The time is gone, the song is over, thought I'd something more to say.

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北京の集合住宅

中国と一概に言っても日本の約25倍の面積を有していて、それぞれの街がそれぞれの風景を持っています。私が今住んでいるのは北京ですが、北京には北京の風景があるんですよね。

例えば“胡同”(フートン)なんかは典型的な北京の風景だと思います。日本語でいうと「横丁」といったところでしょうか、細い路地のことを指します。それに「天安門広場」といった規模の大きい施設があるのも首都・北京ならではの景色。あとは東西南北に道路が碁盤の目のように走っているのも都ならではだと思います。

もうひとつ、集合住宅にも北京っぽさがあると思います。何と言うんでしょう、共産主義っぽいというか社会主義国家っぽいというか、その独特な雰囲気が特徴です。先日、上海から出張に来た同僚も集合住宅を見て「北京っぽい」と話していました。ロシアに駐在したことのある上司も「モスクワにもこうした団地がたくさんあった」と話していましたから、やはり東側の国に多かった様式なのかもしれません。

昼間に見ていると時代遅れで古めかしい雰囲気を感じるのですが、夜になるとそこは中国。ギラギラとライトアップが始まります。これ、どこまでコンセンサスが得られているんでしょう。だって自分の家が知らない間にピカピカ光っていたら、ねえ(^^;)。

毽子(ジェンズ)

昼食を食べに会社の外に出ると近所の広場(日本でいうところの小さい公園でしょうか)で大人5人が集まって“毽子”(ジェンズ)をしていました。

中国の伝統的な遊びで、日本の「蹴鞠」(けまり)に似ています。バドミントンの羽根のようなものを蹴り合う遊びで、写真だとちょうど地面に付きそうなところに写っているのが“毽子”です。中国では至る所でよく見かけます。サッカーのリフティングのように、上手にやるんですよね。

今日見かけたのは30~50代と思わしき方々。キャッキャッはしゃいでいましたが、日本でも会社員が昼休みにバドミントンをしたり、バレーボールをしたりするのと同じような感じでしょうか……いや、私自身はそんな会社員が本当にいるのか見たことないんですけど(笑)。

「君は日本人だよね」

この前、職場で日本人の先輩から「君は日本人だよね」と言われました。

最初は何を言っているのかよく分かりませんでした。私が日本人だなんて分かりきったことだし、そんなことを言う先輩だって日本人なのです。どういう意味かをよくよく聞いたところ、日本人の家庭に生まれて日本の環境で育ってきたよね、ということが言いたいらしいのです。

どういうことかと言うと、職場にいる日本人同僚の中には「親がもともと中国人」(今は帰化して日本人)という人が若干いるのです。普通につきあっていると全く気付かないのですが(別に気付く必要もないんですけど)中国語を話すと「え、この人なんでこんなに中国語が上手なの」というレベルに気付きます。後から聞くと親がもともと中国人で、家庭では中国語を話していたとか、小さい頃に中国にも住んでいた……という方なんですよね。

そういう方に比べると、私の両親は中国と無縁の日本人です。中国語だって私が始めたくて勝手に始めました。私が中国語と初めて出会ったのは小学生の頃で、小遣いを握りしめ、近所の書店で「ひとり歩きの中国語自由自在」という旅行会話の書籍を買ったのが初めてです。

両親は驚いた……と言うより「この子、どうしたの?」と感じたと思います。だって当時、私はまだ小学4年生でした。中国は今のような経済発展も見られない頃でしたし、両親は一体どうして中国語なんて?と思ったでしょうね。それが普通だと思います。

閑話休題。

そんなこともあり、私が中国語を学んできた環境は「中国人が圧倒的に少ない」んですよね。よくおもしろがって言うのですが、私の中国語は純粋な「MADE IN JAPAN」です。ですから大学時代に北京に留学できたことは大変貴重な機会でした。

一方、親が中国の方だった人や帰国子女は小さい頃から「中国人が圧倒的に多い」環境で暮らしてきました。だから……と、決めつけるのはよくないですけど、たまーに仕草が中国人っぽくなるときがあるのです。仕草というか、性格?態度?例えば、意見が対立したときに相手が年上の上司でも絶対に譲らないとか。良いか悪いかは別ですよ、けれど「そんなムキにならなくても」というほど食い下がらないのです。

実は先日も職場で会議を開いた際、同僚同士で意見が対立したことがあったんですね。私からすれば「とっても些細なこと」で、どっちでもいいじゃない……と思っていたのですが、まあ、その同僚の譲らないこと。会議が終わってからも不満を口にしていました。こういうのを目にすると、ああ、中国の血が流れているんだなあって思っちゃいます。

私は典型的な「事なかれ主義」で、どちらかというと場の空気を優先する性格です。どうでもいいことなら多少自分の意見と違っても問題視しません。むしろアレコレ指摘してかき乱す方が面倒に感じちゃう。先輩は私のそういうところを見抜いて「君は日本人だよね」と言ったわけです。別に日本人がみんな「事なかれ主義」だとは思いませんが、聞かれないと答えないというか(笑)そういうところがありますよね。私もそう思います。

まあ「事なかれ主義」だって善し悪しです。それに中国で生活するのにそれではいけません。主張すべきことは主張し、譲れないことは断固拒否しなければならない。日本と違って声が小さいと埋もれていく国ですからねえ。そういう意味では中国の方々が「主張が強い」のは当然と言えば当然なのかもしれません。そうでないと生き残れない社会ですから。

ただ日本の、日本人ばかりの職場で、あまり「主張が強い」と……ね。私に「君は日本人だよね」と言う先輩に対し、思わず「何が言いたいんですか(笑)」と聞いちゃいました。先輩は「何でもない(笑)」と話していましたけど(^^;)。

「優先席」をめぐる日中の違い

今日、中国人の同僚と公共交通機関の「優先席」の話になりました。

これは私の個人的な印象ですけど、日本って一般の座席が空いていたら、わざわざ「優先席」に座らないですよね?車内が混んできたら「優先席」に座ることもあるでしょうが、私なんかは「高齢の方が乗車して来たら立たなきゃ」と気になっちゃって結局ゆっくり座れません。

一方の中国(北京)では、皆さん一般の座席が空いていても「優先席」に構わず座るんですよね。中国人の同僚もこの話に同意してくれ、私が「日本の電車だと車内が少し混んでいても『優先席』は空いていることが多い」と話すと「ええ~!」と驚いていました。

私の想像ですけど、中国では「席を譲る」文化が日本以上に根付いているからじゃないかと思います。と言うのが、中国だと一般の座席であろうが「優先席」であろうが、譲るときには譲るんです。だから中国の方々にとって自分の座っている場所が「優先席」かどうかは問題ではないのかと。

私が北京に留学していた十数年前に「優先席」ってあったかなあ。いや、あることはあったかもしれません。“老弱病残孕专座”(老人・弱者=子ども・病人・障害者・妊婦の専用席)という名称を覚えていますから。けれど日本みたいに、どの公共交通機関のどの車両にもあったかと言われると、うーん、無かったんじゃないかなあ。そんな座席がなくても、みんな席を譲っていましたからね。

日本は中国に比べて「席を譲る」という点においては、まだまだと思います。目の前に高齢者や子どもが立っていても席を譲らないという場面をよく目にします。まあ、日本の高齢者は元気な方が多いですし、日本の子どもは「立っていなさい」と教育されるほうが多いかもしれませんから*1、一概には比較できないかもしれません。あとは「私が席を譲らなくても、誰か別の人が譲るだろう」と考える人も多いかもしれません。だからこそ日本で「優先席」が生まれたんじゃないでしょうか。

私は中国の積極的に「席を譲る」っていう文化、すごくいいと思います。日本はそれができないから「優先席」が作られたのであり、究極の話、中国の公共交通機関には「優先席」なんて無くいいんだと思います。そんな中国でなぜ「優先席」が生まれたのか……うーん、公共交通機関が「高齢者や子どもを労っているよ!」というアピールをするため、でしょうか。本当にそうなら、それもまた違った意味で中国らしいと感じます(^^;)。あくまで想像ですけど。

References
*1中国の子ども(未就学児)は日本に比べて甘やかされて育つ子が多いとは感じます。特に一人っ子政策のもとで生まれ育った子は両親に溺愛されて育ち、「小皇帝」と呼ばれることも。

格安「シャインマスカット」

中国では日本より果物が身近なように思います。まず何と言っても安い。さらにスーパーだけでなく道ばたでも果物を売る人がいて、どこでも手に入ります。日本だと果物って贈答品に使われますし、少し「お高い」イメージがありますよね。

私はそんなに果物をしょっちゅう食べる人間ではありませんが、生まれ育った岡山が果物王国ということもあり、小さい頃から果物には恵まれて育ちました。種なしブドウの「ピオーネ」は粒が大ぶりでパクパク食べられちゃいます。あとは白桃、岡山には「清水白桃」とか「おかやま夢白桃」とかたくさんの品種があり、そこらに直売所があります。白桃って削ぐようにして切るんですけど、そうして切った白桃がよく食卓にのぼりました。

中国の方に岡山の説明をする際にはこういった果物の話をします。すると、よく言われるのが“晴王”っておいしいですよね!という反応。“晴王”って……シャインマスカットのことですよね?

シャインマスカット | JA晴れの国岡山
現在、人気沸騰中のシャインマスカット。甘みや香りはもちろん、「種なし」「皮ごと食べられる」という食べやすさ、大粒なので食べ応えがあり、 美しい黄緑の粒と光沢はエメラルドグリーンの宝石を思わせ、贈り物としても人気を博しています。

皮ごと食べられ、種が無くて、大粒。高いものだと1房で1万円を超えるものもあり、岡山も産地の1つですが、私だって滅多に食べられません。だと言うのに、中国の方で「おいしかった~」という方が結構いらっしゃるのです。確かにスーパーの果物コーナーを見てみると“晴王”や“阳光玫瑰”がよく並んでいます。どちらも「シャインマスカット」ですね。ただ気になったのが「値段」です。

こちら、中国のデリバリーアプリで「シャインマスカット」と検索した画面です。右上の333.3元(約6600円)は分かります。けれどそれ以外は26.9元(約540円)とか39.9元(約800円)と、「シャインマスカット」の相場価格からして安すぎます。はて?と思い検索して調べてみると、中国には果たして「品種流出」という問題があるのでした。

損失100億、シャインマスカット「中国流出」の痛恨
「香港の取引先から、中国産の『晴王』がコンテナで運ばれているのを見たと教えてもらった。梱包用の段ボール箱まで、本物の晴王を入れているのと同じJA岡山のロゴがプリントされているものだったので、一見して本…

この東洋経済の記事によると、日本が33年をかけて生み出した「シャインマスカット」の種苗が無断で中国や韓国に持ち出され、現地で栽培されて安価な「海賊版」として第三国にまで出荷される事態になっているというのです。

果物は「生き物」ですから栽培の環境は重要です。岡山が産地たる理由も温暖で雨が少ないからであり、種苗だけ中国に持って行って「全く同じものが栽培できる」はずはないでしょう。けれどそれ故、品質の劣る「シャインマスカット」も市場に多く出回っているよし。価格の安いものが出回れば日本産のいわば「ホンモノ」と競合するでしょうし、品質の劣るものが出回ればブランドイメージに傷が付く可能性もあります。日本が苦労して開発した「シャインマスカット」を中国で安く食べられるというのは手放しに喜んではいけません。

中国も昔に比べると「海賊版」とか「パクリ商品」は少なくなりました。けどそれは規制なりが厳しくなったからであって、バレなければどうせ大丈夫だろうみたいな根底の部分って意外と根強く残っているんですよね。

https://consumer.huawei.com/en/headphones/freebuds-se-2/

例えばこのファーウェイのイヤホンにしたって、これがアップルの「AirPods」の模倣でなくて何だというのでしょう。商品名さえも「FreeBuds」と名乗って「AirPods」っぽくしちゃうところが逆に潔いというか……こういうところが変わらない限り、格安「シャインマスカット」は延々と市場に出回り続けるんじゃないかと思っちゃいます。

餃子を食べましょう

先日「三伏天」について書きましたが、今日がまさに「入伏」です。1年のうちで最も暑い時期に「入る」ということですね。

「三伏天」はその名の通り3段階あって、「初伏」「中伏」「末伏」と分かれています。これは「頭伏」「二伏」「終伏」とも呼ばれ、中国では古くから「頭伏餃子、二伏麺」という言い方があります。つまり「『三伏天』に入ったら(=『頭伏』)まずは餃子を食べ、『二伏』になったら麺を食べましょう」という意味です。さっそく昼過ぎ、中国人の同僚から“你吃饺子了吗?”(餃子は食べましたか)と聞かれました。私はすっかり忘れていましたが(笑)この同僚はきちんと食べたようです。

ちなみになぜ「三伏天」に入ったら餃子を食べるんでしょう。同僚もそれは分からないようです。しかし思えば、中国の方々……特に北方の人たちですけど、立冬、冬至、年末、新年、何かにつけ餃子を食べます。私が“中国人动不动就吃饺子”(中国人はともすれば餃子を食べますね)と言うと、同僚は笑っていましたけど(^^;)。

なぜ餃子なのか調べたところ、昔の人々の生活習慣と関係があるようです。「三伏天」に入る頃はちょうど小麦の収穫が終わった時期。どの農家にも小麦粉が大量にあるんですね。そこで小麦粉を使った餃子を作り、それを食べて体調を整えるという意味があったようです。餃子は豊富なビタミン、ミネラルを有する野菜や、たんぱく質を含む肉を使っていて栄養たっぷり。「三伏天」は暑くて食欲も減退する時期ですから、餃子を食べて健康になりましょう、ということなんですね。

ちょうど職場を出る頃、ふと「雨が降りそう」な風を感じました。「入伏」したものの、そこまで暑いと感じません。すると案の定、夜になって豪雨。雷も鳴るほどの激しい荒れ模様でした。

ちなみに「三伏天」に入ると湿度が高くなり、蒸し暑くなるそうです。すると、この雨が降ったというのも昔の人が指摘した通り……なのかもしれません。

北京の病院(の外)で怒られた話

今日、北京にある少し大きめの病院に行ってきました。

入口近くの公道から病院の建物を1枚だけ写真に撮ったところ、後ろから「写真を撮るな」と言われました。おそらく病院の関係者でしょう、私は「はいはい」とだけ返事しておきましたが、この感覚、何だか久しぶりだなと感じました。

病院は公共施設です。日本の場合、公道から建物を撮るだけなら問題にならないと思います。敷地内で許可無く撮影をしたり、誰かが写り込んだりしたら注意されるでしょうけど。しかし中国は公道であろうが敷地内であろうが、怒られちゃいます。

確かに中国、特に北京で辺り構わず写真撮影するのは御法度だし、危険です。中国には政府施設や軍事施設といった、明確に写真撮影が禁止されている場所があり、勝手に写真撮影をすると最悪身柄を拘束される場合もあります。

けれど、それは「敏感な場所」に限った話。ショッピングモールといった何でもない場所は別です。中国の人たちだって、みーんな思い思い写真を撮影しています。おそらくTikTokなんかに投稿するためなんでしょうけど、満足がいくまで何度も自撮りをしていて「そこまで自分が好きなのか」と言いたくなる場面に出くわすことも。

今日の私は単に病院の建物を撮っただけで怒られてしまったわけですが……何だか、むかーし読んだ本のことを思い出しました。

http://www.gendaishokan.co.jp/goods/ISBN4-7684-6881-0.htm

お茶の水女子大学の元教授で、NHK「中国語会話」で講師役も務めた相原茂氏の「北京のスターバックスで怒られた話」、中国語にまつわるたくさんの面白いエピソードを集めたエッセー集です。この本が出版された2004年当時、私は中学生でした。ちょうど中国語を学び始めて間もない頃で、夢中で読んだことを覚えています。持っていた相原氏のエッセー集はこれだけではありません。

タイトルにもある「北京のスターバックスで怒られた話」というのは、相原氏が北京のスタバで写真撮影をしようとしたら店員に怒られたという、自身のエピソードです。

残念ながら本を日本に置いてきてしまったので記憶に頼るしかないのですが、写真撮影を咎める理由について「自分の権利を主張する中国の文化によるもの」と説明していたように覚えています。中国人は「自分エリアなかは力を行使し、顕示しようとする」傾向が強い。つまり、行為そのものが禁止されているからというより「私がダメと言っているからダメなのだ」と自分の権力を行使したがる人が多いからだと指摘しているわけですね。

でも、何となく分かります。例えば中国の地下鉄やバスの車内で見かける「乗務管理員」というスタッフ。車内の治安・秩序を守ることを目的にいるわけですが、よく高圧的な人を見かけます。新型コロナウイルスの感染がまだ深刻だった頃は、あごマスクの人物を見つけると「マスクをきちんとつけろ!」と大声で叫ぶんですね。最近はあまり言わなくなりましたけど。

あとは「保安」。肩や胸に「保安」と書かれたワッペンを付けていて、警察官みたいな制服を着ています。ふと「警察官なのかな?」と思っちゃうのですが、いえ、違います。中国の「保安」は単に警備員みたいな立場の人で、警察官のように法律を執行することはできません。なのに「力を行使したがる」からなのか、高圧的に「パスポートを見せろ」「記録用に写真に撮る」とか、そういうことを言いがちです。私も一度そういう経験があり、その際は「何の権利があって私のパスポートの写真を撮るのか」と反論しましたけど。だって、何に悪用されるか分かったもんじゃありません。

まあ、日本にもたまーにいますけどね。自分に与えられた役割をもって「自分が偉くなった」と勘違いしちゃう人。でも今日、私に「写真を撮るな」と言った人は怖かったです。中国のほうが少し深刻かも知れません。

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