金曜日の夜に映画『アイ・アム・レジェンド』を見ました。2007年公開のSF映画です。
アイ・アム・レジェンド(アメリカ/2007年)
見るのは初めてではありません。映画館だったか、テレビだったか、どこで見たのかは忘れましたけど。ストーリーは知っていたわけですが、何て言うか、悲しいことに年を取るとSF映画がピュアに見られなくなっちゃいますね。昔はもっとSF映画のワクワクを楽しんでいたような気がするのに。見ているとツッコミどころが満載なのです。
舞台はウイルス感染が拡大して人類がほとんど死滅してしまった世界。ウィル・スミスが演じる主人公は廃墟と化したニューヨークに暮らし、野生動物を狩ったり野菜を収穫したりして自給自足の生活をしています。
主人公は自宅に帰ると照明を付け、テレビを見て(放送ではなくビデオを見ているようです)、パソコンを使い、シャワーを使っています。世界から「ほとんど人がいなくなってしまった」にもかかわらず、です。これらのものは、コンセント、蛇口、ガス栓から自然に出てきません。送電設備やポンプといった機材が常に保守点検・維持管理され、発電所、浄水場といった施設に働く人がいてこそ、初めて提供されるわけです。すると(おそらく)ニューヨークで最後の生き残りである主人公のもとに誰がどうやって提供しているのでしょう。
また、廃墟化した街には放置された自動車の間を走り回る鹿のような野生動物*1の群れと、それを狩ろうとするライオンが登場します。この動物たちはウイルスに感染しないんでしょうか。ウイルスは犬には感染するようで、作中には凶暴化した犬が登場します。世界中の人類がほとんど死滅したのに、野生動物は大量に出てくるというのは何だか解せません。
別に理屈で見るタイプの映画ではないのです。もっと素直に楽しめばいいのに、ああ、なんで私は「設定のリアリティ」や「ストーリーのありえなさ」ばかりにフォーカスしちゃっているんでしょう。初めてこの映画を見たときはもっと素直に楽しんでいたはずです。
ちなみに、この映画の原作は1954年に出版されたアメリカの作家リチャード・マシスンによる『地球最後の男』(原題:I Am Legend)です。これを藤子・F・不二雄さんがオマージュした『吸血鬼』という短編漫画があります。世界の人類がウイルスに感染して激減する中、残った主人公が抵抗する……というストーリーは同じなのですが、結末は全く違うものになっています。ある行為も、別の立場から見ると全く違って見えるという“二元的観点”を取り入れていて、この作品は読み終えたときにハッと気付かされるといいますか、鳥肌が立つ思いでした。正直、こちらのほうがより深い読後感があったように思います。
*1 | 調べてみると鹿ではなく「インパラ」というウシ科の動物なんだそうです。 |
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