The time is gone, the song is over, thought I'd something more to say.

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消えた「第1ターミナル」

妻と娘が1週間ほど日本に帰国することになり、空港に見送りに行きました。

1歳3か月になる娘は何度目の国際線でしょう(数えたら9回目でした)。私が岡山で過ごしていた幼少期には、まさか将来こんなに日本と外国を行き来する生活になるとは思いませんでした。ま、今回は私は北京で留守番ですけど。しばらくは独身生活です。

そういえば北京首都空港には第2ターミナルと第3ターミナルがありますが、第1ターミナルって全然聞かないですね。少なくとも私は一度も利用したことがありません。地図アプリで第1ターミナルを調べると“暂停开放”(当面閉鎖)と表示されます。一方、中国のSNSを調べると第1ターミナルは現在“西区卫星厅”(西エリアサテライトホール)として使われているという情報も。謎の第1ターミナル、真相が気になります。

弱冷房車はじめました

地下鉄に乗ろうとしたら、こんなものを見つけました。

日本にも「弱冷房車」ってありますよね、アレの中国版です。日本にははないですけど、中国には“强冷”ということで「強冷房車」も用意されているようです。

ところで、この「弱冷房車」って極めて日本的なサービスですよね。冷え性の方のために用意されたんでしょうが、そういう配慮が日本っぽいなあと思います。調べてみると日本で最初に導入されたのは1984年の京阪電気鉄道なんだそうです。もう40年以上前からあったんですね。一方、北京地下鉄に導入されたのは2023年と、ごく最近のよう。中国でも日本っぽい配慮が重視されるようになった証左かもしれません。

北京ユナイテッドファミリー病院

今日は都合あって病院に行きました。娘の出産でお世話になった「北京ユナイテッドファミリー病院」(“北京和睦家医院”)です。

この病院に来ると、妻の妊婦健診に付き添ったときのことや、娘が生まれたときのことを思い出します。出産直後に妻が手術を受けることになったのも、ここでした。いやあ、あのときは本当に大変でした。当時のあれこれが胸に去来して、ちょっと泣けてきます。

ちなみに、病院にいるあいだ娘はずっとおとなしくしていてくれました。お医者さんにも「いい子ね~」と言ってもらえて、娘もなんだか得意げに見えます。いろいろなことがあったけれど、今こうして家族みんなが元気でいられることに、心から感謝です。

蘇州の女

上海出張の最終日。今日は上海随一の観光地「外灘」(ワイタン)に行きました。観光ではなく、もちろん仕事です(^^)。

今日は少し霞がかっているかな、ぼやけているようです。

ここ外灘は英語名で「バンド」とも呼ばれますが、なぜそう言うのか知りませんでした。中国語のほうは何となく分かります。漢字の「灘」()は岸のことを指すので、おそらく「外側の岸」とかそういう意味でしょう。調べたところ、上海では川の上流を「裏」、下流を「外」と言うそうです。なので外灘は外側の岸ではなく「川の下流側の岸」という意味で、これが固有名詞になったんですね。一方、英語名の「バンド」は埠頭、堤防を意味する”Bund”に由来するようです。

ちなみに最初にあげた写真は外灘ではなく「外灘から対岸を見た様子」です。あのビルやタワーが建ち並んでいる地域は「浦東新区」で、私たちが立っている側が外灘。写真のように19世紀後半から20世紀前半にかけて建てられた西洋建築が建ち並んでいて、レトロを売りにしたバーやレストランが多く入っています。

以前、東京で働いていた頃に上海に出張する機会があったのですが、その際に上海オフィスの先輩が外灘のバー、というかクラブ?に連れて行ってくれました。先輩が飲み物を注文しに行ってくれたのですが、戻ってくるとなぜか女性を連れているのです。どう見ても東南アジア系ですが、外国語訛りの中国語で「アタシは蘇州人」と言い張ります。年齢は私より10歳は上だったかなあ、正直おばさんです(失礼)。私の隣に居座って「疲れたからホテルに行きたい」なんて言い出すので、私が絶句していると先輩がケラケラ笑っていたなあ。外灘に来ると、そんなことを思い出します。

上海大学再訪

出張で上海に来ました。

以前、広州に出張した日本人の同僚が「北京に比べて広州の人はみんな『生きている』感じがする」と言っていましたが、上海も同じですね。ふとした小さな通りでもオシャレなレストランや雑貨店が溢れ、人々が生活を楽しんでいる感じがします。

んなことを言ったら「北京の人は『生きていない』ってのか」なんて言われちゃいそうです(^^;)。いえいえ、北京には北京の良さがあると思います。ただ経済の都市・上海と政治の都市・北京ではどうしても違いがあるのは事実です。実際、今回一緒に出張した中国人の同僚は上海のほうが“开放”(開放的)だと言っていました。

私は今北京に住んでいて、学生時代に留学したのも北京です。中国語を話せば「発音が北京寄り」と言われることが多く、どちらかというと私は北京と縁の深い人間だと思います。け・れ・ど、実は上海とも縁があるんです。と言うのも、私が中国で初めて訪れた都市は北京ではなく上海なんです。高校時代に日中の高校生が交流するプログラムに参加し、地元・岡山の高校生で作る訪問団の一員として上海を訪問しました。当時は2005年、もう20年前のことなんですね。確かこの年は中国各地で反日デモが起きて大変な1年でした。プログラムの主催者からは再三「安全はきちんと確保します」という説明があったことを覚えています。

今日は仕事で上海大学に行きました。ここ当時も訪れた場所です。いくつかキャンパスがあるそうなので、本当に当時訪れた場所と同じかどうかは分かりませんけど。初めて訪中した際に訪れた場所に、こうして中国で働くようになって再訪する。何だか感慨深いです。

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