今日は中国人の友人とサシで飲み会。店は以前行った九州料理の「満天」を選びました。
この友人は私より5歳(くらいだったか)年下です。中国の東北部出身で、高校卒業後に中国の大学には進学せずに日本に行きました。かといって日本の大学に進学したわけではありません。留学斡旋の仲介業者を頼り、まずは日本語の語学学校に通って日本語能力を身につけ、その後に日本の大学を受験する予定だったそうです。
それが仲介業者に騙されてしまったとのこと。いろいろ苦労があった末、彼は法政大学に合格しました。とても苦労人なのです。日本で大変な思いをしたでしょうが、日本のことをとても愛していて「日本人以上に日本人らしい」と感じます。真面目で親切。私にもよくしてくれます。
そんな彼が春節に彼女と日本に遊びに行ったときのことを話してくれました。京都、大阪、そして東京をめぐったそうです。日本は「何をするにも秩序があって、改めて中国との違いを感じさせられた」とのこと。私は最近のテレビ番組にありがちな「日本のここがすごい」みたいな、ある種の「うぬぼれ」傾向に嫌気がさしているので、彼の指摘に「いやいや、日本にも課題や問題はたくさんあるよ」と返しました。が、それでも中国の友人がそう言ってくれるのはうれしいことですね。
ところが、彼は酒を飲みながら「日本では寂しい思いもした」と教えてくれました。聞くと京都の大丸で彼女と買い物を楽しんでいたところ、店員にひどく冷たい対応をされたそうです。早く買えと言わんばかりに買い物を急かしたり、彼が日本語で話しているにもかかわらず「どうせ通じないだろう」という態度で英語で話してきたり。彼は「きっと私が中国人だからでしょう」と言いました。
確かに日本には中国人観光客に対する冷ややかな態度が存在します。ただ、それは中国人観光客自身に問題がある場合も多いように思います。ところ構わず大声で会話をしたり、日本で当たり前とするマナーを守らなかったり。富士山の山頂で中国の国旗を振り回し、SNSに投稿するための「愛国動画」を撮る行為もニュースになりました。同じことを外国人が中国でやったら絶対に怒るでしょうに、なぜ自分たちはできるのでしょう。そもそも“入乡随俗”(郷に入っては郷に従え)は中国の言葉です。日本人がそうした「一部」の中国人観光客を見て、反感を抱くのも理解できます。
だけどね、それでも差別しないのが日本のおもてなしなんじゃないですか。ましてや「日本人以上に日本人らしい」彼に寂しい思いをさせてどうするの。私は彼の話を聞きながら暗い気持ちになってしまいました。それでも彼と彼女は「また日本に行きたい」と思ってくれたそうですが。
数年前に読売新聞で読んだコラムを思い出しました。
仕事でお世話になった中国人通訳の方に聞いた話を思い出す。「清潔な道路や街並み、車の運転マナーを見せるだけでも、中国の人は感心して日本のみやげにします」。通訳の両親が日本を旅した時の感想といい、母親は「旅館や売店の人がみんな親切で、なぜ侵略戦争が起きたのかしら」と首をひねっていたそうだ。
読売新聞編集手帳(2022年5月28日)
確かに外国人観光客が殺到する昨今の日本は「オーバーツーリズム」の問題点も指摘されています。しかし望むと望まざるとにかかわらず、世界はどんどん狭くなり変わっていくのです。だのに「古き良き自分だけの○○」を求める気持ちは詮ない望みです。
むしろ、だからこそ日本のおもてなしを彼らに「日本のみやげ」にしてもらいましょうよ。それがこのコラムで指摘されている「お金を落としてもらう以上の何か」じゃないかと思います。
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