The time is gone, the song is over, thought I'd something more to say.

カテゴリー: ひとり言 (3ページ目 (90ページ中))

月に代わっておしおきよ

ふと会社近くに止まっていた電動バイク。

カタカナで「セーラームーン」と書いてありました。そうそう、中国でもセーラームーンは人気があって……と思いきや、よく見ると“美少女壮士”。あれれ、ここは“美少女战士”(美少女戦士)じゃないの?まあ、中国ではこういう「っぽいもの」を見かけることは珍しくありません。

ちなみにセーラームーンの有名なセリフ「月に代わっておしおきよ」は中国版では“代表月亮消灭你们”と言います。直訳すると「月を代表してあなたたちを消滅させるわ」と言ったところでしょうか。台湾版はまた違って“我要代替月亮懲罰你”。訳すと「月に代わってあなたを懲らしめるわよ」で、こちらのほうが日本語のニュアンスに近いかもしれませんね。

命の重さ

先日、韓国で犬食を禁じる法案が国会で可決されたというニュースを目にしました。

【1月10日 AFP】韓国議会は9日、犬肉の処理および販売、食用を目的とした犬の繁殖を禁止する法案を208対0で可決した。韓国には犬肉食の伝統があるが、動物愛護団体は長年、国にとって恥ずべきことと批

犬食と言えば確かに韓国が有名です。とは言え、私は韓国に3回旅行しましたが犬食を食べる機会は一度もありませんでした。韓国でも犬食に反対する人が増えていたといいますから、実際に食べる人も減っていたのでしょう。法案の採決では反対する議員がゼロだったということが物語っていると思います(棄権は2人いたようです)。

私は小さい頃から犬のいる環境に育ちました。最初は「ハッチ」という名前のシェットランド・シープドッグ。私の母が結婚する際、自分の両親(私の祖父母)へ「寂しくなるだろう」と送ったそうです。私が生まれる前から祖父母宅で飼われていたハッチは、私にとって「いるのが当然」の存在でした。祖母はいつも誰よりもまず最初にハッチに食事を用意していました(ドッグフードではなく手作りです)。祖母に手を引かれてハッチの散歩にもよく行きました。散歩中にハッチが突然逃げ出し、私が走って追いかけてつかまえことも覚えています。

ハッチと、ハッチをなでる祖母

ハッチが死んだのは私が小学2年生のときでした。私が生まれて初めて「死」と向き合ったのも、このときだと思います。寒い冬の火曜日でした。ハッチが日に日に弱っていることは祖父母から聞いていました。祖母からハッチが死んだと連絡を受け、平日でしたが祖父母宅に駆けつけたのです。横たわったハッチの体をなでると冷たくて硬かったこと、今でも忘れません。

その後しばらく犬とは無縁の生活が続きましたが、私が高校生になった年にウェルシュ・コーギー・ペンブロークを飼い始めました。名前は「ゼロ」。もちろんハッチのことは大好きでしたが、自分の家で飼っていたゼロとの親密ぶりはそれ以上でした。

思い出すのはゼロのぬくもり。寒い冬に私の膝にちょこんと乗ってくるのですが、それが温かいのです。ゼロが生き物で人間と同じように「生きている」ことを感じました。私たちが兄弟げんかをしていると必ずゼロがギャンギャン鳴いて仲裁に入ってくるのも不思議でした。家族が争っているのを見るのが嫌だったのかな。あと私がゼロに顔を近づけてキスをしようとしたら(笑)怒って噛みつかれたこともありました。私の唇には当時の傷が残っています。今となってはゼロとの思い出です。

散歩中のゼロ(2006年4月撮影)

私がゼロと一緒の時間を過ごす上でラッキーだったのは、就職して最初の数年間を香川で過ごせたことです。香川から実家の岡山へは車で1時間半ほどで、しょっちゅう帰っていました。当時ゼロは晩年期に差し掛かっていましたが、そんな時に一緒にたくさん過ごせたのは幸せだったと思います。

ゼロが死んだのは私が香川から東京に異動した年、それも異動してまだ1か月半くらいのときでした。蛍光灯ばかりが照らす東京のオフィスで働いていると、突然父親から「ゼロはもってあと数日」という連絡をもらったのです。私はいてもたってもいられず、翌日の始発の新幹線に乗って岡山に飛んで帰りました。家に着くまでに母から何度も「もう間に合わないかもしれない」とLINEをもらいましたが、結果的に私が着くまでゼロは生きていました。弟も東京から帰ってきていました。ゼロはぜーぜー息を吐いて苦しそうでしたが、家族みんなが集まっているのを不思議に思ってか、体を起こして一人一人の顔を順番に見つめていたのを今でも忘れられません。家族みんなに撫でられながらゼロは息を引き取りました。

耳かきをしてもらうゼロ(2006年4月撮影)

ゼロの死によるショックは相当なものでした。私がそうですから、両親にとっては如何ばかりかと思います。岡山市内の火葬場で荼毘に付して帰宅すると「ゼロのいなくなった家はこんなに静かだったのか」と感じたことを覚えています。

それから次の犬を迎えるまでに時間はかかりませんでした。ゼロが元気だった頃、みんな「次は別の犬種でもいいね」なんて話していましたが、ゼロがいなくなってぽっかり空いた穴を埋められるのはコーギーしかいませんでした。ゼロが虹の橋を渡ってから2か月後、トライカラー*1のコーギー「サリー」を迎えました。さらにその数年後にはゼロと同じレッドのコーギー「シュガー」も加わり、今は賑やかな日々を送っています。

右からサリーとシュガー(2022年8月撮影)

犬をペットとして飼う行為は太古の昔から見られますが、時代によってその「命の重み」は違ったかもしれません。私の祖父はゼロを飼い始めた頃に「ワシが小さかった頃はお金を出して犬を飼うなんて信じられなかった」と言っていましたが(笑)今も「犬は犬、ただの動物」という人はいると思います。犬を家族同様に可愛がる人もいれば、犬を食す文化だってあるわけですから。

一方、今年に入って犬を始めとするペットの「命の重さ」を意識する出来事が相次ぎました。ひとつ目は1月2日に東京の羽田空港で日航機と海上保安庁の航空機が衝突した事故での話です。

日航はまた、事故機に搭乗した乗客からペットを貨物室で預かっていたが、救出できなかったことを明らかにした。日航によると、乗客からペット2件の預かりがあり、客室と同じ温度・湿度となるよう空調管理された貨物室で運んでいた。

読売新聞オンライン(2024年1月4日)

乗員・乗客は全員脱出できたものの、残念ながら貨物室にいたペットは救出できなかったということです。旧ツイッター、Xでは「生きている命をモノとして扱うことが理解できない」とか「人間の避難が最優先でペットが後回しになるのはしようがない」などと様々な議論が起こりました。一方で今回の事故を受けて、こんなニュースも注目を集めました。

スターフライヤーは、コロナ禍の影響が続いていた去年3月、飼い主がペットと一緒に空の旅を楽しんでもらうことで利用客を増やそうと、客室に犬や猫を持ち込めるサービスを始めました。

NHK NEWS WEB(2023年12月6日)

厳密に言うとスターフライヤーの取り組み自体は日航機の事故前からあったものですが、今回の件をきっかけにペットの輸送に注目が集まったことで今後こうした動きはますます広がっていくのかな、という気がします。

命の重さを意識する出来事のふたつ目は1月1日に発生した能登半島地震です。私の個人的な印象かもしれませんが、今回の地震ではペットに関するニュースが多いように思います。

ざっと検索しただけでも、これらの記事が見つかりました。人間の避難はさることながら、こうしてペットの境遇も災害報道で取り上げられるところ、犬や猫などペットの「命の重さ」が変わってきているのかなと感じます。

話は戻って、冒頭に書いた韓国の「犬食文化」。私も犬は家族同様の存在だし、それを食べるだなんてあり得ない!……と思っているほうの人間ですが、経験として「一度くらい」は食べてみてもいいかなと思っていました。ですが韓国の犬食文化は私が食べるのを待たずに消えることとなりそうです。まあ、でも考えてみればペットとして幸せな暮らしを送る犬が増えるにつれて、犬食文化は消えゆく定めにあったとも言えるでしょう。これも「命の重さ」が変わったことによる出来事だったかと思います。

コアな犬肉ファンたちは寂しがるかもしれませんが、倫理観や法律などと同様、食文化も時代の変化によって変わるものだと割り切るしかないでしょうね。

References
*1コーギーの毛色には数種類あり、黒色の毛が混じるものを「トライカラー」と言います。一方でゼロのように明るい茶色(ベージュ)の毛色は「レッド」と言います。

北京で見かけた犬猫譲渡会

今日は土曜日ですが休日出勤。自宅の最寄り駅に向かう途中に近所のショッピングモールを通ったところ、いつもは見ない人だかりができていました。

掲げられていた看板には“用爱终止流浪”(愛で放浪を終わらせて)の文字。中国語では野良犬を“流浪狗”(放浪犬)、野良猫を“流浪猫”(放浪猫)と呼ぶので、ここでいう「放浪を終わらせて」というのは野良犬や野良猫を減らしましょうという意味ですね。行われていたのは飼い主のいないワンちゃんやネコちゃんの譲渡会のようです。

ケージで囲まれたスペースにワンちゃんが10匹ほど。見たところ、どのワンちゃんも雑種のようです。みんな尻尾を振って近寄ってくるので人間のことは怖がっていませんでした。ネコちゃんも別の場所にいて、土曜日なこともあって多くの親子連れが物珍しそうに眺めていました。

中国にもこうした動物愛護の文化が根付きだしているんだなあと感じさせられました。私が十数年前に留学していた頃は「犬なんてたかが動物」という考えの人がもっとたくさんいたように思います。動物愛護というムーブメントも人間自身の生活が満たされてこそ?と思うと、中国がそれだけ豊かになったということなのかなとも感じます。

北京の夜は早い

ここ最近、仕事が忙しくて帰宅が遅くなる日が続いています。

毎朝、通勤ラッシュで混雑している地下鉄の車内も夜になるとこんな感じ。全然人がおらず、ガラガラになります。でもこれ、22時半です。日本だと22時半ってまだ人がそこそこいますよねえ。北京の夜は早い……いや、日本が遅いのかもしれません(^^;)。

ゴジラとテスラ

中国では私が十数年前に留学していた頃に比べて国産車(中国の自動車メーカー)を見かけることが増えました。それでも日本車の人気は根強いようで、街なかで見かける外車の中では圧倒的に日本車が多いように思います。ただ中国の日本車をよく見てみると……車体に見慣れぬ会社名が書かれていることがあります。

こちら、トヨタの車だということは分かると思いますが、左下に“一汽丰田”と書いてあります。“丰田”というのは中国の漢字で書いた「豊田」です。その前の“一汽”と書いてあります。

こちらは日産の自動車。右下に“东风日产”と書いてあります。“日产”というのは「日産」ですね。けれどやはり社名の前に“东风”(東風)と書いてあります。

実はいずれも中国の自動車メーカーで、それぞれ「中国第一汽車集団」と「東風汽車集団」のことです。外国の自動車メーカーが中国国内で生産する場合、法律で「必ず中国企業と一緒に商売をしなさい」ということになっています。そのため多くのメーカーは中国国内の会社とタッグを組んで第3の会社を立ち上げます。これを「合弁企業」と言います。“一汽丰田”は中国の第一汽車とトヨタが立ち上げた合弁企業だし、“东风日产”は中国の東風汽車と日産が立ち上げた合弁企業です。

日本以外の自動車メーカーも同じで、例えばフォルクスワーゲンも第一汽車と合弁して“一汽大众”を立ち上げています。ちなみに“大众”(大衆)というのはフォルクスワーゲンの中国語社名です。

中国で合弁というと「技術が漏洩する」といったマイナスの印象がつきまといます。けれど中国政府がそう決めている以上、従わざるを得ないし、従ってでも中国という一大市場で商売ができるということは魅力的だということです。それに中国は複雑怪奇なシステムがいろいろあるので、現地に工場を作って人事労務の保障など中国の法律や役人との折衝する上で無駄な出費を抑えて運営していくのは外国人には難しい……いえ、何なら無理なところもあり、その点、合弁であればスムーズです。

一方、現地の中国企業と合弁せずに進出したのがアメリカの電気自動車メーカー「テスラ」です。2018年、米中貿易摩擦を背景に中国は新エネルギー車市場における外資の出資制限を撤廃し、テスラは外資の自動車メーカーとしては初めて独資で中国市場に参入しました。なのでテスラの自動車は“特斯拉”(テースーラー)とだけしか書かれていません。

私は“特斯拉”を見る度にゴジラやモスラのイメージが浮かんでなりません。と言うのが、中国語でゴジラのことを“哥斯拉”(グァースーラー)と書くのです。モスラも“摩斯拉”(モースーラー)で、いずれもテスラを意味する“特斯拉”と一文字違い。中国で“特斯拉”と書かれた車が走るのを目にする度、怪獣が走っているように思えちゃう……って、私だけか(笑)。

« Older posts Newer posts »

© 2024 BOBOYORU.NET

Theme by Anders Noren上へ ↑