The time is gone, the song is over, thought I'd something more to say.

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命の重さ

先日、韓国で犬食を禁じる法案が国会で可決されたというニュースを目にしました。

韓国、犬肉処理・販売を禁じる法案可決 食用目的の繁殖も禁止(AFPBB News) - Yah...
【1月10日 AFP】韓国議会は9日、犬肉の処理および販売、食用を目的とした犬の繁殖を禁止する法案を208対0で可決した。韓国には犬肉食の伝統があるが、動物愛護団体は長年、国にとって恥ずべきことと批

犬食と言えば確かに韓国が有名です。とは言え、私は韓国に3回旅行しましたが犬食を食べる機会は一度もありませんでした。韓国でも犬食に反対する人が増えていたといいますから、実際に食べる人も減っていたのでしょう。法案の採決では反対する議員がゼロだったということが物語っていると思います(棄権は2人いたようです)。

私は小さい頃から犬のいる環境に育ちました。最初は「ハッチ」という名前のシェットランド・シープドッグ。私の母が結婚する際、自分の両親(私の祖父母)へ「寂しくなるだろう」と送ったそうです。私が生まれる前から祖父母宅で飼われていたハッチは、私にとって「いるのが当然」の存在でした。祖母はいつも誰よりもまず最初にハッチに食事を用意していました(ドッグフードではなく手作りです)。祖母に手を引かれてハッチの散歩にもよく行きました。散歩中にハッチが突然逃げ出し、私が走って追いかけてつかまえことも覚えています。

ハッチと、ハッチをなでる祖母

ハッチが死んだのは私が小学2年生のときでした。私が生まれて初めて「死」と向き合ったのも、このときだと思います。寒い冬の火曜日でした。ハッチが日に日に弱っていることは祖父母から聞いていました。祖母からハッチが死んだと連絡を受け、平日でしたが祖父母宅に駆けつけたのです。横たわったハッチの体をなでると冷たくて硬かったこと、今でも忘れません。

その後しばらく犬とは無縁の生活が続きましたが、私が高校生になった年にウェルシュ・コーギー・ペンブロークを飼い始めました。名前は「ゼロ」。もちろんハッチのことは大好きでしたが、自分の家で飼っていたゼロとの親密ぶりはそれ以上でした。

思い出すのはゼロのぬくもり。寒い冬に私の膝にちょこんと乗ってくるのですが、それが温かいのです。ゼロが生き物で人間と同じように「生きている」ことを感じました。私たちが兄弟げんかをしていると必ずゼロがギャンギャン鳴いて仲裁に入ってくるのも不思議でした。家族が争っているのを見るのが嫌だったのかな。あと私がゼロに顔を近づけてキスをしようとしたら(笑)怒って噛みつかれたこともありました。私の唇には当時の傷が残っています。今となってはゼロとの思い出です。

散歩中のゼロ(2006年4月撮影)

私がゼロと一緒の時間を過ごす上でラッキーだったのは、就職して最初の数年間を香川で過ごせたことです。香川から実家の岡山へは車で1時間半ほどで、しょっちゅう帰っていました。当時ゼロは晩年期に差し掛かっていましたが、そんな時に一緒にたくさん過ごせたのは幸せだったと思います。

ゼロが死んだのは私が香川から東京に異動した年、それも異動してまだ1か月半くらいのときでした。蛍光灯ばかりが照らす東京のオフィスで働いていると、突然父親から「ゼロはもってあと数日」という連絡をもらったのです。私はいてもたってもいられず、翌日の始発の新幹線に乗って岡山に飛んで帰りました。家に着くまでに母から何度も「もう間に合わないかもしれない」とLINEをもらいましたが、結果的に私が着くまでゼロは生きていました。弟も東京から帰ってきていました。ゼロはぜーぜー息を吐いて苦しそうでしたが、家族みんなが集まっているのを不思議に思ってか、体を起こして一人一人の顔を順番に見つめていたのを今でも忘れられません。家族みんなに撫でられながらゼロは息を引き取りました。

耳かきをしてもらうゼロ(2006年4月撮影)

ゼロの死によるショックは相当なものでした。私がそうですから、両親にとっては如何ばかりかと思います。岡山市内の火葬場で荼毘に付して帰宅すると「ゼロのいなくなった家はこんなに静かだったのか」と感じたことを覚えています。

それから次の犬を迎えるまでに時間はかかりませんでした。ゼロが元気だった頃、みんな「次は別の犬種でもいいね」なんて話していましたが、ゼロがいなくなってぽっかり空いた穴を埋められるのはコーギーしかいませんでした。ゼロが虹の橋を渡ってから2か月後、トライカラー*1のコーギー「サリー」を迎えました。さらにその数年後にはゼロと同じレッドのコーギー「シュガー」も加わり、今は賑やかな日々を送っています。

右からサリーとシュガー(2022年8月撮影)

犬をペットとして飼う行為は太古の昔から見られますが、時代によってその「命の重み」は違ったかもしれません。私の祖父はゼロを飼い始めた頃に「ワシが小さかった頃はお金を出して犬を飼うなんて信じられなかった」と言っていましたが(笑)今も「犬は犬、ただの動物」という人はいると思います。犬を家族同様に可愛がる人もいれば、犬を食す文化だってあるわけですから。

一方、今年に入って犬を始めとするペットの「命の重さ」を意識する出来事が相次ぎました。ひとつ目は1月2日に東京の羽田空港で日航機と海上保安庁の航空機が衝突した事故での話です。

日航はまた、事故機に搭乗した乗客からペットを貨物室で預かっていたが、救出できなかったことを明らかにした。日航によると、乗客からペット2件の預かりがあり、客室と同じ温度・湿度となるよう空調管理された貨物室で運んでいた。

読売新聞オンライン(2024年1月4日)

乗員・乗客は全員脱出できたものの、残念ながら貨物室にいたペットは救出できなかったということです。旧ツイッター、Xでは「生きている命をモノとして扱うことが理解できない」とか「人間の避難が最優先でペットが後回しになるのはしようがない」などと様々な議論が起こりました。一方で今回の事故を受けて、こんなニュースも注目を集めました。

スターフライヤーは、コロナ禍の影響が続いていた去年3月、飼い主がペットと一緒に空の旅を楽しんでもらうことで利用客を増やそうと、客室に犬や猫を持ち込めるサービスを始めました。

NHK NEWS WEB(2023年12月6日)

厳密に言うとスターフライヤーの取り組み自体は日航機の事故前からあったものですが、今回の件をきっかけにペットの輸送に注目が集まったことで今後こうした動きはますます広がっていくのかな、という気がします。

命の重さを意識する出来事のふたつ目は1月1日に発生した能登半島地震です。私の個人的な印象かもしれませんが、今回の地震ではペットに関するニュースが多いように思います。

ざっと検索しただけでも、これらの記事が見つかりました。人間の避難はさることながら、こうしてペットの境遇も災害報道で取り上げられるところ、犬や猫などペットの「命の重さ」が変わってきているのかなと感じます。

話は戻って、冒頭に書いた韓国の「犬食文化」。私も犬は家族同様の存在だし、それを食べるだなんてあり得ない!……と思っているほうの人間ですが、経験として「一度くらい」は食べてみてもいいかなと思っていました。ですが韓国の犬食文化は私が食べるのを待たずに消えることとなりそうです。まあ、でも考えてみればペットとして幸せな暮らしを送る犬が増えるにつれて、犬食文化は消えゆく定めにあったとも言えるでしょう。これも「命の重さ」が変わったことによる出来事だったかと思います。

コアな犬肉ファンたちは寂しがるかもしれませんが、倫理観や法律などと同様、食文化も時代の変化によって変わるものだと割り切るしかないでしょうね。

References
*1コーギーの毛色には数種類あり、黒色の毛が混じるものを「トライカラー」と言います。一方でゼロのように明るい茶色(ベージュ)の毛色は「レッド」と言います。

北京で見かけた犬猫譲渡会

今日は土曜日ですが休日出勤。自宅の最寄り駅に向かう途中に近所のショッピングモールを通ったところ、いつもは見ない人だかりができていました。

掲げられていた看板には“用爱终止流浪”(愛で放浪を終わらせて)の文字。中国語では野良犬を“流浪狗”(放浪犬)、野良猫を“流浪猫”(放浪猫)と呼ぶので、ここでいう「放浪を終わらせて」というのは野良犬や野良猫を減らしましょうという意味ですね。行われていたのは飼い主のいないワンちゃんやネコちゃんの譲渡会のようです。

ケージで囲まれたスペースにワンちゃんが10匹ほど。見たところ、どのワンちゃんも雑種のようです。みんな尻尾を振って近寄ってくるので人間のことは怖がっていませんでした。ネコちゃんも別の場所にいて、土曜日なこともあって多くの親子連れが物珍しそうに眺めていました。

中国にもこうした動物愛護の文化が根付きだしているんだなあと感じさせられました。私が十数年前に留学していた頃は「犬なんてたかが動物」という考えの人がもっとたくさんいたように思います。動物愛護というムーブメントも人間自身の生活が満たされてこそ?と思うと、中国がそれだけ豊かになったということなのかなとも感じます。

北京の夜は早い

ここ最近、仕事が忙しくて帰宅が遅くなる日が続いています。

毎朝、通勤ラッシュで混雑している地下鉄の車内も夜になるとこんな感じ。全然人がおらず、ガラガラになります。でもこれ、22時半です。日本だと22時半ってまだ人がそこそこいますよねえ。北京の夜は早い……いや、日本が遅いのかもしれません(^^;)。

ゴジラとテスラ

中国では私が十数年前に留学していた頃に比べて国産車(中国の自動車メーカー)を見かけることが増えました。それでも日本車の人気は根強いようで、街なかで見かける外車の中では圧倒的に日本車が多いように思います。ただ中国の日本車をよく見てみると……車体に見慣れぬ会社名が書かれていることがあります。

こちら、トヨタの車だということは分かると思いますが、左下に“一汽丰田”と書いてあります。“丰田”というのは中国の漢字で書いた「豊田」です。その前の“一汽”と書いてあります。

こちらは日産の自動車。右下に“东风日产”と書いてあります。“日产”というのは「日産」ですね。けれどやはり社名の前に“东风”(東風)と書いてあります。

実はいずれも中国の自動車メーカーで、それぞれ「中国第一汽車集団」と「東風汽車集団」のことです。外国の自動車メーカーが中国国内で生産する場合、法律で「必ず中国企業と一緒に商売をしなさい」ということになっています。そのため多くのメーカーは中国国内の会社とタッグを組んで第3の会社を立ち上げます。これを「合弁企業」と言います。“一汽丰田”は中国の第一汽車とトヨタが立ち上げた合弁企業だし、“东风日产”は中国の東風汽車と日産が立ち上げた合弁企業です。

日本以外の自動車メーカーも同じで、例えばフォルクスワーゲンも第一汽車と合弁して“一汽大众”を立ち上げています。ちなみに“大众”(大衆)というのはフォルクスワーゲンの中国語社名です。

中国で合弁というと「技術が漏洩する」といったマイナスの印象がつきまといます。けれど中国政府がそう決めている以上、従わざるを得ないし、従ってでも中国という一大市場で商売ができるということは魅力的だということです。それに中国は複雑怪奇なシステムがいろいろあるので、現地に工場を作って人事労務の保障など中国の法律や役人との折衝する上で無駄な出費を抑えて運営していくのは外国人には難しい……いえ、何なら無理なところもあり、その点、合弁であればスムーズです。

一方、現地の中国企業と合弁せずに進出したのがアメリカの電気自動車メーカー「テスラ」です。2018年、米中貿易摩擦を背景に中国は新エネルギー車市場における外資の出資制限を撤廃し、テスラは外資の自動車メーカーとしては初めて独資で中国市場に参入しました。なのでテスラの自動車は“特斯拉”(テースーラー)とだけしか書かれていません。

私は“特斯拉”を見る度にゴジラやモスラのイメージが浮かんでなりません。と言うのが、中国語でゴジラのことを“哥斯拉”(グァースーラー)と書くのです。モスラも“摩斯拉”(モースーラー)で、いずれもテスラを意味する“特斯拉”と一文字違い。中国で“特斯拉”と書かれた車が走るのを目にする度、怪獣が走っているように思えちゃう……って、私だけか(笑)。

出張Wi-Fiルーター110番

私と同じように北京で働いている同業他社の日本人の先輩から頼まれ事があって、ご自宅におじゃましました。細かいことは書きませんが、ご自宅のWi-Fiルーターの設定を依頼されたのです。我ながらまるで業者さん、さしずめ「出張Wi-Fiルーター110番」といったところでしょうか。

別に自分が人一倍デジタルに詳しいと思ったことはありませんが、多少「好き」なこともあって昔からパソコンを始めとするデジタル家電の初期設定や不具合があった際の対応を依頼されることが多いです。そうそう、北京の今の上司もパソコンで分からないことがあると決まって私を呼びます(^^;)。まあ、私でお役に立つなら、と思ってお助けしていますが。今日、依頼のあった先輩はいつもよくしてくれる方なので快く引き受けました。

少々手こずったこともあって2時間ほどかかってしまいましたが、無事に設定完了。するとお礼だと言って、お酒をごちそうしてくれました。冷蔵庫から取りだしたのは冷酒、年末年始に一時帰国した際に購入してきたものだそうです。先輩は辰年生まれの年男だということで、龍の名前が付く日本酒でした(が、詳しい銘柄は忘れてしまいました)。

ちょうど午後4時頃の黄昏時でしたが、ちょっと早めの晩酌タイム。貴重なお酒をいただいちゃって、私がお手伝いしに来たはずなのに、結局私が「してもらった側」になっちゃいました。

後輩と羊肉串

久しく会っていない大学時代の後輩から連絡があり、北京に来たので一緒に食事でもしませんかと誘ってもらいました。卒業して以来なので実に10年ぶりです。うれしいなあ。私自身はどちらかというと後輩っぽいポジションのほうが得意だったので(笑)年上の先輩には可愛がってもらったほうですが、こうして10年が経っているのに声を掛けてくれる後輩がいるというのは、なんかこう、ありがたいなあとしみじみ思います。固い言い方ですけど、大学時代の財産ですね。

中国に来てから食べた羊肉の串焼き(“羊肉串”)がずいぶんおいしかったと気に入っているようだったので、串焼きの食べられる店をチョイス。地下鉄5号線の北新橋駅で待ち合わせすることにしました。彼のほうが早く着いたようなので私から「どこにいる?」と聞くと「噴水の見える場所にいます」とのこと。噴水……?北新橋駅に噴水なんて無かったはずだけど。

いざ地上に出ると……あら、確かに噴水が見える(笑)。

いえ、噴水ではなく道路上のマンホールから勢いよく水が噴出しているのでした。水道管が破裂したのかしらん。公安も出動していましたが道路の規制は特に行われておらず、道行く車がまるでカーウォッシャーの要領で水を浴びてゆきます。思いがけない目印のおかげで後輩とはすぐ会うことができました(^^)。10年ぶりくらいの再会だというのに、最初のひと言は「北京っていつもこんな感じなんですか」。いや、私も見たのは初めてだけど(^^;)。

向かったのは北京のグルメストリート、簋街にある“很久以前羊肉串*1という店。中国国内に何店舗も展開するチェーン店なんですけど、味はしっかりしています。以前に妻と来たときは席に案内されるまで2時間近く待ちましたが、今日は平日ということもあってすぐでした。

ノービザの時代ならいざ知らず、自分でビザを取得し、天津から山東省を経由して北京まで1人でやって来るなんて、いやあ、さすがです。だって後輩は中国語を専門に勉強していたわけではないんだもの。北京での宿は什剎海の胡同にあるホテルなんだそうで、これまた北京の楽しみ方がよく分かっているなあ。最後はお互い酔っ払ってハグをしてお別れ。今回の旅行で中国をずいぶん気に入ってくれたようで、北京在住の身としてはとても嬉しいです。日本と中国の間にはいろいろありますが、こうして等身大の姿を見に来ることは(日本人であれ中国人であれ)大切だなあと思います。

References
*1店名を日本語にすると「ずっと昔の羊肉串」。

新しい加湿器の相棒

壊れかけの(すでに壊れてる?)パナソニック製の加湿器のその後の話。

本当の幸せ教えてよ「壊れかけのKashitsuki」
先日来使っていたパナソニック製の加湿器がまたおかしくなりました。え、この前、新品に変えてもらうって言っていなかった?という話ですが、その新品がまたおかしくなっちゃったのです。新品が届いたのは1週間ほど前、いやあ本当に助かりました。北京の乾燥は本当に半端ではないので、加湿器なしで夜に布団に入っていると肌がかゆくてしようがないのです。加湿器のない環境では心なしか妻の喉も調子が悪いようで、ビショビショに湿らせたバスタオルを枕元に掛けるなどして対策していました((それでも翌日の朝にはすっかり乾いちゃって...

修理サポート窓口から替えの部品が入荷したら連絡すると聞いていたのに一向に音沙汰ないので、私のほうから「部品はいつ届くのか、届いたとして私の手元にある加湿器はどうすればいいのか、修理完了までトータルでどのくらいかかるのか、時間がかかるなら加湿器をもう一台買いたいが何の音沙汰もなくて対応のしようがない」と(半ば怒り気味で)連絡を入れました。すると返ってきたのは「先ほど工場から部品が入荷したと工場から連絡が来ました」とメッセージ。蕎麦屋の出前かっ!

そもそも日本ならまず「この度はご迷惑をおかけしております」のひと言くらいありそうなところ。向こうからのメッセージにはニヤニヤした絵文字なんか使っちゃっていて、こちとら笑ってる場合じゃねえんだよ!なんてところです。乾燥で体調を崩さないようわざわざ数万円する加湿器を買ったのに、肝心なときに動かないからわたしゃ最近のどをやられてしまったよ(ぜいぜい)。

で、もう1台買っちゃいました、フィリップス製の加湿器。湿度が色で分かるランプが付いていてスタイリッシュです。仕様によると値段、性能は壊れちゃったパナソニック製と同等なんですが、構造は見た感じずいぶん単純。バケツ状の入れ物に水を入れ、そこに扇風機のような羽根のついたフタをするだけ。水を入れる部分にはフィルターが入っているので、おそらく水を吸わせたフィルターに風を当てて蒸発させているんでしょうけど……こんな簡単な作りでいいのかしらん。

まあ、パナソニック製には2度の故障で困らされたのだから無理は言いますまい。就寝時に使った際、枕元に置いた湿度計は50%を超していましたから(いつもなら20%台です)頑張ってはくれているみたいです。新しいパートナーとして一緒に冬を乗り切りたいと思います。

住んでみなきゃ分かりません

職場の上司の自宅にお誘いいただいて新年会。中国では今日からすでに仕事始めですが、日本では正月三が日真っ只中ということで。

私の上司の家は北京の「国貿」(こくぼう/グオマオ)というビジネスエリアのど真ん中にあります。オフィスビルなんかが多くて仕事で人と会うときくらいしか来る機会がないんですが、夜に来るとギラギラ度がすごいですねえ。

実は私も北京に来たばかりの頃、ここ国貿エリアのマンションも検討しました。家賃が高かったので断念したんですが、こうして改めて来るとオシャレですねえ。近所には高級ブランド店が建ち並び、ハイソな雰囲気がぷんぷん漂っています。

ただ上司に言わせると「もう一度選べるなら国貿には住まない」とのこと。高級ブランド店ばかりがあっても日々の生活には何の助けにもならないと言うのです。確かに、私の住むマンション近くは良くも悪くも雑多な「庶民的雰囲気」ですが飲食店は揃っていますしスーパーもあるので買い物にも困りません。いざ生活するとどんなものかは住んでからしか見えないのかもしれませんね。

突然消えた日本料理店

今日のお昼は日本料理を食べたいと思い立ち、会社近くにある日本料理店に足を運びました。店舗はマンション(かな?)の敷地内にあるため、まずはマンションの門をくぐらないといけません。ただ今日は門が閉まっているのです。おかしいなあ、今まで閉まっていたことなんてなかったのに……と門の外から日本料理店をのぞいてみると……

な、なんと!!めちゃくちゃに解体されてしまっています。この店いつも賑わっていました。閉店するような状況ではなかったはずで、一体どうしてこんなことになってしまったんでしょう。

よく利用していた身としてはリニューアルだと信じたいところですが、敷地の再開発で強制立ち退きという可能性も否めません。いずれにせよ何の前触れもなく解体するのがこの国らしい。仮にリニューアルだったとしても「工事はいつまで、リニューアルオープンは何月何日」くらい案内がないと、客が離れていくように感じます。ま、店主はそうしたかったのに「何らかの力で」解体工事がそれだけ急だったのかもしれません。本当のところは分かりませんけどね。

アーイーさんに来てもらって

中国で子どもを産むと決めてから、周りの人たちから「アーイーさんを雇った方がいい」と口々に言われます。アーイーというのは“阿姨”、中国語で「おばさん」という意味。この場合はお手伝いさんのことを指します。こちら(中国)で出産を経験した日本人駐在員は大体アーイーさんをお願いしているそうで、今日は知り合いの日本人駐在員の方から推薦いただいたアーイーさんと面談というか、会ってお話をするために家にお招きしました。人となりが分かればと思って、です。

中国は日本以上に産後の肥立ちを重視します。昔から「坐月子」(ズオユエズ)という文化があり、子どもを産んだ女性は産後1か月間徹底的に療養します。いろんな細かい決まりがあって、健康を保つために外出することはおろか、風呂に入ることも禁止されているそうです。今は上水道が整備されて清潔な水が摂取できるようになったので入浴などは認められるみたいですが。私たちがお世話になっている病院も敷地内に「坐月子センター」という施設があり、五つ星ホテルみたいな部屋(それも1人1室)で産婦が24時間サポートを受けられるようになっていました。もちろん出産とは別料金、通常クラスの部屋でも28日間で300万円近くかかるみたいでびっくらこきましたけど。

もちろん中国人みんなが豪華な坐月子センターに入るわけではありません。大体は夫婦互いの両親にお世話になりますが、今は外の力に頼る人も多いようで坐月子専門のシッターさん(“月嫂”)という仕事もあるようです。私たちがお願いしようとしているのは普通のお手伝いさんなので厳密には違うんですけど、中国で妊娠・出産を経験した日本人駐在員たちが「頼れるところにはできるだけ頼った方がいい」とアドバイスしてくれるので、じゃあお願いしようかな、と思い立ったわけです。

今日お会いしたアーイーさんは内陸部・安徽省のご出身。日本人駐在員の家庭を中心に20年以上働いているという方でした。日本語は話せませんが、とても礼儀正しい印象を受けました。

ただ私たちもお手伝いさんなんて雇ったことがないし、そもそも初めての出産なので何を手伝ってもらったらいいのかも正直よく分からないんです。向こうの方がよっぽど経験者だし、まずは「今までの日本人家庭ではどんなお手伝いをしていたんですか」と聞いてみました。するとアーイーさん曰く「子どものお世話がメインです。私が子どもの面倒を見ている間に旦那様や奥様には買い物をしてもらったり遊びに行ってもらったり、ご夫妻の自由な時間を確保するために私が働きます」。

え、ええーっ?それって家でアーイーと自分の子どもの2人きりだけにしちゃうってこと?

これって駐在員の間では当たり前のことなんでしょうか。自分たちが遊びに行くためにお手伝いさんを雇うわけじゃないというか……初めての子ども(それも新生児)を自分たちの両親ならまだしも、他人に任せるって、ねえ。妻の負担軽減なのが一番の目的なのは当然ですけど、やはり子育ては苦労してナンボというか、基本的な部分は自分たちできちんと担って父親・母親としての自覚を持つべきって思っちゃうわけですが、考えが古いのかなあ。経験者から「あんたらは子育ての大変さを分かっていない」って怒られちゃうでしょうか。

まあ、もしかしたらアーイーさんからすれば「どのくらい働けるか」は実入りに直結するわけで、なるべく長く働きたいのかもしれません。私たちがアーイーさんに手伝ってもらいたいのは主に水回り、料理、あとは妻が少し休むときに子どもを見ていてもらうという感じ。そう伝えると、ボソッと「するとお手伝いすることはそこまで多くありませんね」と話していました。かといって、アーイーさんの収入のために私たちが無理やり時間をつくって外出するのは……本末転倒です。

まずは私たちのニーズとアーイーさんの働きたいニーズをどこまで調整するかということになるかと思います。私たちが「1日に2時間くらい来てくれれば良い」つったって、アーイーさんからすれば「それじゃ食っていけない」ということになるでしょうし、難しいですねえ。まあ、妻の要望を聞きながらボチボチ詰めていきます。

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