ふと昼食を食べようといつもの蘭州牛肉麺の店に向かうと休業していた。平日なのにどうしたんだろう。いつもすごく賑わっていたから閉店したということはあるまい。不思議に思いながら別の飲食店に向かうと、そこも閉まっていた。

私が通う北京オフィスがある朝陽区は、北京で新型コロナウイルスの感染者が最も多く確認されている地区。ショッピングモールや公共施設が閉鎖を始めていると聞いていたけど、もしかしたらこれらの店舗も休業を命じられたのだろうか。

一応……と思い、さらに別の飲食店に行ってみると、そこは営業していた。

いただいたのは“土豆牛肉盖饭”(牛肉とじゃがいもの丼)。

ほかの店舗が開いていないからだろうか、店内は満席ですごい賑わいようだった。私のテーブルも途中から見知らぬ男性と相席に。こういうときに何の断りもないところが中国らしい。まあ、郷に入っては郷に従え、だ。店員さんも忙しそうに引っ切りなしに動いている。

ちなみに、中国ではセルフサービスの店でも食べ終えた食器はそのまま放置して帰る。日本だとマクドナルドやスターバックスでは飲み終えたカップを自分でゴミ箱に捨てるし、はなまるうどんや富士そばなら空の食器は返却口まで持って行くのが普通だ。

私が11年に留学していた頃から変わらないのだが、日本人の私はやはり抵抗がある。立つ鳥跡を濁さずではないが、自分の食い散らかした後をそのままにしていくようだからだ。それにスターバックスのようなカフェだと、いざ入店して席を探してもカップがテーブルに置かれていると、人が帰ったあとなのか席を外しているだけなのか分からない。そんなこともあって私は自分が飲食をしたあとは中国でも食器やゴミをきちんと片付けて帰るようにしている。

ただ、最近違う考えを持つようになった。

中国は中国で、きちんと食器やゴミを片付けてくれる店員がいるのだ。店内の掃除を担うとともに客のいなくなったテーブルを手際よく片付けてくれる。見たところ高齢者が多いかなあ。考えようによっては、客が放置して帰ってくれることで彼らの雇用が創出されているという見方もできる。

中国にはそういう仕事が多い。例えば街の至る所にゴミ箱が設置されていて、私は当初「回収業務はどうするのか」と思っていた。しかしきちんといるのだ、ゴミの回収だけを担う人が。おそらく地方出身者だろう、真っ黒に日焼けした人たちが竹ぼうきを片手にゴミを回収してまわっている。賃金は微々たるものだろうが、彼らはこのおかげで働けている。客がみんな真面目に食器を返却口に持って行き、街なかからゴミ箱をなくしてしまうと、彼らの仕事は無くなってしまうだろう。

しかし、そこは中国。何か仕事を作ると既得権益が生まれてしまう。

例えば中国では少なくとも72時間に1回はPCR検査を受けなければならない。検査を受ける人がいるなら、検査を「する人」も必要だ。防護服を着た検査員が検体を採取し、分析機関がそれを診断する。これが常態化した今、検査に携わる人たちの雇用を創出したと言える状況になっている。では今、PCR検査を廃止します!と決まったらどうなるだろう。彼らは明日から何をすればいいのか。

ほかにも中国では地下鉄に乗る際に必ず保安検査を行う。荷物をX線検査装置に通し、金属探知機で身体のチェックを行う。まるで航空機に乗るのかと突っ込みたくなる厳格さだ。

けれどやってみると分かるが、ずいぶん適当。X線検査の係員はスマートフォンをいじっているか、ひどいときは寝ていることもある。金属探知機にしたって同僚とぺちゃくちゃおしゃべりしながら私の体にちょこっとかざすのみ。個人の印象としては全然意味をなしていないし、あの検査のせいで夕方のラッシュ時なんて行列ができるんだから、正直やめてしまえばいいのにと思う。けれどやめてしまうと、彼らは明日から何をすればいいのか。

特に終わりの見えない中国の「ゼロコロナ」政策を見ていると、そういう場面が多い。「やめてしまうと、彼らは明日から何をすればいいのか」……答えが出ないまま、不条理な対策だけ続く。彼らの仕事がなくなることだけ心配するならまだいい。問題は、それで懐を肥やしている人間もいるからいかがなものかと思ってしまうのだ。

ふと昼食を食べながらそんなことを考えてしまった。店員さんたちは相変わらず忙しそうに働いている。彼らのように真面目に働いている人たちを思うと、何だかやるせない気持ちになってしまう。