The time is gone, the song is over, thought I'd something more to say.

カテゴリー: ひとり言 (1ページ目 (100ページ中))

中華風メロンパン?

北京のセブンイレブンの菓子パンコーナーでこんなパンを見つけました。

これ、どう見てもメロンパンですよね。日本発祥だと聞いたことがありますが、さすがセブンイレブンならメロンパンを売っているんですね。

ただ……あれ?袋には“菠萝包”(パイナップルパン)と書いてあります。そうか、日本のメロンパンってメロンは入っていないんですよね。なぜ「メロンパン」って言うんだろうと不思議に思ったことがあります。確かに表面の模様だけ見れば、むしろメロンパンより「パイナップルパン」のほうが近いかもしれません。だから北京ではパイナップルパンで販売しているのかな。

と、ここに至って調べてみると、中華圏にはもともと「パイナップルパン」というパンがあるのだそうです!香港発祥だそうで、その見た目は日本のメロンパンにそっくり。

香港では屋台なんかでよく食べられるのだとか。で、実際に日本のメロンパンを真似たのか?なんて指摘もあるんだそうです。味も似ているそうで、へええ、興味深いですね。私は甘いパンはあまり食べないのですが、どんな味がするのかはちょっぴり興味があります。

これから迎える新年

日本では今日が今年の仕事始めというところが多いでしょうか。年末年始もぶっ通しで働き続けていた中国はいつも通りの月曜日です。むしろ春節(旧正月)が近付いてきたので、街に新年っぽい飾りが増えたかもしれません。

新しい年は「へび年」。日本ではすでにへび年ですが、旧暦の正月をもって干支が変わる中国は未だに「たつ年」です。すると今生まれた子どもは日本だとへび年ですが、中国ではたつ年……という不思議なことになります。日本ではあまり気にされないかもしれませんが、中国では大きい違いです。と言うのが、中国で龍は縁起が良いとされているので出生数が増えるくらいですから。

ちなみに私はへび年なので、2025年は年男です。年男って日本ではめでたい印象がありますが、中国では運勢が下がる「厄年」なんだそう。中国人の同僚に話したら「赤い下着を履いて邪気払いしなきゃ」って言われちゃいました。

さようならイトーヨーカドー

北京在住の日本人の強い味方、イトーヨーカドー。

私も赴任して以来、何度もお世話になりました。今はインターネットで何でも購入できるし、そのほうが安いんですけど、やはり「必要なときに買いに行ける」という実店舗ならではの安心感は何にも代えがたいものがあります。

そのイトーヨーカドー、数か月前から「閉店する」とか「撤退する」なんて情報が飛び交っていました。実際のところは「改装して生まれ変わる」という表現が正しいらしいですが、つまりどういうこと?よく分からなかったので、見に行ってみました。

遠目に見ると何だか寂しげです。緑の柵で覆われていて、もしや改装のため休業状態?と思ったら、出入りしている人たちが見えたので私も入ってみることにしました。

で、結論から言うと地下1階にあるスーパーは通常通り営業していました。お客さんも以前と同じか、もしかしたらそれ以上の人で賑わっていたかもしれません。

インターネットで見聞きした情報によると、今までは建物全体をイトーヨーカドーが管轄していましたが、今後は地下1階のスーパー部分のみになるのだとか。で、それ以外部分については別の現地企業が管轄することになるそうです。だから建物の名前も以前は“伊藤洋华堂”(伊藤洋華堂)=イトーヨーカドーでしたが、新たに“华堂・新辰汇”と名前を変えてやっていくのだとか。新店名にも“华堂*1というイトーヨーカドーの名残がありますから完全にイトーヨーカドーでなくなるわけではなさそうです。

一番お世話になっていたのは地下1階のスーパーだったので、その部分は残るということでちょっぴり安心しました。寂しいことは寂しいですけど、今後どのように変化を遂げていくのか期待も持ちながら見守りたいと思います。

References
*1华堂”(華堂)で「イトーヨーカドー」(伊藤洋華堂)の最後の「華堂」(カドー)の部分です。北京では以前、イトーヨーカドーは“华堂商场”(華堂商場)という名前で展開していたこともありました。

中国の年末年始

2024年も残りわずかとなりましたが、今日も今日とて通常通り出勤します。日本では年の瀬ムードぷんぷんですが、旧暦の正月(春節)を重視する中国ではただの平日。今日も明日も働くし、なんなら元日も当番勤務なので働く予定です。

中国に来て3回目の年末年始。あれ?去年やおととしはもう少し「年末っぽい」過ごし方をしていたような気がする?と思い、カレンダーを見てみると、去年やおととしは元日が土日とくっついて連休だったんですね。今回は週のど真ん中が元日なので、1日休みになるだけで12月31日も1月2日も通常運行です。分かっちゃいますが、味気ない年末年始です。

その代わり旧正月にはしっかり休むんでしょ?なんて言われそう。休めることは休めるんですが、旧正月の時期って日本は逆に平日でしょ?うちは日本の会社なのでポンポン仕事の連絡が入ってくるんです。まったくねえ、こっちは普段から日本が休日なら「連絡はやめておこう」とか結構配慮しているんですけどね。そういうことを全く考えてくれない人もいるもんだからヤンなっちゃいます。

世界はひとつになれない

大晦日のNHKの紅白歌合戦に出場する星野源さんが歌う曲目を変更すると発表しました。

当初、星野源さんは「地獄でなぜ悪い」を披露する予定でした。この曲は星野源さん自身も出演した同名の映画の主題歌。この映画の監督に関して過去に週刊誌などで性加害疑惑の報道があったことから、今月23日に曲目が発表されて以降、「地獄でなぜ悪い」を歌うことに批判的な声がインターネットなどで上がっていたのです。

この「地獄でなぜ悪い」は私も好きな曲の1つ。かつて星野源さんがくも膜下出血で倒れ、生死をさまよった際の闘病生活を歌った曲です。コミカルなタッチのアニメーションで構成されたPVが印象的で、この中にも(おそらく)病床に伏す星野源さん自身であろう人物が登場します。

この曲が映画の主題歌であることは知っていました。ただ私はあくまで「星野源の歌」として聴いていたので、件の映画監督と結びつけて批判されるとは思いもしませんでした。だって私は映画を見たこともなければ、恥ずかしい話、監督の名前だって知らなかったんだもの。曲自体が映画の内容、あるいは監督をイメージしているならまだしも……何だか私には曲が「巻き添え」をくらっているように感じてしまいました。

最終的に星野源さん側は曲目を変更することにしましたが、それに当たって公式サイトで次のように説明しています。

楽曲「地獄でなぜ悪い」は星野源の曲です。

星野は2012年にくも膜下出血で倒れ、その闘病期に病院でこの楽曲の作詞をしました。詞の内容は、星野の個人的な経験・想いをもとに執筆されたものです。後述する映画のストーリーを音楽として表現したものではありません。星野源の中から生まれた、星野源の歌です。

一方で、すでにSNS等で指摘されているように、のちに性加害疑惑を報道された人物が監督した映画の主題歌であること、映画タイトルにある「地獄」というワードにヒントを得たこと、映画タイトルと同名の楽曲であることもまた事実です。この曲を紅白歌合戦の舞台で歌唱することが、二次加害にあたる可能性があるという一部の指摘について、私たちはその可能性を完全に否定することはできません。

今回の歌唱楽曲は「アーティストの闘病経験を経て生まれた楽曲で、いま苦しい時代を生きる方々を勇気づけてほしい」という、紅白制作チームからの熱意あるオファーを受けて選定された経緯があります。しかし、そのオファーの意図から離れ、真逆の影響を与えうるのであれば、それはオファーを受けた私たちの想いに反してしまいます。そのため、今回同曲を歌唱することを取りやめることにいたしました。私たちは、あらゆる性加害行為を容認しません。

https://www.hoshinogen.com/news/detail/?id=73

星野源さん側が「楽曲『地獄でなぜ悪い』は星野源の曲です」と言い切ってくれ、何だか少し安心しました。その上で「紅白歌合戦の舞台で歌唱することが、二次加害にあたる可能性がある」という指摘について「完全に否定することはできません」ともしています。ここまで考えた上で紅白歌合戦の曲目変更を決心したんですね。私はその意向を支持します。

ただ今回、この曲を歌うことが「性加害の肯定」という認識とイコールと受け止められたことがとても残念です。自らの制御が及ばぬことが理由で命を懸けて作った作品が簡単に抹消されてしまうやるせなさ。件の監督のために星野源さんがどこまで責任を負わないといけないのか、いわゆる「キャンセルカルチャー」について真剣に考えないといけないと感じます。

星野源さんの公式サイトは次の文章で締めくくっています。

この曲が多くのファンの皆様に愛していただいている楽曲であることを、私たちはよく理解しています。また、星野自身もとても大切にしている楽曲であることはこれからも変わりません。

紅白制作チームと協議の結果、今回は曲目を変更し、「ばらばら」を弾き語りします。

ご期待いただけますと幸いです。

改めて「地獄でなぜ悪い」に代わって歌われる「ばらばら」。星野源さんが大ブレイクする前に歌われた曲です。私は個人的に初期の星野源さんに好きな曲が多いので、私的には大歓迎~。しかしこの曲を選んだ星野源さんの隠れたメッセージ、私は何となく分かるような気がします。それは歌詞を読むと分かってきます。

世界はひとつじゃない
ああ そのまま ばらばらのまま
世界はひとつになれない
そのまま どこかにいこう

星野源『ばらばら』

追記)

朝日新聞が今回の騒動を伝えた記事にジャーナリストの江川紹子さんがコメントを寄せていましたが、まさに私が抱えていた「もやもや」を言語化してくれていました。一部、ご紹介します。

反論というほどではないのですが、どうしても疑問が浮かんでしまいます。「罪のない作品」に責任を科すことの是非、その責任はいつまで負い続けなければならないのか、という問いです。

星野さんが「地獄でなぜ悪い」を作ったいきさつや、それに込めた思いを伝えたうえで作品を披露する、という方法もあるでしょう。そういう道をとることもなく、「新たな加害を生む可能性ある作品」という評価を下し、これを排除し、芸能界での性加害やハラスメント問題の責任を負わせることが果たして適切なのでしょうか。そして、その責任はいつまで続くのでしょうか。

「罪のない作品」を排除し、罪のない人の表現活動を狭めることによってではなく、被害の現実を伝えたり法的な対応をしたり、あるいはさまざまな教育・啓発活動を展開する中で行われるべきではないか、という気がしています。

 

«過去の 投稿

© 2025 BOBOYORU.NET

Theme by Anders Noren上へ ↑