The time is gone, the song is over, thought I'd something more to say.

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春困秋乏夏打盹,睡不醒的冬三月

昨夜(というか、日付は今日だったんですが)の帰宅が午前2時過ぎだったこともあり、朝はずいぶんゆっくりさせてもらいました。とは言え、明日の週明けに向けて大理出張のまとめもしなければならず、昼から自宅のデスクに向かってお仕事。

たっぷり寝たはずですが、それでもウトウトしてしまいます。

中国語に“春困秋乏夏打盹,睡不醒的冬三月”という言葉があります。訳すと「春は眠く、秋は疲れやすく、夏はウトウト、そして冬のみつきは目が覚めない」。おお、つまり夏はウトウトするものなのか……と言いたいところですが、よく読むと言っているのはつまり「年中眠い」ってことですな。

感謝する日本、歓迎する中国

私は公共交通機関のアナウンスが好きです。こうして中国に住んでいると、例えば地下鉄の車内アナウンスを聞いているだけでも文化や習慣の違いが感じられます。

例えば、日本は「感謝」、中国は「歓迎」の違い。

  • JR東日本をご利用くださいまして、ありがとうございます。
  • 東京メトロをご利用いただきましてありがとうございます。

日本はいずれも「利用してくれて、ありがとうございます」という感謝を表しています。一方、中国語の放送では「歓迎」を表します。

こちらの動画は北京地下鉄2号線の放送です。冒頭の部分では次のように言っています。

  • 乘客您好,欢迎乘坐地铁2号线列车。

日本語にすると「乗客の皆様、こんにちは。ようこそ地下鉄2号線の列車にご乗車いただきました」。日本の車内アナウンスのような「ありがとうございます」ではなく「ようこそ」を使っています*1。日本で「こんにちは!JR東日本にようこそ」と放送したら、まるでテーマパークのアトラクションに乗っているような気分になるでしょうね。

ほかに中国らしいな、と思うアナウンスは“文明乘车”(文明的に乗車しましょう)でしょうか。この場合の「文明」というのは日本語と少し違い、中国語では「マナーを守る」とか、そういう意味合いの方が強いです。つまり「マナーを守って乗車しましょう」というわけです。

文明乘车。使用电子设备时,请勿外放声音。爱心礼让,请把座位让给需要帮助的乘客。

マナーを守って乗車しましょう。電子機器を使うときにはスピーカーから音を出さないでください。思いやりを持ち、礼儀正しく振る舞いましょう。必要としている方に籍をお譲りください。

「スピーカーから音を出さないでください」というのが中国らしいですね。中国の地下鉄に乗ると大音量で動画を見たり、スピーカーから音を出して通話したりする人がたくさん見かけます。

ちなみに私が留学していた頃は「席を譲りましょう」という放送の前に“尊老爱幼是中华民族的传统美德”(年長者を敬い幼い子を愛するのは中華民族の伝統的美徳です)というアナウンスもありました。あまり日本で「民族の伝統的な美徳」なんて表現を聞かないので、当時は「お、おう……」と思っていましたが最近は聞かなくなりましたね。

そもそも中国は日本以上に「席を譲る」という意識については優れているように思います。わざわざ民族だとか伝統だとか言っちゃうとかえって「やらしく」見えちゃうと思うのですが、そういう考えこそ「日本っぽい」のかもしれませんね。

References
*1ちなみに北京でも終点の駅に到着するときには「ご利用いただき、ありがとうございました」と放送していたように記憶しています。

どうぞご参考ください

今日は朝から雨が降っていました。

私の住むマンションから地下鉄の最寄り駅までは繋がっているため、濡れずに行くことができます。ただ職場近くの駅に着いたら、そこからは屋根のない場所を歩いて向かわなければなりません。一体、いつぶりでしょう……北京で傘を差したのは。

さて、ちなみに今日の昼休み、職場で中国人の同僚と日本語で会話をしていると、その方が「どうぞご参考ください」と言いました。私は「ご参考『にして』ください、ですよ」と伝えると「なぜダメなのですか」と聞かれました。そう聞かれると……なぜダメなんでしょう。

日本語では漢字の名詞に「する」をつけて動詞化することができます。

  • 指摘+する=指摘する
  • 返事+する=返事する
  • 遠慮+する=遠慮する

しかし何故か「参考」という言葉について、日本語は動詞として使いません。

  • 参考+する=(誤)参考する

この場合「参考する」ではなく「参考にする」のように、必ず「に」を入れて名詞として使います。不思議ですね、ちなみに「参照」の場合は「参照する」と言えて「参照にする」は不自然です。あくまで「参考」に限った場合のようです。

では「ご~ください」の話に戻ります。なぜ「ご参考ください」と言えないのか……これは「参考する」と言えないのが原因と言えそうです。というのが「ご~ください」と言えるのは「名詞+する」の動詞化が成り立つものに限るからです。

  • ご指摘ください
  • ご返事ください
  • ご遠慮ください

だから同じ理由で「参照」という言葉の場合、「参照+する」が成り立つので「ご参照ください」と言えるわけです。「参考」は名詞として使えませんから「ご参考にしてください」とか「ご参考になさってください」と言う必要があるわけですね。

しかし、なぜ「参考」は動詞化して使えないのでしょう。日本語と文法が近い韓国語の場合はどうか、調べてみました。

  • 참고(チャムゴ=参考)+하다(ハダ=する)

韓国語は「参考+する」で「参考する」というように言えるようです。なぜ日本語はダメなのか……うーん、私は日本語ネイティブなのに、意外と日本語のことが分かっていないのかもしれません。

中国語で「ノルウェイの森」

昨日、北京の書店で村上春樹氏の「ノルウェイの森」の中国語版を買いました。

「ノルウェイの森」といえば言わずと知れた村上氏の代表作です。私も大学1年生の冬に購入して読みました。購入した場所が神戸の三宮にある書店だったことも覚えています(こういう無駄なことばかり記憶に残っているんですよね)。

村上作品は中国でも「大」が付くほどの人気で、特に「ノルウェイの森」(“挪威的森林”)はベストセラーです。中国(大陸)では林少華氏が翻訳したものが知られています。林氏の訳した村上作品はまるで中国の通俗小説を読んでいる気分にさせると言います。林氏は中国の古典文学に通じていて、その知識がなせる技なのかもしれません。

中国語で訳された文体を味わうことで、一度日本語で読んだことのある「ノルウェイの森」を2度楽しめる……というわけです。冒頭の部分、どのように書かれているか少しご紹介しましょう。

 三十七岁的我那时坐在波音747客机的座位上。庞大的机体穿过厚重的雨云,俯身向汉堡机场降落。十一月的冷雨将大地涂得一片阴沉,使得身披雨衣的地勤工、扁平扁平的候机楼上的旗,以及BMW广告板等一切的一切,看上去竞同佛兰德派抑郁画幅的背景一般。罢了罢了,又是德国,我想。
 飞机刚一着陆,禁烟显示牌倏然消失,天花板扬声器中低声流出背景音乐,那是一个管弦乐队自鸣得意地演奏的甲壳虫乐队的《挪威的森林》。那旋律一如往日地使我难以自已,不,比往日还要强烈地摇撼我的身心。
 为了不使脑袋胀裂,我弯下腰,双手捂脸,一动不动。

これを私なりに日本語に直訳すると……

 37歳の私はそのとき、ボーイング747の座席に座っていた。巨大な機体は厚く重い雨雲を突き抜け降下し、ハンブルク空港に着陸しようとした。11月の冷たい雨は大地をどんよりと染め、レインコートを着た地上スタッフたち、平たい空港ターミナルの上に掲げられた旗、そしてBMWの広告板など、一切合切をまるでフランドル派の憂鬱な絵画の背景のように見せた。やれやれ、またドイツだ、と僕は思った。
 飛行機が着陸し、禁煙を知らせるランプが消えると天井のスピーカーから小さくBGMが流れてきた。それはオーケストラが得意げに奏でるビートルズの『ノルウェイの森』だった。その旋律はいつものように私を苦しめた。いや、いつもより強烈に僕の心を揺り動かした。
 頭が張り裂けないように私は身をかがめ、両手で顔を覆い、じっと動かなかった。

さて、村上氏の日本語原文はどんなだったか。紹介します。

 僕は三十七歳で、そのときボーイング747のシートに座っていた。その巨大な飛行機はぶ厚い雨雲をくぐり抜けて降下し、ハンブルグ空港に着陸しようとしているところだった。十一月の冷ややかな雨が大地を暗く染め、雨合羽を着た整備工たちや、のっぺりとした空港ビルの上に立った旗や、BMWの広告板やそんな何もかもをフランドル派の陰うつな絵の背景のように見せていた。やれやれ、またドイツか、と僕は思った。
 飛行機が着地を完了すると禁煙のサインが消え、天井のスピーカーから小さな音でBGMが流れはじめた。それはどこかのオーケストラが甘く演奏するビートルズの『ノルウェイの森』だった。そしてそのメロディーはいつものように僕を混乱させた。いや、いつもとは比べものにならないくらい激しく僕を混乱させ揺り動かした。
 僕は頭がはりさけてしまわないように身をかがめて両手で顔を覆い、そのままじっとしていた。

この冒頭部分だけだと日本語も中国語もそんなに変わらないですね。村上作品に登場する主人公の1人称は「僕」が多いですが、中国語では“”としか書きようがないので「私」なのか「僕」なのか、あるいは「オレ」なのか訳出は難しいです。まあ「オレ」なら場合によっては“咱家”と訳せるかもしれませんが。

ちなみに台湾では違う中国語訳の「ノルウェイの森」が出版されています。私も学生の頃に台湾旅行した際、台湾版を購入しました。一番有名なのは頼明珠氏が訳したもので、こちらは林少華氏の訳に比べ、より日本語の「村上的文体」を再現できているのだそうです。

賴先生とは数年前に東方国際学者会議で初めてお会いしたのですが、オールド・フレンドとの再会のような親近感を覚えました。その後も連絡をしつづけており、たまに電話で村上文学の話や翻訳の話などをすると時の経つのを忘れて、つい数時間も会話がつづくほど、不思議な縁を感じております。

こちらは早稲田大学に「村上春樹ライブラリー」が開館するにあたり頼氏が寄せたエッセイ。頼氏が「村上的文体」をどう訳そうとしたのかが分かってとても興味深かったです。例えば「風の歌を聴け」の冒頭にあるひと言。

完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。

頼氏は「完璧な絶望」という言葉の独特さを指摘しています。確かに、日本語の「完璧」は通常良いことにしか使わないので「完璧な絶望」は多少不自然に聞こえます。けれど、それが村上氏のこだわりなのでしょう。そこで次のように中国語に訳したと言います。

所謂完美的文章並不存在。就像完美的絕望不存在一樣噢。

頼氏は「完美」という言葉を使って日本語の「完璧」を表現したわけです。中国語の「完美」も「完璧である、非の打ち所がない」という、良い場合にしか使われない言葉。つまり「完美的絕望」を読んだ台湾人の読者は、日本人が「完璧な絶望」を読んだときと同じような「感覚」を味わうことができるわけです。

そして「完璧な絶望が存在しないようにね」の語尾の「ね」についても、頼氏は「」という漢字を語尾に付けました。これは中国語で「~だよ」といった語気を加える効果があります。頼氏は次のように話しています。

日本語の会話の語尾は相手の気持ちを尊重し、つねにお互いに緊密に呼応する。そんな日本語の心遣いを読者に感じさせたいと思って、場合によって語尾の「ね」を、訳すことにして「」として残した。

なるほど~。ここまで読むと気になるのが中国版の林少華氏はどう訳したか、です。林氏の訳した「風の歌を聴け」の冒頭部分は次のような表現でした。

不存在十全十美的文章,如同不存在彻头彻尾的绝望。

こちらは「完璧な文章」と「完璧な絶望」で「絶望」を訳し分けています。前者は“十全十美”(完全無欠の、完璧な)で、後者は“彻头彻尾”(徹頭徹尾、とことん、徹底的に)です。どちらも四字熟語を使うところが中国語っぽいですし、林氏らしいですね。

頼氏と違って同じ語を使っていないし「~しないようにね」の語尾も訳出はされていませんが、林氏のこの訳(=中国の通俗小説を彷彿とさせる訳)こそが、中国で村上作品のファンを生んだのかもしれません。残念ながら頼氏が訳した台湾版の「ノルウェイの森」は日本に置いてきてしまいましたが、林氏の中国語版が手に入ったということで、日本語オリジナルとはまた違う「ノルウェイの森」の世界観を楽しみたいと思います。

インディ・ジョーンズ

今日の夜、日本テレビの「金曜ロードショー」で「インディ・ジョーンズ」の映画を放送していました。2008年公開の「クリスタル・スカルの王国」です。

ふと映画タイトルが気になりました。というのが「インディ・ジョーンズ」ってタイトル、英語では”Indiana Jones”(インディアナ・ジョーンズ)って言います。中国語では何と言うかな?と考えたのですが、東京ディズニーシーに「インディ・ジョーンズ・アドベンチャー」ってアトラクションがありますよね。確かこのアトラクションの中国語表記では“印第安纳琼斯”(インディーアンナー・チオンスー)でした。だから英語の「インディアナ」にならっています。

なぜ日本語では「インディアナ」ではなく「インディ」なんだろうと調べてみたところ(今はインターネットで何でも分かるから便利ですね)シリーズ第1作目の邦題にヒントがあるそうです。というのが、第1作目は「レイダース/失われたアーク」という邦題で「インディアナ」「インディ」といった名前は全く入っていなかったそうです。

ただ、この邦題が「なんかよく分からない」「見たいという気分にならない」などと不評を買い、公開当初はあまりヒットしなかったんだそうです。内容はおもしろい映画ですから、その後、口コミで徐々に有名になり、配給側も「2作目からはもうちょっとマシな名前にしよう」と考えて付けたのが「インディアナ・ジョーンズ」だったとか。

ちょうど同じ時期、映画「ランボー」についても原題が”First Blood”でイマイチだったところに「ランボー」という邦題を付けて大当たりしたのも影響したのかもしれません。映画の中では「インディ」と呼ばれていますから、日本人向けには「インディアナ」より「インディ」にしてしまったほうが分かりやすいという考えもあったのかもしれませんね。

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