじゃないのですね。 っと~!そこで表彰が始まる! みんな席に着く。 僕のすぐ隣に、スピーチが終わって話しかけてきてくれた「光田明正」院長がおられて、また僕にこんなことを聞いてこられた。 院長:「岡山のあなたの学校には、あなたのような人がいっぱいいるのですか?」 自分:「いや…僕は趣味でやっていますので…」 すると院長が周りの中国語の教授に僕のことを話し出した。その中には桜美林大学の学長さんもおられた。…おはずかしい(笑)。 まずは植田教授の講評から! 植田渥雄さんと言う、桜美林大学文学部中国語中国文学科の教授が講評を始める。その中に「非常に優秀であったのに、時間をオーバーした残念な人もいました」とのお言葉。…僕なんだろうなぁ、と泣きたくなる思いで聞く。 まずは参加賞の発表から。…って、なんで参加賞からなの!! つまり、ここで名前を呼ばれたら「あんたは3位でも2位でも1位でもない、ただの参加賞よ~ん」ってことである。自分の名前が呼ばれないことだけ祈っていると… ナントカ呼ばれなかった……(汗) その次に「審査員特別賞」というのがある。 そこで名前を呼ばれた。ぼぼよる、結果は「審査員特別賞」でした。 賞状と景品をもらったのだけれど…嬉しくなかった。 自分のために、どれだけの人が協力してくれたのか。 親だって、今回東京へ来るのにお金を払ってくれた。K村さんにはムリを言って泊めさせていただいた。「H・W」さんの家族には最初から最後までお世話になった。 …審査員特別賞では中国へは行けない。 …自分の中で情けなさがいっぱいになる。 そうだ、もう岡山へ帰らないと。新幹線のこともあるわけだし、明日は学校だ。 自分の結果が分かったところで途中で帰らせていただくことにする。 廊下に出る。廊下にいた係りの人が「お疲れさまでした」と言う。 その時。 後ろから追いかけてくる人がいる。 その方は、桜美林大学孔子学院の副学院長、上海同済大学客員教授の「楊光俊」先生であった。 先生:「…帰られるのですか?」 自分:「はぁ、新幹線の都合もありまして…。」 先生:「この後写真撮影があるのです。残っていただけませんか…。」 自分:「…あっ、そうですか…。わかりました…時間の許す限り(笑)。」 先生:「あなたのスピーチは本当に優秀でした。時間ロスさえなければ!本当に惜しいことです。時間ロスだけで-10点になるんです。」 …うそっ! 自分は時間ロスというみっともないミスだけのために10点も失ってしまったらしい。 続けて楊先生はとあることを勧めてくれた。 先生:「今度また、立命館大学孔子学院でスピーチコンテストがあるんです。」 自分:「……えっ!!」 先生:「是非、そちらの方にも出たらどうでしょう。」 自分:「本当ですか!!」 先生:「本日は立命館大学の先生が来られているので、話をしておいたら…。」 写真撮影が終わってから、楊先生に頼んで、立命館大学の先生に話をしてもらう。 立命館の佐々木孔子学院事務局長さんで、ホームページ上に詳細が載っているので、そちらを見てくださいとのこと。名刺をいただいた。 すると楊先生も名刺をくださった。 …次の瞬間! 植田教授が僕の所へ来てくださった! 植田教授とは、先ほどコンテストの講評をされていた、桜美林大学文学部中国語中国文学科の教授で、今回のコンテストの審査委員長をされているすごい方。 教授:「中村くんですか…、本当に惜しかったですね…。」 自分:「あぁ、ありがとうございます。」 教授:「もし時間ロスがなければ、あなたが1位になっていたかもしれない…ですね。」 自分:「……え?(汗)」 その後、教授といろいろお話をした。原稿は何百字程度がいい、などとアドバイスもいただき、最後に植田教授の名刺までいただいてしまった。 左が楊教授、右が植田教授。素晴らしい方に挟まれて、賢くなった気分(笑)。 植田教授は岡山出身の方らしい。岡山の牟佐(むさ)という所におられたらしく、僕もおばあちゃんの働く日本料理屋が牟佐にあることから、なじみがある場所で、しばらく岡山の話をさせていただいた。 ……………なんでだろう。 さっきまで審査員特別賞が嬉しくなかったのに、今は嬉しい。 僕は独学の中国語学習者だ。それなのに初めてのコンテストから1位を望んでいたなんて、高望みしすぎていたかもしれない。 それに有名な大学の教授が僕の所まで来てくださり、僕の中国語を「1位になれていたかもしれない」と褒めてくださった上に、名刺までいただいた。 自分がバカだったことに気付いた。 「H・W」さんと、このスピーチに向けて練習したことは、決してムダになっていない。そして、今回東京に来て久しぶりに色んな所へ行って遊んだではないか。YUEさんに会うことだって、できたではないか。 大学教授の頭の片隅に自分の名前が残っていれば、それだけでも意義のあるコンテストだったのではないか。 僕は楊教授と植田教授にお辞儀をし、立命館大学の先生に、きっと立命館孔子学院のコンテストに参加することを言って、会場を後にした。 帰りの新幹線の中、「H・W」さんからこのようなメールが来た。 咲かないサクラはあるけど、咲けないサクラはない…。 どんなサクラもいつかきっと咲くよ。どんな挑戦だって、いつか光を掴めるんだよ。 大切なのは「明日こそ咲ける」と信じること。それに向かって努力し続けること。 自分は今回のコンテストを通して多くのことを学んだ。 東京大学や慶応大学の参加者もいたけど、僕の中国語は決して彼らに劣ってはいなかった。自分の実力を披露し、大学で中国語を学んでいる人たちに独学の意地を見せつけることができた。僕がスピーチを始めたとき、観客が驚いた顔で僕の顔を見ていた、その顔は決して忘れられない。 中国語学習者、ぼぼよるはここにアリ! 自分の実力を披露するのと同時に、全国にはすごいヤツラがいることも知った。もちろん彼らは大学で中国語を勉強しているわけだし、今回の参加者には大学院生だっていた。それでも自分は努力次第で頑張れば、彼らを越すことができることも分かった。 立命館のコンテストに向けてがんばる! そして次こそ1位をとってみせる! ぼぼよる、これからも頑張ります。 【 その1 】 【 その2 】 【 その3 】 |
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