中国東北の旅、今日は最終日です。午後の飛行機で北京に戻るので、それまでの時間を使って延辺朝鮮族自治州の中心都市・延吉市内を散策します。

まず向かったのは「西市場」、韓国・朝鮮語では“서시장”(西市場=ソーシジャン)です。延吉市中心部にあり、ビルまるまる1棟が市場になっています。

今日が日曜日だからという事情もあるかもしれませんが、とにかくすごい人です。観光客っぽい人もいれば、地元の人と思わしき姿も。

1階は食品を売るフロアで、干した海鮮の香りが漂っています。北朝鮮産の“明太鱼”(スケトウダラ)の干物が名物のようで、これでもか!というほど売っています。

香辛料もたくさん売っていました。おそらくラムの串焼きに使うのかな。ほかに食肉や野菜、海鮮、それにキムチや高麗人参といった朝鮮族ならではの食品も売っていました。これだけ充実していれば観光客だけでなく地元の人にも使われている理由が分かるような気がします。私が延吉に住んでいたら日常的に使っちゃいそうです。

ビルの上層階に移動すると朝鮮族の伝統衣装、チマチョゴリも売っていました。韓国ではチマチョゴリというより、“한복”(韓服=ハンボク)という呼称のほうがよく使われるそうですが、朝鮮族ではどうなんでしょう。子ども用の小さく可愛らしいチマチョゴリも売っていて、娘に買ってあげたくなりました。

追記)職場の朝鮮族の同僚に聞いたところ、かつては朝鮮族も“치마저고리”(チマチョゴリ)とか“저고리치마”(チョゴリチマ)と言ったそうですが、韓国の影響を受けて“한복”(韓服=ハンボク)という呼称が使われることが増えているそうです。

ほかにも洋服に雑貨、日用品、食器、カバン、文房具……ありとあらゆるものが売っていました。私たちはアカスリ用のタオル?グローブ?を購入。1つ8元(約160円)でした。

看板に店主?の顔写真を載っけるのは韓国でよく見ますが、朝鮮族でも同じなんですね。

延吉市内を散策していると中国語と韓国・朝鮮語を見比べることができて楽しいです。例えばこのホテル、中国語では“你好酒店”(ニーハオホテル)ですが、韓国・朝鮮語は“안녕호텔”(アンニョンホテル)。“안녕”(アンニョン)は「こんにちは」という意味で使われるので、意訳したわけですね。どちらも4文字で収まりが良いし、分かりやすいです。

こちらは“京东家电”(京東家電)という家電量販店。こちらのハングル表記は“경동가전”(京東家電=キョンドンカジョン)、漢字をそのまま韓国・朝鮮語で発音したものです。日本人の間では“京东”(京東)を中国語で発音して「ジンドン」と呼ぶことが多く、韓国でも“징둥”(ジンドン)という呼称が優勢のようですが、こちらの朝鮮族の間では韓国・朝鮮語の発音で「キョンドン」と読むのかな。日本語的に言えば「きょうとう」と発音するというところでしょうか。

中国农业银行”(中国農業銀行)には“중국농업은행”(中國農業銀行=チュングクノンオブウネン)と韓国・朝鮮語が併記されています。

こちらは“中国工商银行”(中国工商銀行)、韓国・朝鮮語では“중국공상은행”(中國工商銀行=チュングクコンサンウネン)。

ケンタッキー、中国語では“肯德基”(ケンダージー)、韓国・朝鮮語でも“켄터키”(ケントキー)と併記されています。ちなみに韓国でケンタッキーは“케이에프시”(KFC=ケイエプシー)と呼ぶことの方が多いですね。

中国で有名な牛肉麺のチェーン店「李先生」はハングル表記で“리선생”(リーソンセン)と書いてあります。ほほう、おもしろいです。“이선생”(イーソンセン)じゃないんですね。

韓国・朝鮮語は語頭に“R”の音が立たないという特徴があります。実は日本語も同じで、古くから伝わる固有の日本語にはラ行から始まる音がほとんどありません。いやいや「龍」(りゅう)とか「留守」(るす)とかあるじゃないかとおっしゃるかもしれませんが、これは中国語から伝わった漢語。韓国・朝鮮語も同じで、古代から伝わる固有の言葉には語頭に“R”の音が立つものが少ないため、高齢者を中心に「発音しにくい」という人が多いんですね。

なので韓国語では“R”の音、正確には“”の音が来る場合、その音が落ちるという現象があります。最も分かりやすいのが「李さん」という名字。例えば韓国の元大統領、李明博氏は「イ・ミョンバク」(이명박)と発音し、「リ・ミョンバク」(리명박)とは呼びません。なぜなら語頭の“R”が落ちるからです。ほかに林という姓も「リム」()さんではなくて「イム」()さんと発音します。

ただ、これが北朝鮮となると話は別です。北朝鮮では漢字語の「本来の形をとどめる」というルールをとっているため、語頭に“R”が来てもそのまま書かれます。だから北朝鮮のニュースを見ると、李明博氏のことを「リ・ミョンバク」(리명박)と呼んでいます。だから同じハングルで書かれた文章でも、読んでいると韓国で書かれたか北朝鮮で書かれたか何となく分かるんです。

話は戻ると、この牛肉麺のチェーン店「李先生」も語頭に“R”が来る店名です。なので韓国の表記ルールに従うと“이선생”(イーソンセン)になるはずですが、ここは“리선생”(リーソンセン)と“R”がそのまま書かれています。これは中国の朝鮮族の表記ルールは北朝鮮に近いからという理由もあるでしょうし、そもそも李先生は中国人の名前なので「中国語の音に従った」という可能性もあるかもしれません。誰も共感してくれませんが(笑)言葉好きな私としては、こういう些細な発見がうれしくなります。

中国語と韓国・朝鮮語が入り混じった街並みは見ているだけで楽しいです。それぞれを見比べるので、無意識のうちに言語学習になります。

私は中国語を学び始めた頃、街中で目に入った漢字をひたすら中国語で発音するという学習法に挑戦していました。読めない漢字はメモしておいて、後で発音を調べます。漢字が使われる日本だからこそできる学習法ですね。延吉だと漢字に加えてハングルも併記されているので、韓国・朝鮮語発音がたくさん覚えられそうです。

中国の国営書店「新華書店」に来ました。こちらにも“신화서점”(新華書店=シヌァソジョム)とハングルが併記されています。

店内には少数民族の書籍として朝鮮語で書かれた本がたくさん売っていました。私は「中朝小辞典」を購入。妻は娘用に動物や果物、それに国の名前を紹介した子ども用の絵本を買っていました。中国語、朝鮮語*1、英語の3か国語が表記されている、トリリンガル教育用です(^^)。

昼食をとろうと延吉市中心部のデパートに来ました。中国語では“百里城”、韓国・朝鮮語では“백리성”(百里城=ペクリソン)という商業施設です。

来たのは延吉冷麺の店。冷麺といえば韓国料理の代表選手ですが、延吉の冷麺も大変有名なんだそうです。店名は中国語では“服务大楼”、朝鮮語で“복무청사”(服務廳舍=ポンムチョンサ)、どちらも日本語にすると「サービスビル」とか「サービス庁舎」というちょっと変わった名前です。

ちなみに冷麺は韓国語で“냉면”(冷麵=ネンミョン)と言いますが、実はこれももともと語頭に“R”が来る言葉。韓国では“R”の音が“N”に変わって「ネンミョン」になりましたが、中国の朝鮮族は今でもそのまま発音して“랭면”(レンミョン)と呼んでいます。なので「延吉冷麺」は朝鮮語で“연길랭면”(ヨンギルレンミョン)です。

韓国の冷麺よりずいぶん黒いですが、そば粉を使っているのが理由なんだそうです。スープは甘酸っぱくて、韓国より甘みが強いでしょうか。キャベツのキムチも珍しい。さっぱりしていて、とてもおいしいです。

このようなスープに浸った冷麺は北朝鮮の平壌ないし咸鏡道が発祥なんだそうです。その地域出身の朝鮮族が中国東北に移住し、そこで作った冷麺が今では延吉冷麺として親しまれているんだとか。

延吉市内では中国各地で見られるスローガンも中国語と韓国・朝鮮語の併記です。

(中国語)携手共建文明城,同心共筑中国梦。
手を取り合って文明都市を共に建設し、心を一つにして中国の夢を共に築こう。

(韓国語)한마음 한뜻으로 중국꿈을 이룩하고 손에 손잡고 함께 문명도시를 건설합시다.
心を一つにして中国の夢をかなえ、手に手を取り合って一緒に文明都市を建設しましょう。

この韓国・朝鮮語表記はちょっと変?縦書きですが、どうも左から読むような書き方になっているようです。しかし韓国・朝鮮語でスローガンが書いてあると、何だか北朝鮮みたいですね。

北京に戻るため、延吉空港にやって来ました。

ちなみに空港ビルに「えんきち」と書いてありますが、おそらく延吉という地名は「えんきつ」と読むのが正しいです。日本語の音読みには「呉音」と「漢音」の2種類があります。呉音はかつて中国の南方から伝わった発音で、漢音はその後、遣唐使が中国の北方から持ち帰った発音とされます。平安時代には漢音が「学習・教授すべき正規の音」と定められ、明治以降、中国の地名は漢音で読むとされるようになりました。

吉は呉音だとキチ、漢音だとキツと発音します。なので延吉は「えんきち」ではなく「えんきつ」と呼ぶのが自然なはずです。実際、吉林省は「きちりん」ではなく「きつりん」と発音します。

延吉空港の出発ロビーにも中国語と韓国・朝鮮語のスローガンがありました。

(中国語)着力建设民族团结进步,边疆繁荣稳固的少数民族自治区。
民族の団結と進歩、そして辺境が繁栄し安定した少数民族自治区の建設に力を入れよう。

(韓国語)여러 민족이 단결진보하고 변강이 번영안정된 소수민족자치주를 건설합시다.
多くの民族が団結・進歩し、辺境が繁栄・安定した少数民族自治州を建設しましょう。

韓国・朝鮮語のほうが日本語と同じように助詞があるので日本人には分かりやすいですね。

搭乗口近くにあったカフェ、店名は“진달래식당”(チンダルレシクタン)=チンダルレ食堂でした。チンダルレとは朝鮮半島に自生する「カラムラサキツツジ」のことを言います。春の訪れを知らせる花として、韓国や北朝鮮では大変親しまれているのだそうです。

延辺朝鮮族自治州、とても興味深い街でした。ただ朝鮮族の色が薄くなってきているのかな。もっと異国情緒溢れる、何なら韓国と見まがうような街かと思っていたのですが、想像以上に「中国の一地方都市」という感じがしました。訪れた韓国人や韓国語を学ぶ日本人からは「思ったより韓国語が通じなかった」という声もよく聞かれるようです。中国各地で少数民族の「漢族同化」が進んでいると言いますが、朝鮮族も同じなのかもしれません。

あとは韓国色が強まっている印象も受けました。朝鮮族はルーツこそ韓国・北朝鮮と同じですが、彼らには朝鮮族独特の文化があります。ただ多くの中国人観光客は「韓国っぽいもの」を求めて延辺朝鮮族自治州に行っちゃうんでしょうね。その結果、本来の朝鮮族とは少し違う「韓国ナイズ」されたものが増えたんじゃないかと思います。例えば延吉は今や「朝鮮族料理」より「韓国料理」の店のほうが多いんじゃないかしら。目にする朝鮮語表記も韓国語の影響を受けていると思わしきものがたくさんありました。

これも観光都市として生き残ろうというやり方なんでしょう。「中国にいながらして韓国に行った気分になれる街」、良いアイデアだと思いますし、それはそれで絶対に楽しいと思います。けれど朝鮮族の人たちが持つ“似て非なるもの”に惹かれる身としては、韓国でも北朝鮮でもない朝鮮族っぽさをこれからも守っていってほしいとも思ってしまいます。

References
*1私もチラッと読みましたが、表記は韓国より北朝鮮に近いようでした。例えばオーストラリアが“오스트레일리아”ではなく“오스트랄리아”だったり、ロシアが“러시아”ではなく“로씨야”だったり。