The time is gone, the song is over, thought I'd something more to say.

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ターミネーター

先週、映画『アイ・アム・レジェンド』を見たというブログ記事の中でSFが素直に見られなくなったと書いたばかりなのに、今日は1984年公開のSF映画『ターミネーター』を見ました。と言うのが、有名な作品なのに見たことがなかったからです。

ターミネーター(アメリカ/1984年)

以下、映画のネタバレがあります。

やはり作品を見ていると展開が予想できてしまいます。この主人公、きっと女性と恋に落ちるよ!この主人公、このあと死んじゃうよ!そんなことをぶつぶつ口ずさんでしまうから、隣で見ている妻に「楽しくなくなっちゃうじゃない」と言われちゃうほど。ですがそれが全部当たるんです。

で、クライマックスまで見たところで気付きました。私、ターミネーター、見たことがあるわ(^^;)。展開が予想できるのも、見たことがあれば当然です。

むしろ映像のほうで忘れていることが多く、興味深かったです。例えば終盤でターミネーターが金属骨格むき出しのロボットになるシーンのストップモーション。ストップモーションというのは人形を1コマ1コマ少しずつ動かしながら撮影し、あたかも人形が自ら動いているように見せる撮影技術です。CG技術が進化した現代の映画では出番が少なくなりましたが、昔の映画ではよく使われているんですよね。キングコングとか有名ですし、あとティム・バートンの作品にもよく使われています。

こういう80年代のSF作品は未来を描いているのに、登場する技術が古かったり、未来から来たはずの登場人物が80年代っぽい感じを醸し出していたり、何だか「レトロフューチャー」感が滲み出ていて良いですね。私は好きです。

アイ・アム・レジェンド

金曜日の夜に映画『アイ・アム・レジェンド』を見ました。2007年公開のSF映画です。

アイ・アム・レジェンド(アメリカ/2007年)

見るのは初めてではありません。映画館だったか、テレビだったか、どこで見たのかは忘れましたけど。ストーリーは知っていたわけですが、何て言うか、悲しいことに年を取るとSF映画がピュアに見られなくなっちゃいますね。昔はもっとSF映画のワクワクを楽しんでいたような気がするのに。見ているとツッコミどころが満載なのです。

舞台はウイルス感染が拡大して人類がほとんど死滅してしまった世界。ウィル・スミスが演じる主人公は廃墟と化したニューヨークに暮らし、野生動物を狩ったり野菜を収穫したりして自給自足の生活をしています。

主人公は自宅に帰ると照明を付け、テレビを見て(放送ではなくビデオを見ているようです)、パソコンを使い、シャワーを使っています。世界から「ほとんど人がいなくなってしまった」にもかかわらず、です。これらのものは、コンセント、蛇口、ガス栓から自然に出てきません。送電設備やポンプといった機材が常に保守点検・維持管理され、発電所、浄水場といった施設に働く人がいてこそ、初めて提供されるわけです。すると(おそらく)ニューヨークで最後の生き残りである主人公のもとに誰がどうやって提供しているのでしょう。

また、廃墟化した街には放置された自動車の間を走り回る鹿のような野生動物*1の群れと、それを狩ろうとするライオンが登場します。この動物たちはウイルスに感染しないんでしょうか。ウイルスは犬には感染するようで、作中には凶暴化した犬が登場します。世界中の人類がほとんど死滅したのに、野生動物は大量に出てくるというのは何だか解せません。

別に理屈で見るタイプの映画ではないのです。もっと素直に楽しめばいいのに、ああ、なんで私は「設定のリアリティ」や「ストーリーのありえなさ」ばかりにフォーカスしちゃっているんでしょう。初めてこの映画を見たときはもっと素直に楽しんでいたはずです。

ちなみに、この映画の原作は1954年に出版されたアメリカの作家リチャード・マシスンによる『地球最後の男』(原題:I Am Legend)です。これを藤子・F・不二雄さんがオマージュした『吸血鬼』という短編漫画があります。世界の人類がウイルスに感染して激減する中、残った主人公が抵抗する……というストーリーは同じなのですが、結末は全く違うものになっています。ある行為も、別の立場から見ると全く違って見えるという“二元的観点”を取り入れていて、この作品は読み終えたときにハッと気付かされるといいますか、鳥肌が立つ思いでした。正直、こちらのほうがより深い読後感があったように思います。

References
*1調べてみると鹿ではなく「インパラ」というウシ科の動物なんだそうです。

通常運行の正月2日

正月2日、北京は通常運行です。朝の通勤ラッシュもいつも通りで、会社に着く頃には今が正月三が日であることを忘れていました。日本人の同僚が数名休みを取っているので、いつもより人が少ないオフィスを見て「ああ、今日は1月2日だった」と思い出す次第。

オフィスの同僚たちに「あけましておめでとうございます」とか“新年好*1と挨拶しますが、どこか小恥ずかしいのはなぜでしょう。正月の雰囲気が全然ないからかもしれません。だって昨日の元日1日会わなかっただけなんだもの(^^;)。

お昼を食べに職場近くのショッピングモールに行くと、名探偵コナンの映画の宣伝パネルが並んでいました。漢字を見たら映画タイトルが分かると思います、「名探偵コナン 迷宮の十字路」*2です。

この映画、ずいぶん前の作品ですよね。調べてみたら2003年……もう20年以上も前です。よく見たら宣伝看板に“4K画质 大银幕初见”(4K画質 大スクリーンで初お目見え)と書いてありました。つまり中国で正式に映画上映されるのは初めてだということですね。確かに20年前だと今より海賊版が幅を利かせていた頃です。

中国でも最近は知的財産権を保護しようという意識が高まり、海賊版や違法配信はだいぶ淘汰されました(完全になくなったとは言えないですけど)。人々の所得水準も上がり、昔見た作品をきちんとお金を払ってでも映画館で見たいという声が高まっているんだと思います。実際、中国では『天空の城ラピュタ』とか『紅の豚』といったジブリ作品のリバイバル上映が相次いでいます。日中関係をめぐってはいろいろありますけど、こうした文化交流はそんなのどこ吹く風なのかもしれません。

References
*1中国語で「あけましておめでとうございます」。
*2もっとも「十字路」で「クロスロード」と読むそうです。

渚のシンドバッド

タイトルはピンクレディーの有名な歌と同じですが、関連性はありません。どこかで予告編を目にして(どこで見たのか記憶にないのです、ツイッター……もといXかしら)いい雰囲気だなあ、見てみたいなあと思っていたらAmazonプライムビデオで公開されていることを知り、鑑賞しました。

【ネタバレがあります】

渚のシンドバッド(日本/1995年)

高校2年生の伊藤は、同級生で同じ吹奏楽部に所属する同性の吉田に思いを寄せながら、それを伝えられずにいる。一方、数か月前に転校してきた女子生徒、相原は少々変わり者で周囲から浮いていたが、なぜか伊藤と気が合って2人は親しくなっていく。そんな相原にはかつてレイプされるという悲しい過去があった。やがて伊藤はゲイだと噂を立てられてしまい、意を決して吉田へ自分の本心を語ろうとするが……

90年代ならではのノスタルジックな雰囲気が終始漂う作品。私は個人的に「エモい」という言葉があまり好きではありませんが*1、ああこういうのが「エモい」ということなんだなと教えてくれる映画です。

伊藤がクラスメートの吉田に特別な感情を抱いていることをいち早く察するのが相原。相原自身も前に通っていた高校でレイプされて心に傷を負っているからこそ、伊藤が「自分は他の人と違う」という、ある種の孤独を抱えながら生きていることを敏感に感じ取ります。伊藤も相原が自分に偏見を持たずに接していることを感じるので、2人の距離は縮まっていきます。

登場人物は私より上の世代ですが、作品で描かれる敏感で微妙な友人たちとの距離が自分も高校生のときに感じていた空気と映像に重なり、とてもリアルでした。自分にもこんな時代があったなあ、もう戻れないんだなあ……と思う反面、うーん、戻れたとしても戻らないかな?とも。思春期や青春時代ってどうにもならないけど、どうにかして生きていかなきゃいけないんですよね。

2時間の大作でしたが無駄なシーンがひとつもありませんでした。岡田義徳が特にすごいんですけど登場人物の演技があまりに自然なので、見ていてこちらが恥ずかしくなったり、思わず笑ったり、見ていられなくなったり……映画を見てこんなふうに感じることは滅多にありません。あと相原役は、何と浜崎あゆみなんですね。歌手としてデビューする前なんだそうですが、女優としても成功していたんじゃないかと感じる演技でした。

いろいろ印象に残った台詞はあるんですが、そのうちの一つが終盤で伊藤が言った「(自分の好きな人が)どんなふうに人を好きになるか見たかった」という言葉。あとエンディングの高梁和也さんの「うしろむきの私」も良いですね。作中に出てくる海の色が思い浮かびます。

References
*1「エモい」が言わんとすることは、私も何となく分かります。自分自身がかつて経てきた経験や記憶と重なって懐かしく、時に胸が締めつけられるような……ああ、このときにはもう帰れないんだ、みたいな感覚。私が何となく嫌なのは、そんな複雑な感覚を「エモい」というひと言で表すことへの抵抗かもしれません(笑)。

紅の豚

昨日から上映が始まったスタジオジブリのアニメーション映画「紅の豚」を見に行って来ました。

こちらは中国版のポスター、タイトルは《红猪》です。中国語を解さない日本の方は「これじゃあ『紅のイノシシ(猪)』じゃないか」と思うかもしれません。中国語では“”と書いて「ブタ」という意味なので《红猪》で正解なんです。一方のイノシシは中国語で“野猪”と書きます。

中国では今年6月にも「天空の城ラピュタ」が上映されて話題になりましたが、ここ最近ジブリ作品のリバイバル上映が相次いでいます。その背景には中国国内でのジブリ作品の人気に比して「リアルタイムに映画館で見た」という人が少ないという事情があります。だって「紅の豚」が日本で公開されたのは1992年。当時の中国はまだまだ経済発展の途上ともいえる状況で(今も『発展途上国』ではありますが)映画館で優雅に日本のアニメを鑑賞するような時代ではなかったでしょうね。

では、中国の人たちはどうやってジブリ作品を見ていたのか。おそらくは海賊版だったのかと思います。かつて……といっても、ほんの十数年前の話ですが、中国では海賊版のDVDが蔓延していました。私が留学していた頃も三里屯みたいなオシャレな街にさえ海賊版DVDを販売する店が普通にあり、様々な映画作品が1枚8~10元で売っていました。当時のレートで150円いかないくらいですから、そりゃあ買う人がいますよね*1

北京・三里屯にかつてあった海賊版DVDを販売する店舗(2011年1月撮影)

今や中国も経済発展し、海賊版は淘汰されました。それなりのものにはそれなりに対価を払うという当然のことが中国でも認識されるようになったのです。往年の名作を「きちんと」映画館の大きなスクリーンで見たいという人が出てくるのも納得できます。

今日私たちは北京中心部、芳草地の映画館で「紅の豚」を見ましたが、客は20人足らずですかね。客席の数からすれば少ないかもしれません。けれど日本のアニメ作品がこうして中国で堂々と公開され、お金を払って見に来る中国の方がいるっていうのは尊いことだなあと思います。ましてや日本と中国の関係が微妙な今だからこそ、こうした動きは大切にしたいものです。

References
*1ちなみに当時日本人留学生の間では、ここで買ったディスクをパソコンで再生するとドライブが故障するというウワサが広まっていました
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