The time is gone, the song is over, thought I'd something more to say.

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山東省煙台に出張

山東省の煙台に出張しました。以前、同じ山東省の青島に出張したときは高速鉄道を利用したので、今回もそうしようかなと思って調べたところ、北京から煙台って4時間以上かかるんですね。飛行機だと1時間余りだったので、おとなしく空路を利用することにしました。

日本に一時帰国したとき以来の海を見ました。目の前に広がるのは「渤海」です。この写真を撮ったのは煙台の蓬莱区という場所で、ここの海は蜃気楼がよく見られるんだそうです。

空港からタクシーで走ってきたのですが、テーマパークと思わしき施設があったり、少し奇抜な(まるでラブホテルみたいな)ホテルがあったり、不思議な空間が続きます。運転手さんに話を聞くと、このあたりの蓬莱区は海沿いのリゾート地として有名なんだそうです。ただオフシーズンということもあって不気味なほどに人がいませんでした。これが夏ならすごい人出とのこと。

この立体看板、“生命无价,酒后勿驾”と書いてあります。日本の漢字で書くと「生命無価,酒後勿駕」、つまり命に価値は付けられませんよ、酒を飲んだあとは運転してはいけませんよ、という意味です。“无价”[wújià]と“勿驾”[wùjià]で韻を踏んでいるのがおもしろいです。

ふと一緒にいた中国人の同僚が「懐かしい匂いがする」と言います。何の匂い?と聞いたら“蜂窝煤”(練炭)と。中国の地方では厨房のかまどなんかでまだ練炭を使うことがありますから、それかな。さすがに私は練炭に親しんだことのない世代ですが、同僚は私よりも年上なので小さい頃の記憶なんかを思いだしたのかもしれません。

タクシーの運転手さんに昼食におすすめの地元料理を聞いて食べに来たのが「蓬莱小麺」。写真はあらかたの客が食べ終えたあとの写真なのでガランとしていますが、私たちが入店した頃には満席でした。身なりを見るに地元の人たちのようでしたから、普段から賑わっているのかもしれません。

せっかくなので最もたくさん海鮮の具材が入っている店の看板メニュー(“招牌面”)と注文しました。いろいろ入っていましたが、私が把握できた範囲でアワビ、ベビーホタテ、ナマコ、エビ。ナマコなんてそのままの姿がドンッと入っていました。

とろみのあるスープは全く熱くありません。むしろぬるいくらいで、この店だけなのか、それとも蓬莱小麺がそういうものなのか、それはちょっと分かりません。そこに素麺みたいな麺が入っていました。海鮮の具材がそのままの姿で入っているのは少し抵抗あるかもしれませんが、味自体はあっさりしていて日本人好みです。

ちなみに仕事を終えた夜も海鮮をいただきました。仕事をご一緒した地元の方が海鮮火鍋に誘ってくれたのです。丁重にお断りしたのですが*1、山東省が故郷として知られる孔子の論語“有朋自远方来,不亦乐乎*2を持ち出して「山東省の人間はおもてなし好きなんだから気持ちを素直に受け取って!」と強く言うものですから結局ありがたくお呼ばれすることにしました。

火鍋は最近流行りの一人一鍋スタイル。案の定、回転テーブルの上には海鮮を始め、肉、野菜、キノコなどでいっぱいに。海鮮は牡蠣、サザエ、ホタテ、あと種類は分からないものの魚の身も並び、滅多に新鮮な海鮮が食べられない北京に比べると何とも贅沢な酒席となりました。

私があまりにおいしいおいしいと海鮮を食べたもんで、周りの皆さんから「日本の方は海鮮をよく食べますもんね」と言われる始末。立派な肉も並んだのですが、不思議と海鮮ばかりに手が伸びるところ、やはり私には日本人の血が流れているんでしょうね(^^;)。

References
*1中国では誘った側が食事代を支払うのがマナー。だから誘われた側もまず一度は断るのがマナーです。
*2朋有り遠方より来たる、亦た楽しからずや。

北海道旅行3日目

今日は北海道旅行の最終日、近場の札幌市内を観光しました。

まず向かったのは「赤れんが」の愛称で知られる北海道庁の旧庁舎。現在リニューアル工事中のため幕で覆われています(写真に写っているのは幕に描かれた“絵”です)。建物の中に入ることはできませんが、今しか見られないリニューアル工事の様子を見学できるようになっていました。

続いてはベタですけど、札幌市時計台。北海道大学の発祥の地だそうで、それが理由か1階には北海道大学の図書館に所蔵されている資料がたくさん展示されていました。

そう言えば時計台の歴史を紹介する展示物を見ていて感じたのですが、北海道の歴史=開拓の歴史なんですね。もちろんアイヌの歴史は別に考えないといけないですが、時計台にせよ赤れんがにせよ、あとクラーク博士にしても、すべて開拓の歴史と共にあるんだなと感じました。

大倉山ジャンプ競技場にやって来ました。1972年の札幌オリンピックの際にスキージャンプの会場になった場所で、一般客も山上の展望台に上がることができます。

たまに夏でもスキージャンプを練習する人がいるよし。今日はいませんでしたけど。いざリフトで山上に向かっていると、その高さに驚きました。普通の人にはとても勇気が無くてスキージャンプはできないと思います。

展望台まで上がるとこんな感じ。空が広いですね……北海道って感じ。最終日だけでも晴れてくれて良かったです。ここ、大倉山ジャンプ競技場を最後に北海道旅行を終えました。

今回の旅行にあたっては祖父母の体調面が心配でしたが、2人とも頑張ってくれました。まあ、祖父は散歩を日課にするほどカクシャクしているのであまり心配していなかったのですが、祖母は少し歩くと疲れてしまうことが多いんですよね。旅行中も少し歩くと足や腰を痛がる場面もあり、年を取ったんだなあと感じさせられました。と言っても、2人とも80代なんだから当たり前っちゃあ当たり前かもしれません。だって孫の私もすでに34歳なんだから(^^;)。そういう意味では旅行ができたというだけて良かったです。

私の家族にしても、妻の家族にしても、みんな健康でいてくれることが中国在住の私としては一番安心します。何かあったときはすぐに駆けつけてあげたいですが、国外にいるとそれが難しいからです。それでも中国は隣国ですし*1、「ゼロコロナ」政策の下で両国の行き来がもっと不自由だった頃を思えばましになったのかもしれませんが。

本当、いつまでも元気でいてほしいなと思います。そして次の旅行はぜひ北京に、私と妻……そして新しく増えている家族に会いに来てほしいです(^^)。

References
*1東京と北京の間のフライトは長くて約4時間。東京と岡山の間が新幹線で約3時間半なのと比べれば、ほぼ同じなのかもしれません。

北海道旅行2日目

北海道旅行の2日目は札幌から少し遠出をして小樽に行きました。

朝、札幌を出発して高速道路を走っていると「たたきつける」ような雨。ドライバーズシートまで横殴りの雨、ワイパーきかない“昼”のハリケーン*1……といった具合です。

だ・の・に、小樽に着いたら雨が小休止。何なら雲の合間から青空が見えるくらいでした。いやあ、これは私の日頃の行いが良いからでしょうか(違うっちゅーに)。

今は廃線となった国鉄手宮線の線路です。北海道最初の鉄道、官営幌内鉄道として1880年(明治13年)に開通し、石炭を港のある小樽市へ運ぶのに使われたそうです。

韓国の方が線路の真ん中に立って記念撮影をしていました(ここは廃線なので、もちろん撮影は問題ありません)。そう言えば今回の北海道旅行では韓国の方をよく見かけました。国慶節の中国と時を同じくして、韓国でも今は「チュソク」という伝統的な祝日を迎えていて、日本に旅行に来ている方が多いのかもしれません。

小樽の町を歩いているとガラス関連の店が多いことに気付きます。小樽は古くから漁業が盛んで、特に明治から大正にかけてはニシン漁の全盛期だったそうです。 その当時、漁具として「ガラス製の浮き玉」を使用していたため、小樽では実用的な石油ランプや浮き玉製造を中心とするガラス工業が盛んになったとのこと。

かわいいガラス細工がたくさん並んでいて、中国や韓国から来たのであろう観光客の方々が買い求めていました。思えば、中国は観光地に行ってもあまりこういったものが並んでいないですね。こういうものが人気を集めているのかもしれません。

お昼は小樽堺町通り商店街にある海鮮丼の店に入りました。ちょっぴり値は張りましたが、それだけボリューミーな盛り付け。祖父母が「ここは払わせてほしい」と言うのでごちそうになってしまいました。あ~ん、し・あ・わ・せ。日本に一時帰国してからと言うもの、北京で食べる1年分の量の海鮮を食べているかもしれません。それでも全く飽きないのは島国・日本に生まれたからでしょうか。

小樽から少し足を伸ばしてやって来たのは「ニッカウヰスキー余市蒸溜所」。小樽を発つ頃には雨がポツポツ降り始め、余市に着く頃には再び暴風雨といった状況でした。実はここも過去に一度来たことがあり、ウイスキーを作る蒸溜所を見学できるとあって期待していたのですが……どうやら暴風雨の影響で今日は見学中止とのことでした。

売店だけは営業しているということで向かってみると……すごい混雑でした。みんな見学目的で来たのかなあ。私はハイボールグラスを購入しました。

夜はすすきのにある居酒屋で父を囲んで還暦祝いの宴会。札幌で勤めた経験のある会社の同期に聞いたら「ここは間違いない」と太鼓判を押すので、中国から予約した店です。雑居ビルの2階にあり、ちょっぴり怪しげなのですが(笑)店に入ると上品な店主が迎えてくれます。

5500円のおまかせコースで飲み放題付き。いやあ、すごかったです。

予約の際に何か食べたいものはあるかと聞いてくれたので北海道でしか食べられない海の幸をお願いしていたところ、今が旬だというサンマの刺身を出してくれました。サンマは足が早いため、新鮮にいただけるのは北海道ならでは。あとはホッケの刺身なんてのも初めて食べました。

ビールは北海道限定のサッポロクラシックの瓶、一体何本飲んだかしら(笑)。日本酒を嗜む祖父に、飲み放題には本来入っていない酒を特別に提供してもらいました。新鮮な刺身にカニ、キンキの煮付け、エビの天ぷら……覚えきれないほどの料理をいただきました。北海道に行く人がいれば私も是非おすすめしたいと思います(^^)。

References
*1翼の折れたエンジェル/中村あゆみ。

北海道旅行1日目

今日から2泊3日の日程で北海道旅行に来ました。還暦を迎えた父を旅行という形で祝ってあげたかったというのと、祖父母が元気なうちに旅行に連れて行ってあげたいという母の希望もあり、私が一時帰国したのを機に実現しました。

私と弟は東京の羽田空港から、両親と祖父母は岡山のお隣・兵庫県は神戸空港から出発し*1、新千歳空港で合流しました。私が乗った行きの飛行機はエコノミーを買ったはずですが、まさかのビジネスシート。なぜ座れたのか事情はよく分かりませんでしたが、とても広々していて快適でした。

新千歳空港で「エレベーター」という案内の外国語表記にロシア語で”лифт”と書いてありました。地理的にロシアが近い、北海道ならではの光景です。

私は自他共に認める雨男なのですが、今回の北海道旅行は見事に雨続きでした。テレビの天気予報では「北日本は台風並みの大荒れ」なんて言われる始末(^^;)。けれど、こうして旅行が実現しただけでも感謝しなければなりません。

まず訪れたのは「羊ヶ丘展望台」。札幌市内を見渡すことができます。

ここには「青年よ、大志を抱け」(Boys, be Ambitious)で有名なクラーク像があります。

クラーク像と言うと、もともとは北海道大学の構内にある胸像のほうが有名だったそうです。しかし大量の観光客が大学を訪れるようになり、学業に支障が出るとして大学がその後観光目的の車両入構を禁止したとのこと。しかし当時クラーク像はすでに北海道観光の目玉になっていたため、像が見られないことを憂慮した札幌観光協会が羊ヶ丘展望台に新たなクラーク像を作ったそうです。

夜はサッポロビール園に行きました。ここでは新鮮な生ビールとジンギスカンをいただけるとあって、私は北海道旅行のたびに毎回来ています。

サッポロビール園は2003年に閉鎖したサッポロビール札幌工場の跡地に作られています。私たちが案内された「開拓使館」は1890年(明治23年)に建設された建物で、赤れんがの造りはとても趣があります。いざ中に入るとジンギスカンを焼く煙がもくもくしていて、おいしそうなにおいが漂っていました。

ジンギスカンの羊肉は柔らかくて臭みもなくておいしかったです。中国でよく羊肉を食べますが、それと比べてもクセがないかも?しれません。肉そのものもそうですが、タレもおいしかったですね。サッポロビール園特製なんだそうです。ビールもたらふく飲んで、ああ……し・あ・わ・せ。

真面目な話をすると、なぜ「ジンギスカン」と言うんでしょうね、この料理は。ジンギスカンって、かのモンゴル帝国を率いたチンギス・ハーンのことでしょ?人名が料理名になるっていうのもおもしろいですね。

References
*1岡山空港からも札幌便は出ているのですが、午後出発しかなかったため、便数が多くて午前出発できる神戸空港を選びました。

大理3日目

今日は大理出張の最終日です。

今日は朝から強い雨が降っていました。昼前になってやんだので外に出ると、遠くの山々に雲がひっかかっています。この山は「蒼山」といいます。大理自体が海抜2000メートルの場所にあるので、この「蒼山」は海抜3500メートルから4000メートルになるようです。

遠くに仏塔が見えました。ここ大理に住む少数民族、ペー族は仏教を信仰しているんですね。

さて、今日は大半の時間を移動に費やす1日。北京からの往路は飛行機で直接大理に来ましたが、なんと復路は飛行機のチケットが取れなかったのです。おそらく旅行シーズンに入っちゃっているからでしょうね、予約をしようとした時点でビジネスクラスしか残っていませんでした。そこで大理から鉄道で雲南省の省都、昆明に向かい、そこから飛行機で北京へ帰ろうという算段です。

いざ宿から大理駅に来ると、この混雑。飛行機もいっぱいでしたが、鉄道は鉄道でこんな状況です。現在大理駅は改装中で、こちらは仮駅舎とのこと。通常よりスペースも狭いこともあって椅子さえ空いておらず、しようがなく地べたに座り込むことにしました。

隣には同じく地べたに座り込んだ子どもたちがトランプで遊んでいました。

座り込んで40、50分ほど待った頃、改札が始まりました。すると一目散に改札口に走り出す人!人!人。こういうのを見るにつけ、何をそんなに慌てているのか……と思っちゃいますが、もしかしたら自由席の人たちなのかも。急がないと席がなくなっちゃうと。大理駅は始発駅なので自由席でも座れる可能性が高いのかもしれませんね。

私たちは指定席だったので、のんびりとホームへ。今回乗車したのは“和谐号”(和諧号)です。

昆明までは高速鉄道で2時間余り。距離にすると330キロメートルほどですから、日本で言えば東京から名古屋くらいでしょうか。

車内で仕事をしようと思っていたのですが、思いのほか揺れます。なんだか気持ち悪くなってしまい、作業するのはやめて昼寝をすることにしました。ウトウトしていると昆明に到着。日本だと2時間の移動って長い気がしますが、中国だと短いほうかもしれません。

大理ほどではありませんが、昆明も涼しかったです。同行していた中国人の同僚が「昆明は『春城』と言います」と教えてくれました。1年を通して春のような気候が続くということなんでしょうね。

昆明駅の改札を出てからタクシー乗り場まで向かい、車で昆明空港まで向かいました。

ようやく昆明空港まで来ました。

飛行機は午後8時半の便でしたが、私たちの乗る予定の飛行機が遅れて昆明に到着したため、遅れて搭乗が始まりました。いざ搭乗しても一向に離陸せず、しばらくすると機内アナウンスで「管制の都合で離陸が遅れます」とのこと。結局、45分ほど遅れて離陸しました。機内は私たちのように北京に戻るとみられる客のほか、雲南省から北京に旅行に行くんだなと思わしき客もたくさん搭乗していましたが、皆さんとても静かに離陸を待っていらっしゃいました。

北京に到着したのは翌日の午前0時過ぎ。それも市内に近い首都空港ではなく大興空港のほうです。飛行機には子どもたちもたくさん乗っていて、私もクタクタでしたが子どもたちはもっとクタクタだったでしょうね。中国人スタッフがこういう飛行機の便を“红眼航班”(赤い目のフライト)と言うと教えてくれました。早朝・深夜で十分に睡眠が取れず、赤目になってしまうからでしょうね。どうやら英語でも”red-eye flight”と言うようです。

自宅に着いた頃には午前2時を回っていました。“红眼航班”……調べてみると、日本語にも「目の隈便」という言い方があるようです。ああ、明日が日曜日で良かった。

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