The time is gone, the song is over, thought I'd something more to say.

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儿科医院的面面观

タイトルの中国語は「小児科病院で見かけるあれこれの人間模様」みたいな意味です。

私の職場の近所には中国有数の小児科病院があり、中国各地から診察に訪れた親子連れの姿を多く見かけます。都会風のファッショナブルな服装に身を包んだ親子、おそらく農村から出て来たのであろう素朴な格好の親子、本当にあれこれの人間模様が観察できます。

今日は3、4歳くらいの男の子が“开裆裤”をはいているのを見かけました。珍しいなあ、今でもはいている子がいるんですね。“开裆裤”というのは股の部分が割れていて、お尻が丸見えになっている中国の幼児用ズボンです。どんな見た目か気になる方は、Google画像検索で“开裆裤”と調べてみてください。後ろから見ると子どものかわいいお尻が見えるような構造で、ズボンを脱ぐことなくしゃがめば素早く用を足せる仕組みになっています。その昔、中国ではオムツだと洗う手間や使い捨てで金がかかるため“开裆裤”が一般的でした。

今ではほぼ見かけなくなりました。だって農村部ならまだしも、都市部のそこらで大小便をするわけにはいきません。それに常に肌が露出している“开裆裤”は感染症の原因にもなり得ます。ここ最近は全く見かけない絶滅危惧種になっていたわけですが、まだ残っていたんですね。

調べてみると、今でも“开裆裤”をはかせる親がいる理由のひとつに「オムツの交換がしやすいから」というものがあるそうです。なるほど、オムツをした上で“开裆裤”をはかせるわけですね。確かにオムツの交換ってズボンを脱がせ、肌着を脱がせ……みたいな手順が必要なので、それを省けるなら相当楽になると思います。私にも1歳の娘がいるのでよーく分かります。

けれど今日の男の子はかわいいお尻が見えていたので、オムツ交換がしやすいように……というわけではなさそうです。今やメリットよりデメリットが上回りそうな“开裆裤”をわざわざはかせるのはなぜでしょう。見る感じ、男の子の両親は私より5歳ほど年上に見えました。もしかしたら自分たちが小さい頃によくはいた懐かしい“开裆裤”を子どもにもはかせたかった、そんなところかしら(^^;)。

でも、私も何となく理解できます。この冬、娘に半纏を着させたくて、日本に一時帰国をした際に衣料品チェーンの「しまむら」を回ったのですが、手に入らなかったんですよね。私も妻も小さい頃から半纏を着て育ち、私にいたっては今でも愛用しています。愛着のある半纏を娘にも着せたらかわいいだろうなあ……と何となく思ったんですけど。もう半纏の季節は過ぎてしまったので、娘の半纏探しは次の冬シーズンにお預けということになりそうです。

「裏切り」の木

職場近くで鮮やかな濃いピンクの花を咲かせた木を見つけました。近付いて見てみたのですが、とても変わっています。というのが、木の幹に直接花を咲かせているのです。

この木自体の花でしょうか。それとも別の種類の植物がこの木に花を咲かせたんでしょうか。

私はこういう植物に本当に疎いんですが、今はスマートフォンで何でも調べられるから助かります。Googleレンズで画像検索したところ、これは「ハナズオウ」という花なんだそうです。もちろん、この木自体がハナズオウで、早春にはこうして木の幹に直接を花を咲かせるんだとか。こういう開花の形態をとる植物を「幹生花」というそうです。

中国原産の植物ですが、今では日本でも北海道から九州にかけて広く見られるとのこと(知らなかったのは私だけかもしれませんね)。

ちなみに西洋には同じ種類の「セイヨウハナズオウ」があり、「ユダの木」と呼ばれているそうです。ユダというのはイエス・キリストの弟子の1人。イエスを裏切り、後にそれを後悔して首吊りにこの木を使ったことに由来しています。だからハナズオウの花言葉は「裏切り」なんだそう。何だかおどろおどろしいですが、花は幹から咲く生命力の強さを感じさせ、とても健気です。

会社宛の手紙

私宛に東京の本社から一通の手紙が転送されてきました。宛先は会社の部署名になっていて、私の名前は一文字も書かれていません。なぜ私のもとに?裏を見ると……女性の名前。ひと目で分かりました、中学時代の同級生です。

その同級生とは中学校を卒業して以来、成人式のときに一度だけ再会しましたが、それっきりの仲です。どういう風の吹き回し?読み始めてみると……私は仕事柄たまーにテレビに出ることがあるのですが、その放送を見たことをきっかけに連絡をくれたとのことでした。

女性から手紙が来たというと「そういう仲だった人?」と思われるかもしれません。いえ、全くそうではなく、ただの友人。サバサバした性格で、少し男勝り*1なところがありました。歯に衣着せぬ言い方が印象的で、芯がしっかりしていました。私に対しても厳しい物言いをしてくることがありましたが(笑)仲良くしていましたねえ。一緒に盛り上がった話題とか今でもハッキリ覚えています。まるで昨日のようですが、もう20年以上も前なんですね。

私は岡山出身ですが、中学時代は父親の仕事の都合で東京で過ごしました。当時は2000年代初頭で、中学生でもケータイを持っている人がほとんどでした。当時のケータイの電話帳は今に至るまで引き継いでいるので、手元のスマートフォンを見れば同級生の電話番号は大概残っています。

しかし今回手紙をくれた彼女の連絡先は全く分かりませんでした。と言うのが、彼女は当時ケータイを持っていなかったからです。ちょっぴり「昔かたぎ」なところがあり、デジタル系?のものを好んでいなかったんです、彼女は。きっと今もSNSなんてやっていないんじゃないかしら。さすがに今はスマートフォンくらい持っているんでしょうけど。けれど送られてきた丁寧な手書きの手紙を見て、変わっていないんだなあと微笑ましく思いました。会社の部署名が宛先になっていたのは、彼女も私の連絡先を知らなかったからでしょう。

中学生の頃から独学で中国語を勉強していた姿がとても印象的で、今でも祖母との会話で出てくるほど。当時は、なんで中国語なんだろう?と疑問に思ってしまい、ふざけてばかりの私は、つい配慮のない発言をしてしまったりと、嫌な思いをさせてしまったこともあったと思います。本当にごめんなさい。
今、中国で頑張っていることを知り、音読や字に対しても興味を持っていた意味がやっとわかりました。なりたい自分になる努力を、あの頃から続けていられることは、とてもすごいことだと思います。

そうそう、当時は周りの人からしょっちゅう「なんで中国語なの?」と聞かれました。その数年後、中国は目覚ましい経済成長を遂げ、今度は「中国語を学ぶなんて先見の明があったんだね」と言われるようになりました。けれどそんな打算的に学んでいたわけではありません。理由はただただ、中国語という言語そのものに興味があり、学ぶこと自体が楽しかったからです。

まあ、これだけでもかなり変わった中学生ですよね。こんな中学生がいたら、私だって「変わった子だな」と思うと思います。けれど当時学び始めた中国語は今でも続いていますし、今や「飯の種」として身を助けてくれています。曲がりなりにも仕事にすることができたのですから、ありがたいことではあります。ちょっと口幅ったい言い方で恐縮ですが、これは中国語をただただ好きで学び続けていたからかも、と今にして思います。

彼女の手紙を読み、当時、純粋に楽しく中国語の海を泳いでいた頃のことを思い出しました。初心を思い出させてくれた彼女に感謝です。ぜひ私も手書きで返事を書こうっと。

References
*1今はあんまりこういう言い方をしちゃいけないんですかね。

ハイアール兄弟

今日外を歩いていると、ふとエアコンの室外機が目に入りました。

中国の電機メーカー「ハイアール」のエアコン室外機です。ハイアールは漢字で“海尔”と書き、この漢字の中国語発音が「ハイアール」です。

それより気になったのは2人の男の子の絵。レトロな感じですが、これはナショナル坊や的なキャラクターでしょうか。調べてみると彼らは“海尔兄弟”(ハイアール兄弟)というそうで、中国ではテレビアニメにもなったことがあるそう。なぜ下着姿(それとも水着?)なのかは分かりませんが、コテコテの中華色が強いキャラクターでないところが歴史を感じさせます。今の中国は“国潮”*1といって「いかにも中国らしい」ものを好む傾向がありますから。

 

 

References
*1国=中国の、潮=ブーム(潮流)の略。

地下鉄サリン事件から30年

昨日、3月20日は地下鉄サリン事件の発生から30年。ここ数日、テレビや新聞では連日事件を振り返る特集を扱っていました。

当時、私は6歳でした。ワイドショーではオウム真理教をめぐるセンセーショナルな映像を連日放送していました。最たる例が、1990年に教団の幹部が衆院選に立候補したニュース。白いユニホームの信者たちが宣伝カーに乗ってマーチを流し続ける様子は全国の子どもたちに強い印象を残しました。しょーこ、しょーこ♪とマーチを口ずさんで叱られたことがあるのは私だけではないはずです。

当時は物事の分別がつかなかった私も、成長するにつれていかに事件が未曾有の出来事だったかを知るようになります。中学時代、私は父親の仕事の関係で東京に引っ越しましたが、初めて地下鉄・霞が関駅を訪れた際に「ここが事件の起きた駅か」と思ったことをよく覚えています。

一方、最近の報道によると若者の間では地下鉄サリン事件を知らないという人が増えているんだそうです。近年、教団の後継団体は新規の構成員の7割以上を20代と30代の若者が占めていて、公安調査庁は「事件を知らない若者が勧誘されている」と警鐘を鳴らしています。

今朝の朝日新聞に江川紹子さんのインタビューが掲載されていました。江川さんといえば、言わずとしれた教団を長く取材してきたジャーナリストの1人。この中で江川さんは「社会そのものが『カルト性』を帯び始めている」と指摘しています。

江川さんは「自分たちが絶対に正しく、批判する者を悪だとする考え方や、思うようにいかないと、自分たちを被害者だと主張し、陰謀論に走る姿勢。こうした特徴が、社会全体に見え始めている」とする。

人々はなぜ、時に善悪二元論に陥り、陰謀論にはまるのか。江川さんは今こそ、「カルト現象」とも言うべきこうした状況の背景を探るための研究や、カルトに絡め取られないための教育が必要だ、と訴える。念頭にあるのは、カルトの闇が、地下鉄サリン事件とは違う形で悲劇を生んだ安倍晋三元首相銃撃事件だ。「このままカルト対策をせず放置すれば、形を変えて、3度目の悲劇が起こりかねない」

朝日新聞デジタル(2025年3月21日)

根拠のない「陰謀論」が無責任に拡散され、社会をゆがめるSNS隆盛の時代。もし地下鉄サリン事件の起きた当時にSNSが存在していたなら……と、恐ろしいことを考えてしまいます。しかし江川さんのインタビューを読むに、今のほうがよっぽど事件の繰り返される可能性は高いのかもしれません。

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