新型コロナウイルスに感染して自宅療養中の身。熱は出るし、のどは痛いし、相変わらずの状態なんだけれど、解熱剤を飲んだら少し楽になったので、せっかくの時間だし映画を1本鑑賞。父親から勧められていた『PLAY 25年分のラストシーン』。

【ネタバレがあります】

PLAY 25年分のラストシーン(フランス/2019)

時は1993年、13歳だった主人公は両親からビデオカメラを贈られ、以来、家族や幼なじみとの日々を撮り始める。いつかそれは主人公のライフワークとなり、25年の歳月が大量のテープに保存されていった。2018年、38歳になった主人公は、ある日、撮りためた25年を映像作品に仕上げようと思い立ち、テープの山を整理し始める。そして自分の「映画」のラストシーンを準備するのだった。

物語はすべて「主人公のビデオカメラで撮影した映像」だけで進む。特別な演出もナレーションもない、あくまでホームビデオという設定。それがかえってリアルに感じられて、自然と感情移入してしまった。家族や友達に撮るなと言われてもしっかり25年分、撮りためた映像を見ていると、当事者でなくてもどこか懐かしい気持ちというか、エモーショナルな気持ちにさせてくれる。

映像も工夫されていて、90年代のシーンはノイズが走るくらいの8mmビデオ画質で、画角はもちろん4:3。それが時代を経ていくごとに、同じ4:3でも画質がクリアになり、そして16:9の画角になり、縦向きスマホの動画になり……それだけでも時代の変遷を感じられておもしろかった。

なぜ父親がこの映画を勧めてくれたかというと、我が家もホームビデオ一家だったからだ。家族と出かけた思い出、友達と遊んだ思い出、とても覚えていないようなシーンもビデオテープにははっきり残っていて、映画同様、それは私にとって大切な「記憶」の一部同様になっている。

今はスマートフォンが普及して誰でも映像を撮れるようになったけれど、かつての「特別感」が薄れてしまったような気がする。例えばホームビデオって撮影後にはみんなでテレビを囲んで鑑賞する……といった楽しみ方をしていたけれど、スマートフォンで同じことをしている人はどのくらいいるのだろう*1。データだって個々のスマートフォンに残っているだけだと、テープと違って周囲の目に触れぬまま消えていくことだってあるんじゃないか。

あと映画にはクラブやパーティーといった場所でどんちゃん騒ぎしているシーンが何度も登場するけど、なぜ欧米の人たちはあんなに大音量の環境が好きなんだろう(^^;)。私は正直ああいう環境が苦手だ。北京に留学していた時分にも欧米からの留学生たちに誘われて何度かクラブに行ったけれど、うるさいし暗いし、だったら居酒屋のようなところでちびちび酒を酌み交わしながらおしゃべりを楽しむほうがよっぽどマシだと思ったのを覚えている。これは文化的な違い?それとも単に個人個人の趣味嗜好の違いかしらん。

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References
*1ちなみに私はデジカメやスマートフォンで動画を撮影したら、後日編集してみんなが楽しめるようにしている。ただの自己満足だけど(笑)。