The time is gone, the song is over, thought I'd something more to say.

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上海出張

今週末から春節の連休が始まる中、上海に出張。

向かう飛行機は満席でした。私の両隣には(失礼な言い方ですが)身なりからして地方出身の方かなあ?という男性。離陸前にはスマートフォンをスピーカーホンにして身内と思わしき人と大声で電話したり、電話が終わっても大音量で“抖音”(中国版TikTok)のショートムービーを見始めたりと自由な方でした。春節で帰省するのかな?しかし上海の方ではないでしょうし、なぜ北京から上海に向かう便に乗っていたかは分かりませんけど。

上海って北京よりだいぶ南にある印象ですが、いざ飛行機を降りると北京と変わらないくらい寒かったです。仕事を終えてホテルに帰ったのは日付が変わる頃。朝が早かったこともあり、寝る前に楽しもうとせっかく冷蔵庫に冷やしておいたビールは半分しか飲まないうちに眠ってしまいました。

振替出勤日

今日は来週から始まる春節のための「振替出勤日」。それなに?おいしいの?……いや、もう詳しく説明はしまい*1。地元の中国人からも評判がすこぶる悪い制度が理由で日曜日なのに出勤です。

日曜日だというのに出勤時の地下鉄は平日のような混みよう。いや、まあ中国国内に限っては平日扱いなので、平日っちゃあ平日なんですけど。うちは日本の会社なんだし、どうせ日本が休みなら今日は休みにしちゃえばいいのに……とぶつぶつ言いながら今日も出勤するのです。

References
*1以前、中国の「連休」のからくりを説明したので、そちらをご参照ください。

長沙日帰り出張

出張で湖南省長沙に行きました。いろいろ事情があって日帰りです。

長沙に来たからには本場の湖南料理をいただきたかったのですが、日帰りなこともあってゆっくり食事をする時間もありませんでした。結局、道ばたにあった食堂。けれど一応、湖南名物の「鹵粉」がいただける店です。

湖南料理といえば辛いのが特徴ですが、食事の後に仕事を控えていたので汗ダラダラになるわけにはいかず辛くないものをチョイスしました。あっさりとした味でおいしかったです。

長距離の日帰り出張は体にこたえます。北京と長沙の距離は日本でいうと東京と沖縄くらい。まだ空が暗い早朝に北京の空港を出発し、帰宅したのは午後11時前でした。日本は昨日で仕事納めなんですか?こういうときに中国で働いているとちょっぴり悲しい気持ちになります(^^;)。

中国南部出張2日目

昨日から出張で福建省アモイに来ています。アモイは海に面していて、私の宿泊したホテルの客室からも(昨夜は暗くて分かりませんでしたが)よく見えて絶景でした。

アモイはかつて租界が設置されていたこともあって、その異国情緒あふれる町並みが特徴です。市内にある「コロンス島」は島全体が世界遺産になっています。私は仕事の関係で残念ながら市内を見る機会はありませんでしたが、こうしてホテルの窓から海を眺めているだけでジブリ映画「魔女の宅急便」の挿入曲「海の見える街」が脳内で再生されました。

ちなみに福建省アモイは台湾(中華民国)に最も近い場所と言えます。私が宿泊したホテルは上のGoogleマップでいうと西側(左側)にある「アモイ島」(“厦门岛”)。その東側(右側)に四国みたいな形をした島がありますが、これは「金門島」といって台湾が実効支配する島です。アモイとの距離は最短で6キロメートルしか離れていません。

実は私、数年前に「金門島」に行ったことがあります。

金門島から見たアモイ(2018年11月撮影)

この写真、金門島からアモイ側を撮影したものです。厳密には金門島の隣にある「小金門島」という島ですけど。奥に見えるビルが建っている場所がアモイですけど、こう見ると本当に近いです。昔は「私は金門島に住み、親戚がアモイに住んでいる」なんて人がたくさんいたとのこと。それが国共内戦によって突然「あちらは中国(中華人民共和国)で、こちらは台湾(中華民国)」と線引きされ、自由な往来ができなりました。それどころか島は対立の最前線となり、かつては大陸側から激しい砲撃を受けるなど極度の緊張状態にありました。

金門島の海岸、人民解放軍の上陸を阻むための杭(2018年11月撮影)

今でも私がよく覚えているのが金門島で育った高齢の男性が教えてくれた話です。子どもの頃、母親から「昼食ができたからお隣さんを呼んできなさい。一緒に食べましょう」と言われ、お隣さんの家に行ったら家族みんなが喉を掻き切られて死んでいたというのです。男性曰く、それは大陸側(アモイ)から泳いで渡ってきた人民解放軍の仕業なんだそうで、金門島の人たちは「水鬼」と呼んで恐れたそうです。もっとも台湾側にも金門島からアモイに渡っていく部隊がいたとのこと。戦争下、結局どちらも同じようなことをしていたんですね。

金門島の海岸に行くと上の写真のような杭が大量に刺さっていることに気付きます。これは中国の人民解放軍の上陸を阻むためのもので、台湾防衛の最前線だった島にはこうした戦争の痕跡がたくさん残っています。

こちらは今回撮影したアモイ側から金門島を望んだ写真です。ちなみに写真中央に赤と白の灯台が見えますが、これは金門島ではありません。その奥に見えるのがそうです。まさか今回、アモイ側から金門島を眺める機会があるとは思いませんでした。

かつては目と鼻の先にありながら往来のできなかったアモイと金門島ですが、2001年から人や貨物など限定的な往来が再開しています。船でたった30分余り、中国から最もすぐに行ける台湾として人気を集めています。

一方で、アモイの海岸沿いには巨大なスローガンも。

一国两制统一中国”(『一国二制度』が中国を統一する)

金門島の方向に向けて設置されています。中国(中華人民共和国)からすれば、台湾は未だに「解放できていない場所」。こういうのを見ると、アモイと金門島は行き来できるようになったものの、その関係性自体は国共内戦のときから変わっていないということをひしひしと感じさせられます。

中国南部出張1日目

出張で中国南部の広州に行きました。

ここ数日北京は最高気温でさえも氷点下になる日が続いていたので、広州はさぞ暖かいだろうと期待していたのですが、いざ飛行機から降りると……寒い。いや、北京に比べれば気温は大分高めなんですが、思ったほど暖かくありません。広州といえば、もう亜熱帯なんですけどね。私たちが訪れた日は曇りで風が強かったので、それも影響しているかもしれません。

着いたのがお昼だったので、とりあえず目に付いたレストラン(というより食堂)に入りました。同行していた中国人の同僚たちはお粥を注文し、私はビーフン。あとはせっかく広州に来たので「腸粉」(写真右側の白い料理です)なんかも頼みました。一見おいしくなさそうが、その実、米で作った薄皮に牛肉や豚肉、エビなどの具材を包んで作られた、広州や香港で食べられる有名な料理です。

広州での仕事は夕方頃に終え、その足で空港に向かって今度は福建省アモイに移動しました。と言うのが、明日の午前中にアモイ市内で仕事を控えているので、前日入りしておかないと間に合わないのです。アモイのホテルに着く頃には午後10時半を過ぎていました。はあ~クタクタ。

宿泊したのはコロンス島の海岸沿いにある「アモイX未来ホテル」(“厦门X未来酒店”)。予約するときにはあまり気にしなかったんですが、なんで「未来」なんだろうなあと思いながらホテルに着いたところ、ライトの色合いといい宇宙船のような雰囲気といい、確かに「未来」を彷彿とさせます。部屋の壁にタブレットサイズの液晶画面が付いていて、部屋の電気系統を全て操作できるようになっていました。日本でいうところの「変なホテル」みたいな感じかしらん。

ただ場所が少々辺鄙で周りに食事をできる店が全くなく、しようがなくフードデリバリーを注文しました。ホテルに着いたらしい配達員さんから「部屋までホテルの方が届けます」と電話が来たので待っていたところ、部屋のチャイム。はいはいーと出てみると、そこには可愛らしいロボットがいてデリバリーを部屋まで届けてくれたのでした(^^;)。未来ですねえ。

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