The time is gone, the song is over, thought I'd something more to say.

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中国で日本のカラオケ

麦子店にある日本の通信カラオケを備えた店に行きました。

その名も「カラオケ一番館」。名前と言い、この色合いと言い、「カラオケ館」を真似たであろうことは容易に想像がつきます(^^;)。

日曜日だから混んでいるかと思ってネット予約をしていったのですが、杞憂でした。と言うよりガラガラ、昼間はこんな感じなんだそうです。小部屋を予約したのですが、いざ来店すると「中部屋が空いているので」と一回り大きい部屋に案内してくれました。

通常のプランとアルコール飲料も含む飲み放題のプランが10数元しか違わなかったので、日曜日なのを良いことに飲み放題のほうを選択。だってアルコール飲料も含まれるっていうんだからお得じゃないねえ(^^)。

カラオケの機種は「JOYSOUND」でした。リモコン端末で楽曲を検索し、予約ボタンをぽちっと押せば始まります。日本と全く変わりません。しかし、これって一体どういうシステムなんでしょう。機器はおそらく日本国内専用でしょうし、音楽の著作権利用料だってあくまで日本の法律の話です。おそらくこういう通信カラオケって海外で使うことを想定していないんじゃないかなあ。

追記)「JOYSOUND」のホームページで通信カラオケ機器の情報を調べると、そもそも電圧が100Vのみの対応でした。これからも海外での利用を前提としていないことが分かります。

おそらく海外で日本の通信カラオケが利用できるっていうのは、業態としてはグレーなんじゃないかと。まあ、楽しんでいる私が言える話ではありませんが(^^;)。

こちら「カラオケ一番館」があるのは日本風の居酒屋などが集まっている麦子店の「一番街」という建物でした。飲み放題なのを良いことに調子に乗って生ビールをジョッキ7杯も飲んでしまい、かなり酔っ払ってしまいました。反省して明日からはしばらく粗食に徹します、はい。

鉄板焼き

今日の北京はとても暖かかったです。

先日、職場の最寄り駅の近くで“烧烤”(あぶり焼き)の出店が出ていたと書きましたが、よく見ると“铁板烧”(鉄板焼き)でした。店主の男性がテコを使って食材を鉄板に押しつけ、じゅわ~とおいしそうな音が聞こえてきます。5、6人くらいでしょうか、たくさんの人が並んで買い求めていました。いいなあ、今度私もぜひ買ってみたいと思います。

望京で春を感じる

今日は朝から仕事で望京に行ってきました。

ちょうどお昼時くらいに撮影した写真です。春って感じがして気持ちが良い。

私の職場のあるあたりと違って望京は広々としています。旧北京城から少し離れていますし、新しい街といったところでしょうか。

望京SOHOには、かの有名なザハ・ハディッド氏が設計したビルが建ち並んでいます。

この「ドドーン」と圧のある感じ、まるで映画に登場する近未来都市を彷彿とさせます。おしゃれなのかもしれませんが、利便性はいかほどなんでしょう。普通のビルと違って外部の窓掃除も大変そうですけど。ちなみに狭いエリアにこうした建物が密集しているのでビル風がすごかったです。

こちらは“外卖取餐区”、「出前受取ロッカー」といったところでしょうか。

ここ望京SOHOはオフィスエリアなので建物の中に入るには入館証が必要です。出前の配達員は中まで入れないため、こうしてロッカーに置いていきます。

効率的な方法ですけど、日本ではまずありえないでしょうね。誰かが他人の食事にイタズラをしたらどうするとか、取り間違えが起きたらどうするとか、そういう議論が起きると思います。暑い夏なら衛生面の問題もあるでしょうし。すると日本では外部の人が入れない建物に出前を届ける際はどうしているんでしょうね。やはり出てきて直接の受け渡しなんでしょうか。

北京の春

外を歩いているとフワフワと綿みたいなものが舞っているのに気付きました。

その正体は柳絮(りゅうじょ)と言って、ヤナギの種です。白い綿毛に覆われ、毎年この時期になったら漂いだします。北京の人にとっては見慣れた春の風物詩ですが、留学中に初めて見たときは驚きました。当時はもっとわんさか舞っていて、通りに出れば目や鼻に入ってくるし、甚だしきに至っては地下鉄のホームにも舞っているくらいでした。綿毛を抑制する薬剤などが開発され、ここ数年は改善されたそうです。私は「雪みたいできれいだなあ」なんてのんきに思っていましたが、アレルギー持ちの人にはたまったもんじゃないですよね、花粉みたいに。

さて、ここまで書いておきながらですが、職場で中国人スタッフに「柳絮が舞い出しましたね」と話すと「あれは柳絮じゃないですよ」と返されてしまいました。この時期に舞うのは楊絮(ようじょ)で、ヤナギではなくポプラの種なんだそうです。楊絮が先に舞い出し、柳絮が舞うのはもっと後なのだとか。へええ、知らなかったです。

日本でもヤナギはポピュラーな樹木ですが、なぜ柳絮を見る機会が少ないんだろうと調べてみたところ、日本は雄株の方が圧倒的に多いからだそうです。種子を作るのは雌株ですもんね。

日本式焼き肉

中国は明日が「清明節」という祝日なので、街全体が何だか週末前の金曜日のようにソワソワしている。職場の中国人スタッフは定時になるとそそくさと退勤し、職場には日本人だけに。まあ、中国人スタッフはもとより定時に引き上げることが多いんだけど。

週末は出勤で働き詰めだったし、少しくらい「華金気分」を味わったって罰は当たらないだろうと(都合良く)考え、仕事帰りに妻と外で待ち合わせして外食。日本式の焼き肉が食べられるということで北京在住日本人から親しまれている「丸福」に行った。

焼き肉といえば先日牛角に入ったけれど、北京在住の日本人ではこちらのほうが長年親しまれているよう。北京や天津に何店舗かあって、私が行ったのは大望路の“SOHO现代城”という施設の2階にある店舗。メイン通りの建国路の側ではなく、その裏側(南側)に入り口があった。

店内には掘りごたつ席とテーブル席があり、私たちは掘りごたつ席のほうに。

最近の中国の飲食店にありがちなギラギラした賑やかな飾り付けはなく、どことなく漂う昭和レトロな雰囲気が良い。平日だからなのか、今日は珍しく雨が降っているからなのか、客はそこまでいなかった。どこに行っても混む中国にあっては、それだけでありがたい。

タン、カルビ、ハラミ、ホルモン、焼き野菜……など、定番モノは一通り注文。肉はどれもたっぷりタレに漬けられていて、ちょっと塩気が強いけどビールにピッタリ。あと、焼くのに使うのは炭でなくガスコンロ。敷かれてあるのも網でなく鉄板で、そこから漂うにおいはまるで新橋や上野の高架下を思い出させる。このレトロな感じは個人的にポイント高し。

日本の焼き肉店ではあまり見かけなくなったユッケも*1

店員さんはみんなテキパキしていて、見事な働きっぷり。私たちが行ったときには1人だけ日本語の話せる方がいて、注文も全て日本語でとってくれた。丸福は他に麦子店や新源里にもあるそうだけど、今回の店舗が一番空いていて落ち着けるよう。次来るときもここがいいかな。食後にはアイスクリームのサービスもあって、至れり尽くせりだった。

References
*1てっきり日本でユッケは提供禁止されているのかと思ったら、あくまで「提供してもよい肉の基準が厳しくなった」というのが実際の所らしい。基準は相当厳しく、それが理由で一般の焼き肉店で提供されなくなってきたとのこと。

台湾式弁当

日曜日だけど、今日も今日とて出勤。

お昼も仕事で忙しかったので、出前を取った。注文したのは“台客厚甲便当”なる、台湾の弁当を出す店。弁当といっても、イメージとしては日本で言う「駅弁」。「台湾に来たのに台湾鉄道の駅弁を食べないとは、台湾に行ったとは言えない」*1という言葉があるほど有名で、そんな弁当を北京で出している店らしい。

私が頼んだのは“排骨香肠双拼饭”。“排骨”というのは日本だと「パーコー」なんて書かれることもあるけど、薄くスライスされた豚の骨付き肉を甘じょっぱい味つけで揚げ焼きにしたようなもの。台湾のお弁当にはかなりの確率で登場する代表的な総菜で、またこれがドンッと白ごはんの上に載っけてあるから味がしみておいしいのよね。“香肠”はソーセージのこと。

この“排骨”に、高菜の漬物に、卵。台湾の駅弁の代表選手ってところ。数年前に出張で台湾に行ったとき、高速鉄道で食べようと駅で購入した弁当もこんな感じだったなあと思いだした。

入れ物には“台式便当”の文字。“台式”は「台湾風」「台湾式」で、“便当”は「弁当」のこと。本来、中国で弁当は“盒饭”と言うんだけど、台湾では日本語の影響で“便当”と呼ばれていて、中国でもこの言い方が浸透している。

ちなみに今回出前を頼んだ店、“台客厚甲便当”。店名の“台客”は「台湾の人」を指すんだろうけど、“厚甲”とはどういう意味なんだろう。おそらく閩南語(台湾語、台湾の方言)っぽい。調べてみると果たしてそうだった。「おいしい」という意味があり“厚呷”と書くこともあるそうだ。お店の老板は生粋の台湾人らしく、今度いつか店にも直接行ってみたいなあ。

References
*1在台灣不吃台鐵便當,就不算去過台灣」。

帰京

上海・南京の出張を終え、北京に戻る。帰りは高速鉄道。

相変わらず中国の高速鉄道の駅はでかくて、まるで空港並み。しかし画一的というか、個性がないというか、どの駅も同じような見た目だなあ。

「南京南」駅から「北京南」駅まで、約3時間半だった。

長いかなあと思ったけど、座っていれば着くので意外と楽。飛行機はチェックインやら保安検査やら、やることが多いもんね。天気が良くて、窓から田園風景を眺めるのも楽しかった。お昼過ぎには北京に到着。職場に戻り、午後もみっちり働かせていただきましたよ、はい。

母校訪問

かつて留学していた大学を訪問した。

北京師範大学、地元では“北师大”(北師大)と呼ばれ、もともとは教員養成の大学。今は総合大学となり、文系から理系まで幅広い分野を扱っている。私がここに留学した理由は、単に当時通っていた日本の大学の交流協定校だったから。あとは「中国語を学ぶならやはり北京かな」という程度だったけど、今となっては初めての海外生活を過ごした場所なだけに特別な場所。

かつては外部の人間もキャンパス内に自由に出入りでき、夜には広場でおじさんおばさんが社交ダンスに興じる姿を見かけるなど、地域の人たちの憩いの場だった。それがコロナ禍をきっかけに学生をはじめ大学関係者しか入れなくなったようだ。在校生など関係者を頼って許可を取らなければ中に入れず、中国に赴任してから半年経つも一度も訪問していなかった。その後、会社の中国人スタッフを通じて在校生と知り合うことができ、訪問が叶うことになったというわけ。

北京師範大学の東門。案内してくれる学生とはここで待ち合わせ。

ちなみに私の留学生活もこの門から始まった。中国に到着した日、30キロ近い重さのスーツケースを抱えながらタクシーの運転手さんに“请到北师大东门去!”(北京師範大学の東門までお願いします)と告げ、最初に到着したのがここ。当時と何も変わらない佇まいだけど、変わったのは緑のテントが張られ、セキュリティーゲートを通らねばならなくなった点。前は開放されていたんだけれど。

実は大学自体は数年前に北京に出張した際に訪ねているので、そこまで懐かしい感じはしない。だから余計にセキュリティーゲートに違和感を感じる。これもコロナ禍で出入りを管理するようになってから設置されたらしい。

東門に並ぶ、この建物が留学生の宿舎。私が生活していたのもここ。家賃は高かったけど、その分、環境は大学内で一番だったんじゃないかな。毎日の掃除とベッドメイキング付き。部屋にもいくつか種類があり、私は共用スペースに個室2つが付く部屋で生活していた。ルームメイトは希望がなければ勝手に割り振られ、私の場合はカナダ人の学生だった。元気にしているかなあ。

宿舎もキャンパスの「内側」からでないと入れなくなっていた。

宿舎の1階にあった売店はまだ残っていた。外からのぞいただけだけど、たくさんのカップラーメンが並んでいた。留学生の宿舎なので、外国からの輸入品もよく並んでいた。

大学の中を歩いていると、当時交流のあった人たちを思い出す。この食堂はあの人とよく来たなあとか、このバーであの人とよく飲んだなあとか。月日が経ち、今やこの大学で学ぶ現役学生も私より一回り下になってしまったわけだ(^^;)。

北京師範大学のシンボルとも言える「主楼」。私が留学していた「文学院」*1のオフィスはこの中にあったので、よく訪れた場所だ。その手続きはあっち、この手続きはこっちと、「主楼」の中を何度もたらい回しになったのも今では良い思い出(^^)。

案内してくれた学生は「うちの大学で唯一の『現代的な建物』です」と笑いながら話していた。わはは、確かに北京師範大学は少々建築年数が経っている建物が多い。けど図書館や体育館だって立派じゃないの。

昼食はキャンパス内にある“西北餐厅”。私が留学していた頃からあったけど、リニューアルされて内装はずいぶん変わっていた。提供される料理はすべてハラールで、ウイグル料理や回族の料理を楽しむことができる。こういうレストランがきちんと用意されているところ、さすが多民族国家だなあ。日本はまだまだ遅れている。

大盘鸡*2をはじめ、ラム肉の串焼きや骨付きのラムステーキなど、いろいろいただいた。私のほうがよっぽど先輩なのに、案内してくれた学生に料金を支払わせてしまった。なんたる失態!その子のスマートフォンアプリで料理の注文をしたので、料金の支払いもそのままスマホ決済で済ませてしまったのだ。長幼の序を重んじる中国、学生に払わせちゃいけないよなあと反省。

お返しというわけではないけど、その後、キャンパス内にできたおしゃれなカフェでコーヒーをごちそうした。ふと私が留学していた頃の話になり「10年前の北京はどんな感じでしたか」と聞かれる。な、な、何ですか~その、おじいさんに歴史を尋ねるような聞き方は(^^;)。でも、そうかあ……私が留学していた当時はまだ10歳くらいだったんだもんなあ。

ちょっと心がくじけかけたけど、妻と並んで写真を撮ってもらったところ「お二人とも大学生のカップルみたいですよ」と言ってくれたので、それで相殺するとする。はいはい、分かっていますよ、お世辞なことくらい。

References
*1日本でいう「文学部」。
*2鶏肉とジャガイモの煮込み。

春分の日

ふと東京からの連絡が少なくて「はて?」と思ったら、今日は「春分の日」で休日なのか。中国は何でもない平日。出勤していると、やはり日本は休日が多いのかなあと思ってしまう。

日本の在外公館、例えば北京の日本大使館は日本と中国、どちらの休日も休館日になると聞いたことがある。いざホームページを見てみると、果たして今日は休館日だった。中国で休日となる来月5日「清明節」も休み。いいなあ……でも敬老の日や勤労感謝の日は休館日でなかった。どういう決まりなんだろう。

昼食を食べようと会社を出ると、おじさんが自転車で「タンフール」(“糖葫芦”)を売っていた。リンゴ飴のように果物に飴がけし、竹串に刺した北京の伝統的なお菓子だ。一番オーソドックスなのはサンザシ。ほかにもイチゴやミカン、たまにミニトマトもある。何度か食べたことがあるけど、まさにリンゴ飴みたいな感じ。食べなくてもカラフルだから見ているだけで楽しい。

もともとは冬のお菓子。氷点下の中で売られるからその硬い噛みごたえが特徴だったけど、最近は夏にも見かける。けど、飴がベチャッとして「タンフールはやはり冬」なんて言う人もいるそう。暖かくなってきたから「本当のタンフールシーズン」はもうすぐ終わりかな。

串焼き

日本で働く中国人の友人が出張と帰省を兼ねて中国にやって来た。突然メッセージが来て「今、北京にいるんだけど」と言うのでびっくり。せっかくの機会なので一緒に飲むことに。

向かったのは日壇公園近くの串焼きバー(“串吧”)。向こうの仕事の都合もあって午後10時というスタートだったので、なるべく遅くまで営業している店を選んだ。普通の串焼き屋と違ってクラフトビール(“精酿啤酒”)も楽しめるそうで、ビール好きとしてはたまらない。

中国で串焼きといえばラム肉(“羊肉串”)だけど、ここは牛肉がオススメらしい。豚のバラ肉を注文するとキムチやサンチュも付いてきて、テーブルの上が思いのほかいっぱいになった。

最初の1杯目はホワイトビール。とてもおいしい。中国でもこういうクラフトビールを作るようになっているんだなあと思うと、隔世の感。私が留学していた頃は串焼きを食べるときの定番と言えば“二锅头*1だったもんなあ。

日本でも最近「ガチ中華」として人気が出ているザリガニも注文。食べるのは、実は初めて。

泥臭いのかな?と思ったけど、そうでもなかった。ほのかに「におう」かなあ、くらい。それを消すためにずいぶんスパイシーな味付けがしてあった。まあ、食べてみればエビだ。殻はエビより硬いけど、実はプリプリだった。

人のことを言えないけど、月曜だというのに店内はまあまあな人で賑わっていた。そして結構、泥酔されている方多し(笑)。みんなずいぶん気持ち良さそうに飲んでいる。

友人は日本語がとにかく上手で、私たちが会話するときは基本的に日本語を使っている。今日も日本語で話していると、隣のテーブルから「日本人じゃないか?」「日本語?これは韓国語なんじゃないか」みたいな酔っ払いの会話が聞こえてくる。するとついに「すみませんが、お二人が話しているのは日本語ですか?」と話しかけてきた。「日本語ですよ」と返すと「ほら~」みたいなやり取り。そんなに珍しいのかしらん。

すると少し離れたテーブルから、これまたかなり泥酔された方が「ジャパニーズ!?」みたいな声を上げる。すると私たちのところまで近付いてきて「あなたたちは日本人ですか」と聞いてくる。友人が「私は中国人です」と答えると、私のほうを向いて「じゃあ、あなたは日本人ですか」と言う。そうです、と答えると「日本との歴史には731部隊*2とかいろいろあるけど、僕は政治を語りたいわけじゃなくて……」と語り出す。この方、かなり酔っ払って目もすわっていたので、内心「ちょっと面倒なことになるんじゃないか」と心配になった。

すると、この方は「小さい頃から日本が大好きで、日本の文化に親しんでいる。もうすぐ公開されるスラムダンクの映画*3も楽しみで楽しみで」と言う。なーんだ、筋金入りの日本好きか(^^;)。私に握手を求めてきて「ぜひ一杯、おごらせてください」と言う。丁重にお断りしたけど、しばらくしたらウエイターさんが「あちらの方からです」とビールを持ってきた。

私は基本的に中国では「溶け込む」ようにしているので(笑)あまり日本人と分からないように(中国人ぶって)過ごしていることが多い。それだけに、ここまで「日本人」として扱われたのは、このたび中国に来てから初めてだった。しかし良い人たちで良かった。私が日本人であることで、悪く思われることもあるかもしれないしね。

友人と話に夢中になっていると、気付けば私たちが最後の客になっていた。いつも学ぶことが多く、刺激をもらえる友人というのは本当に大切だ。北京でほかにも会いたい人はいただろうに、連絡をくれたことに感謝。

References
*1安手の焼酎。
*2日中戦争当時、中国東北部のハルビン郊外で生物兵器の開発に当たった旧日本軍の部隊。
*3日本で去年12月に公開された映画『THE FIRST SLAM DUNK』。中国では4月20日から公開される。
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