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The time is gone, the song is over, thought I'd something more to say.

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突然届いた注意喚起

日本ではまもなくゴールデンウィークですが、中国でも連休が控えています。5月1日のメーデーに合わせた5連休で、中国では「労働節」と呼ばれています。きっと日本に遊びに行く中国人もたくさんいるでしょうね、各地で中国人観光客の姿が増えると思います。

ちなみに昨日、中国のニュースアプリから次のようなプッシュ通知が送られてきました。東京の中国大使館が日本に来る中国人観光客に対して注意喚起をしたというのです。

曰く、日本では最近治安が悪化して、事件が増加しているので注意せよとのこと。具体的には次のようなことを挙げています。

  • 福岡県北九州市、長野県長野市、岐阜県岐阜市などで無差別殺人事件が起き、多くの罪のない市民が死傷した。この2週間では、愛知県一宮市、東京都新宿区、埼玉県さいたま市などで若い女性を標的とした殺人事件が相次いでいる。また、窃盗、強盗、つきまとい、振り込め詐欺などの事件もたびたび起きており、中国人が被害に遭うケースも少なくない。
  • 栃木県栃木市、岩手県盛岡市、埼玉県さいたま市、広島県庄原市、岐阜県関市、福岡県福津市など日本各地で集団的な食品衛生問題が発生している。

その上で、日本に行く中国人に対し、人気の無いところや治安の悪いところに行かない、生水は飲まないなど食品衛生には気をつける……などといったことが注意喚起されています。けれど、何でしょうね、このモヤモヤした感じは。去年、半年も経たない間に日本人の幼い子どもが切りつけられた国に住む私としては複雑な思いです。

自国民が海外に行くにあたり注意喚起するのは在外公館としては当然の役割です。どうこう言う権利はないでしょう。日本で凶悪な事件が起きていないというつもりもありません。けれど……懸命な皆さんなら悟っていただけると思います。中国では日本でいかに凶悪な事件が起きているか注意喚起される一方、日本人の男の子が切りつけられた事件が起きたことは一切報道されていないのです。

まあ、多くは語るまい。どの口が言うだなんて後ろ指はさされたくはないものです。もって他山の石にしようと思います。

「ブラック・ミラー」シーズン7

先週からNetflixでイギリスのドラマ「ブラック・ミラー」シーズン7の配信が始まりました。ダークSFを扱ったドラマで、「新たなテクノロジーがもたらす(良くない)社会の変化」を描いています。

私は「ブラック・ミラー」が好きで、2011年の配信開始以来すべてのシーズンを見てきました。生身の人間が記憶装置に埋め込まれる未来、行き過ぎた監視デバイスが招く悲劇、SNSの「いいね」欲しさに極端な行動に走る人たち……本当にありえそうな現実を描いていて、その示唆に富む結末はなんとも言えない読後感をもたらします。まあ、大体気分の良い終わり方じゃないんですけど(^^;)。

待ちに待ったシーズン7の配信が始まり、さっそく今日は第1話を見ました。タイトルは「普通の人々」、ストーリーについてはネタバレになってしまうので書かないでおきます。けれど、これぞブラック・ミラー!という風刺がガツンと効いていました。

今回のテーマは「サブスクリプション」。作品ではもしもサブスクが生きるための必需品になってしまったら……という世界を描いています。

愛する人の命を維持するために毎月一定の金額を払い続けなければならない。けれど未来永劫ずっと同額である保証はないのです。それが払える金額のうちはいいでしょう。けれど値上げが続き、とても払えないような額になったときにどうするのか。主人公の男性が愛する人のために下していく苦しい選択が印象的でした。今やサブスクと無縁の生活を送っている人のほうが少ないと思います。もしもこんな未来が来たとき、私は何を犠牲にするのだろう……そんなことを考えてしまいました。

例によって後味はかなり悪い話でしたが、愛のために何を犠牲にするのか、現代社会が抱える問題点について深く考えさせられる切ないエピソードでした。

世の中は便利になったけれど

外で昼食を取って職場に戻っていると公衆電話があるのに気付きました。いつも通っている場所ですから、毎日のように目にしていたはずなのです。なのに、ここに電話ボックスがあるという認識自体がなかったというのは、ちょっとした驚きでした。いかに自分が公衆電話というものの存在を意識しないで暮らすようになっているのか……と思いました。

日本だと災害時に役立つという理由で残されている公衆電話もありますが、中国でも同じなんでしょうか。硬貨を投入するタイプのようですが、中国では今や何事もスマートフォン決済になっちゃっているから、硬貨なんて持ち歩いている人はいないんじゃないかしら。

そんな私も最後に公衆電話を使ったのはいつだったか思い出せません。はっきり覚えているのは2011年。なぜ覚えているかというと、その年にガラケーをやめてスマホを使い始めたからです。実家に帰省した夏休みのとある夜、旧友とシコタマ飲んで終電で帰宅していると、うたた寝して乗り過ごしてしまったのです。私の地元の岡山は1駅1駅の距離が結構あり、徒歩で帰るのは厳しい。そこで弟に連絡して車で迎えに来てもらおうとしました。

けれどスマホを取り出すと……まさかの電池切れ!と言うのもガラケーって電池のもちは優秀で、1回充電すると長いと1週間近く電池がもつんですよね。当時ガラケーに慣れていた私はスマホのバッテリー残量が少ないまま外出してしまったのです。

私は深夜0時を回った無人駅で立ちすくんでしまいました。結局、駅前の公衆電話から(唯一電話番号を覚えていた)実家に電話をかけ、親から弟に伝えてもらう形で迎えに来てもらいました。30分くらい待ちましたけど、本当に来るのか不安だったのを覚えています。

ケータイのなかった時代ってこんな感じだったんですよね。友人と事前に「どこに何時集合」と約束。今だと遅刻しそうならLINEで「遅れそう」のひと言で済みますが、当時は家を一歩出ると連絡手段がなくなり、時間通りに着いた側は事情を知る術もなく待ちぼうけを食らうことになります。待てども待てども来ないので「ちょっとトイレに」と集合場所を離れた途端、遅刻した人間が到着する……みたいなすれ違いが起きるわけです。で、こういうことを防ぐために、かつてはどこの駅にも「伝言板」がありました。私が中学生の頃には都内の駅でもまだ見かけましたが、これも今では理解が難しいシステムでしょうね。

けれど、だからこそ当時は「時間厳守」の意識が強かったんじゃないかしら。あと、当時のほうが電話番号をよく記憶していたような気がします。実家の電話番号、祖父母宅の電話番号、両親のケータイ番号……スラスラ言えました。これも今ではスマホに登録された連絡先に頼りっきりです。世の中が便利になった反面、人間は退化してしまったのかな。そんなことを考えてしまいます。

迷子紐

出勤途中、地下鉄のホームドアでこんなものを見つけました。

危险:为了您和家人的安全,在上下车过程中,请勿使用防走失绳。
危険:ご自身とご家族の安全のため、乗降車の際は「迷子紐」のご使用をお控えください。

私は「迷子紐」と訳しましたが、ほかに「子ども用リード」「チャイルドハーネス」という呼び方もあるようです。紐(ハーネス)を子どもの体や荷物にくくりつけて親が常に握っておくもので、子どもが急に路上に飛び出して事故に遭ったり、迷子になったりするのを防ぐために使われます。

日本では「犬の散歩のようだ」とか「奴隷制度を思い出させる」などという意見もあり、まだまだ普及しているとは言えないようです。一方、欧米の方はよく使っていますよね。ここ中国でもたまに見かけることがあります。私も当初は迷子紐に良いイメージを抱きませんでした。まるで子どもの自由を奪っているように見え、わざわざ紐で繋がなくてもいいじゃないかと思っていたのです。

しかし子どもができた今、考えがずいぶん変わりました。最近になって娘を外でちょこちょこ歩かせるようになりましたが、本当にどこに歩いて行くか見当が付かないのです。私たちが手を引っ張っていたって、アッチに行くのかと思ったらクルッと方向転換してコッチに行きます。自動車が行き交う道路でこんな感じに歩かれちゃ、もう、こちらは心臓がいくつあっても足りません。あとは目を離した隙にいなくなってしまわないかという不安もあります。中国では今も誘拐がニュースになることがあり、親が後ろを向いている間に複数の男たちが子どもを抱えて走り去ってゆく……なんて防犯カメラの映像を目にすることがあります。

もちろん手を繋いでいればいいわけですけど、どうしても両手の塞がるときが出てきます。そんなときに子どもと迷子紐で繋がっていれば、もちろん過信はできませんけど、安心感がずいぶん違うと思うのです。それでも周りからアレコレ言われることはあるでしょう。けれど子どもを守ってあげられるのは親しかいないわけですから、自分たちにとって何が一番かということを優先させたいものです。今は紐がなくて警告音で知らせてくれる「デジタル迷子紐」みたいなものも発売されているよし。いろいろ研究してみよっと。

回転ドアと電気自動車

日本から中国に来た人がよく「中国には回転ドアがたくさんありますね」と言います。回転ドアというのは商業施設の入口なんかにある、人が出入りする際に自動でクルクル回転する扉のことです。

中国に回転ドアがたくさんあると言うより「日本で回転ドアを見かけなくなった」と言うのがより正確かと思います。

その理由は私と同世代、あるいはそれ以上の世代の方であればご存じの方も多いと思います。2004年、東京の六本木ヒルズで幼い子どもが回転ドアに挟まれて亡くなるという事故が起きました。閉まりかけたドアに駆け込んだ際に上半身が挟まれ、ただちに救出されたものの、まもなく亡くなりました。よく知る場所で起きた事故だったこともあり、私もよくニュースを覚えています。この事故をきっかけに、全国各地の回転ドアは急速に姿を消していきました。

これを思い出す度に、とても「日本らしい」と感じます。日本では特定の製品に関してひとたび事故が起きれば、原因が究明されるまで運用や供給がストップされます。中国は正反対。事故が起きても運用や供給が止まることはないどころか、時には事故そのものが隠蔽されてしまいます。

中国では最近、スマートフォンメーカー「シャオミ」の自動車が起こした事故が大変注目されています。そもそも多くの日本人は「スマホメーカーが自動車を作っているの?」という点に驚いちゃうと思いますが、中国ではシャオミだけでなくファーウェイも車を作っていますし、ドローンメーカーのDJIも作っていて、街中ではよく見かけます。

今回の事故はシャオミのSU7という電気自動車が起こしました。3人の女子大学生が運転支援機能を使って時速116キロで走行していたところ、システムが前方で工事箇所を検知しました。車は自動で減速を始め、その1秒後に運転手が自ら制御する形でブレーキを踏み始めたものの、間に合わずに衝突したということです。

昨今、自動車の自動運転・運転支援がもてはやされていますが、私はまだまだ不十分な技術だと思っています。そもそも新興のスマホメーカーが作った自動車です。それなりの検証を経て販売されているのだと思いますが、安全技術の蓄積は日本やドイツといった自動車大国のそれにはかなわないでしょう。現にヨーロッパは自動運転に関する法律が大変厳格です。データや仕様のコンプライアンス、実証テストのルール、事故が起きた際の責任の所在、どれも厳しく定められています。テスラの完全自動運転機能がヨーロッパで広く普及していないのがその一例です。

もちろん中国の規制少ない環境が技術開発に一役買っているのは重々理解しています。実際、中国の自動運転・運転支援の実用化は世界トップクラスです。その一方、事故が起きた後も毎日のようにシャオミのSU7を見かけます。亡くなった3人の遺族はどう思うでしょう。街中で同型車種を見かける度、日本の回転ドアをめぐる対応との違いを思い出さざるを得ないのです。

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