今日、令和6年(2024年)2月22日午前2時15分に娘が誕生しました。
実は昨日にも出産の兆候はありました。夕方頃、妻から「出血がある」「下腹部が重い感じがする」と連絡があったのです。ただ、私からは「もう少し様子を見よう」と返事をしていました。と言うのが、さらに1日前の一昨日にも妻が破水したかもしれないと言うので病院にかかったところ「破水ではありません」「帰宅しても大丈夫です」と診断され、会計でちゃっかり1600元(日本円で約3万5000円)請求されるやり取りがあったからです(笑)。
お金をケチる……というと聞こえが悪いですが「何もありませんでした」で3万円超えは結構痛い。そんなことがあったので、私は病院に行くことに慎重になっていました。そもそも出産予定日は27日だから、20日や21日は早すぎるのではないか……という思いもどこかにあったと思います(今思うと出産なんて20日も27日も誤差の範囲なんですけど)。
ただ午後7時を回ったくらいに、妻から「やっぱり病院に行く」と連絡。そこからパッタリ連絡が途絶えました。その代わりにマンションの従業員から連絡があり「奥様を今、病院にお送りしています」とのこと。どうやらマンションが車を出し、運転手も含めて3人がかりで妻を送ってくれたようです。マンションの従業員は逐一連絡をくれて、“我们带太太去医院了”(奥様を連れて病院に向かっています)、“在医院等您”(病院でお待ちしています)、“太太已经进入产房了”(奥様はすでに分娩室に入りました)──実況さながらのメッセージが送られてきました。
正直、私はこの期に及んでも「おそらく今日も家に帰される」と思っていました(笑)。けれどマンションの従業員は私が病院に来るまで待つと言うし、上司からも早く病院に行くよう言われたので向かうことに。
いざ到着すると、廊下のベンチに女性が2人心配そうに座っています。2人は私に気付くと立ち上がり「マンションの者です」と挨拶してくれました。ああ、道理で見たことがある人たちでした。丁重にお礼を伝えると「生まれたら絶対に教えて下さいね」なんて励ましのメッセージをくれ、マンションに帰りました。ありがたいなあ。いや、本当に心強かったです。分娩室に入ると妻は酸素マスクを付けてベッドに横たわっていました。お腹には胎児の心拍や陣痛をモニタリングするための装置。明らかに「家に帰された日」とは違う顔つきで、しんどそうでした。
妻と会話をしていると産婦人科の医師が入ってきました……あら?これは陳先生。
陳先生は私たちが最もお世話になった女性の産婦人科医です。テキパキしていて、私たちが物事を決めるのに悩んでいると「○○したほうがいいわよ」なんてアドバイスをして引っ張ってくれる、頼りがいのある先生です。とても信頼していたので、妻の妊娠後期には陳先生がいる日をわざわざ選んで検診の予約をしていました。分娩も陳先生に是非お願いしたかったのですが、医師の指名には別料金がかかってしまうため*1、こればっかしは当日の当番医師に任せることにしていました。
私がキョトンとした顔で「先生はどうしてこちらに」なんて聞くと、陳先生は「今日たまたま当番だったの。やっぱり私たち縁があるのね」とひと言。くぅぅ~!!かっこいい!!陳先生が分娩に立ち会ってくれることにこの上ない心強さを感じました。そしていつもの調子で「奥さんは破水しているわ」「陣痛誘発剤なんていらない。奥さん、自分の力で生めるわよ」などと説明してくれます。
妻はすでに陣痛を感じ始めていて、数分おきに痛みに耐える時間がやってきました。前もって無痛分娩にすることは決めていたので、看護師から「痛みに我慢できなくなったら言ってください。その時点で麻酔を注入します」と説明がありました。この陣痛との戦いは長くなりそうとのこと。この時点で長丁場になることを想定し、私は一旦家に帰って必要なものを持って来ることにしました。
家に帰ると、そこは妻が出て来たときのままの状態でした。テーブルの上には飲みかけのお茶、明かりがついたままの洗面台、キッチンの炊飯器はタイマーセットしていた米が炊き上がっていました。私はとりあえず烏の行水の如くシャワーを浴び、服を着替え、炊き上がっていた白米を卵かけごはんにしてかきこみました。残った白米をタッパーに入れて冷蔵庫にしまうと、妻から頼まれていた荷物や自分の荷物をかき集めてタクシーに飛び乗りました。
病院に着くと陣痛に耐えていた妻の表情がずいぶん穏やかになっていました。脇には女性の麻酔科医、私を見て「ご主人の通訳が一番必要なときにいないんだもの」と笑われました。どうやら私が家に帰っている間に麻酔を打つことになったようで、麻酔の説明や同意書へのサインなど、やりとりがいろいろ大変だったようです。
その後、陳先生が再び部屋に来て内診。もう十分に子宮口が開いているので、頃合いを見て分娩を始めましょうという話になりました。やり取りを聞いていた麻酔科医はまた笑って「普通の人ならとっくに麻酔を注入している状況だったわよ」と教えてくれました。妻はずいぶん耐えたようです。
分娩が始まるまでいよいよ1、2時間。妻は夕食を食べていなかったので、分娩に備えて腹ごしらえをすることにしました。病院の売店はすでに閉まっていたので、デリバリーサービス(“外卖”)を使って近所のセブンイレブンのおにぎりなど軽食を届けてもらいました。しかし麻酔ってすごい……だって、あんな苦しんでいた妻の表情がすっかり落ち着いているんだもの。麻酔をしていなかったら今も続いていたわけでしょ?私には耐えられないだろうなあ……
それから1時間半程が経ち、ついに分娩が始まりました。私は立ち会いをすることになっていたので、ベッド脇にスタンバイ。ドラマや映画で見る出産の立ち会いって夫が妻の手を握って「頑張れ」なんて声をかけるロマンチックな感じ?ですが、私の場合は医師が中国語オンリーだったので常に同時通訳するような感じでした。
医師:“宫缩来了!吸气……憋住气”。
私:────「陣痛が来たよ!息を吸って……とめて!」
医師:“来!使劲儿!”。
私:────「はい!りきんで!」
医師:“坚持坚持!加油加油!”。
私:────「そのままそのまま!頑張って!」
これじゃまるで私も医療チームの一員(^^;)。妻は麻酔をしているのでそこまでの痛みは感じていないようですが、陣痛が来ているのは何となく分かるようです。
陳先生から「『うんちをしたい』感覚がないか奥さんに聞いて」と言われたので妻に通訳。しかし「うーん、分からない」との返事。先生たちは困ったような顔をしています。一体どうするのかと思ったら陳先生、靴を脱いでベッドに上がり、妻のお腹の上から自分の体重をかけ始めました。赤ちゃんを力ずくで押し出そうとしています。ちょちょちょ、これは大丈夫なの~!?
妻はその後も力み続け、娘の頭が見えるくらいになってきました。先生たちは「あと2回ほど陣痛が来たら生まれるよ」と言います……が、その頃はまだ娘の頭がちょこんと見える程度。本当に生まれるの?と思っていたところ、先生のおっしゃる通り、そこから2回目の陣痛が来たとき、先生が娘の頭をワシッと掴んで引っ張ったかと思うと、その勢い(?)で娘がズルズルーッと一気に出てきました。おおおお!!出てきた!!
生まれたばかりの娘はへその緒も付いたまま妻の胸元に移動させられました。産声も上げず、じーっと黙って座っています。初めて対面する我が子は正直かわいいと言うより、まるでエイリアンのような見た目でした。あ、そうそう、ETみたいな感じ。うーん、何か思っていたのと違う(笑)。それより何より産声を上げていません。赤ちゃんって生まれたら「オンギャー」って泣くんもんじゃないの?こ、これは大丈夫なの?
生まれてすぐ母親の胸元で抱いてもらう処置を「早期母子接触」と言い、その見た目から「カンガルーケア」とも呼ばれるそうです。で、産声を上げないのはへその緒を切っていないのが理由で、肺呼吸をしなくても酸素が送り届けられるからだそう。日本は生まれてすぐにへその緒を切ることが多いですもんね。泣かずに黙って座る我が子の様子は正直異様で(笑)看護師さんがホース(?)を口に突っ込んで羊水を吸引した(のかな?)と思うと、次の瞬間ほぎゃほぎゃ泣き出しました。
へその緒を切った娘は速やかに小児科医にバトンタッチされ、健康状態などを確認。医師が「見て」と指差すので、何だろう?と思って見てみると、娘の載った台のモニターに「3400グラム」と表示されました。娘の出生体重です。その後、娘はスタンプで記念の足形を取られ、病院が用意してくれた服を着て……あっという間に「人間の子ども」らしい姿になりました。
しばらくすると医師や看護師はみんな退室し、先ほどまで慌ただしかった病室に静寂が訪れました。部屋には親子3人だけ、時計を見ると午前4時でした。
この病院は母子同室を推奨していて、娘は妻のわきでスヤスヤ眠っています。妻も少し前までは娘の顔をつついたり母乳を与えたりしていましたが、疲れたのが眠ってしまいました。私もクタクタで休みたいところでしたが、小さな娘が布団にくるまれた姿を見ると鼻や口が塞がれて窒息しやしないかと気になって仕方ありませんでした。
目を擦りながらこの数時間に起きた出来事を感慨深く振り返りました。夜が明け始め、明るくなり始める窓の外。静かな病室で寝ている妻と娘を眺めながら「人生の大きな1ページを刻んだんだなあ」と思ったあの感覚を私は一生忘れないと思います。
これからずっと一緒におれるで、よろしくのーベビちゃん。
*1 | これが結構な額なんです。 |
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