The time is gone, the song is over, thought I'd something more to say.

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中国コーヒー戦国時代

私が北京に留学していたのはたかだか11年前だが、それでも当時と比べるとたくさんの変化を感じる。どれも私の主観だから、他人からすれば「どうでもいい変化」かもしれないけれど(^^;)。

そのうちのひとつ、多くの人がコーヒーを飲むようになったと感じる。

11年前の北京はコーヒーを好んで飲む人がまだ少なかった。日本の純喫茶のようにコーヒーだけを出す店は無かったし、喫茶店というと文字通り「茶」を楽しむ場所だった。スターバックスやコスタコーヒーといった海外のカフェチェーンは当時からあったが、中国人たちは専らカフェモカやココアといった甘い飲み物が目当てで、コーヒーを飲む人は少なかったように思う。

そうしたなか例外的に珈琲の名を冠する店があった。その名も「上島珈琲」(”上岛咖啡“)、北京だけでなく中国各地で見かけたことを覚えている。

北京の上島珈琲(2011年1月撮影)

日本で上島珈琲と言えば、神戸に本社を置くUCCが経営する「上島珈琲店」だ。

上島珈琲店
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一方、中国の上島珈琲は全くの別物。どうやら台湾発祥のようで、中国国内で約1000店舗と派手に展開し、現地で知らない人はいないほどメジャーになっている。日本の上島珈琲店も中国に進出はしているものの、皮肉にもこちらのほうが圧倒的な認知を得ている。

北京の上島珈琲(2011年1月撮影)

ニセモノかどうかはさておき「珈琲」という文字が店名に入っているのだ。それなりのコーヒーを出してくれるんじゃないかと期待して、留学時代に一度入店してみた。

私の入った店舗は暗く怪しい雰囲気が漂っていて(笑)それぞれのボックス席がすだれで仕切られ目隠しのようになっていた*1。メニューを見ると喫茶店というよりは、ファミレスのようなラインナップ。メニューのどこにコーヒーが書いてあるのか探してしまうほどだった。

肝心なコーヒーだが、まるでお湯のように薄い味で全くおいしくなかった。おそらくブラックで飲む人が少なく、どうせ砂糖とミルクを入れるので、コーヒーそのものはあまり重要ではなかったのだろう。当時は中国でこういう薄いコーヒーによく出くわした。これならインスタントコーヒーのほうがまだましだ、と泣く泣く帰ったのを覚えている。

なぜそんなことを思い出したかというと、今日、会社近所にあるセブンイレブンでコーヒーを買ったからだ。写真はMサイズ(”中杯“)で、10元(約200円)。たっぷり入っていて、味もまあまあ。少なくとも上島珈琲(『上島珈琲店』ではなく)と比べれば雲泥の差だ。

そもそもセブンイレブンだって私の留学時代にはほとんどなかった。それが今や北京の至る所にできて、そこでコーヒーが買える。ちょっと大げさかもしれないけど、留学当時にコーヒー難民だった私からすれば隔世の感を禁じ得ない。それだけ今、中国でコーヒーが飲まれるようになっているのだ。

中国国産のカフェチェーンも多数生まれている。

その代表例が「ラッキンコーヒー」(”瑞幸咖啡“)。わずか4年前に北京に1号店を出したばかりだというのに、すでに7000店舗近くを展開し、数だけならスターバックスを凌いでいる。実際、北京の街を歩いていてもあちらこちらで見かける。行ってみると、店舗の内装はおしゃれだしコーヒーの味もまずまず。何も知らずに店を訪れた人はまさかラッキンコーヒーが中国国産のカフェチェーンとは思わないんじゃないかなあ。

今や、中国のコーヒー市場は「戦国時代」だ。中国人たちのコーヒーを飲む舌はどんどん肥えてきていて、この国で生き残っていくのは簡単ではないだろう。鎬を削る企業の皆さんは大変だろうけど、コーヒー好きとしてはありがたい限り。これからの中国駐在生活、いろんなコーヒーを飲み比べるのが楽しみだ。

References
*1中国人の友人がいつか「一部の上島珈琲は男女でいやらしいことができる」と言っていた。当時はどういう意味かよく分からなかったが、調べてみると一部店舗はカーテンなどで仕切れる空間があって、いわゆる同伴喫茶みたいに使う人がいるらしい……って、私が行ったところがそうだったんじゃないの(^^;)。

中国語でごちそうさま

中国ではまだ国慶節の連休中だけど、職場には数名の上司や先輩が。かく言う私もだけど(^^;)。

日本はいつも通りの平日、北京の祝日ムードをよそに東京の本社からはお構いなく業務の連絡が入る。日本の会社だもの、それはしょうがない。せめておいしいものを食べようと、上司と小籠包の店にランチに行ってきた。

会社からレンタサイクル(初めて乗った)で10分ほどかけて来たのが「阿文湯包」。

長安街沿いの貴友ビルの裏手にあり、周りは北京CBD*1として賑わうエリアだ。外装・内装がきれいだったので最近出来た店なのかと思ったら、かなり昔からあるらしい。

一言に小籠包と言っても中国各地に様々な種類があるが、こちらの店舗は上海や台湾のものに近い、日本人にも馴染み深いタイプだ。

「阿文湯包」という店名の通り、こういうタイプの小籠包は「湯包」(タンパオ)とも呼ばれ、皮に包まれた餡の中にたっぷりスープが仕込んであるのが特徴。口に入れるとじゅわ~と出てくる熱々の肉汁がジューシーでたまらない。

ナスを揚げて甘く味付けした料理。大学芋に似た味で、上司のオススメだった。

ちなみに料理名は”那年秋天的茄子“(あの年の秋のナス)。ずいぶん洒落た名前だなあと思ったら、この店のオリジナルではなく「あの年の秋のナス」という名前で広く食べられている料理のようだ。由来はよく分からないが、中国の農村部では”立夏栽茄子,立秋吃茄子“(立夏にナスを植え、立秋にナスを食べる)という言い方があるそうで、そこに端を発するのかもしれない。

こちらは”手撕椒麻鸡“。ほぐし鶏をたくさんの花椒と藤椒で和えた料理だ。藤椒のさっぱりした香りと強烈な痺れが病みつきになりそう。お酒があれば進むだろうなあ。

こちらは私のリクエストで注文した”葱油拌面“、焦がしネギ油のまぜそばだ。上海が発祥の料理で、「上海っ子のソウルフード」と呼ばれるほど現地では親しまれている。私も一時期ハマって自分で手作りできないかとチャレンジしてみたが、店で食べるような味にはならず断念したのを覚えている。

ああ、おいしかった。満足満足。

ちなみに日本では店を出るときに「ごちそうさま」と言うが、よくよく思えばいい言葉だ。この「ごちそうさま」には「とてもおいしかったです、みなさんのおもてなしに満足しました、作ってくれてありがとう」と、いろんな意味が込められているのだから。

中国語にはこういうときに使える言葉がない。”谢谢“(ありがとう)だと、店員と被ってしまうだろう。かといって”你们店里的菜都好吃!“(こちらの店の料理はどれもおいしかった)は大げさだし、ちょっと上から目線。もっとさりげなく言いたいが、ぴったりな表現が思い浮かばない。

じゃあ、地元の人たちは何と言って出て行くのだろうと観察していると、意外とみんな黙って出て行く人が多い。うーん、郷に入っては郷に従えかもしれないけど、何か伝えて出て行きたいんだよねえ。自分が料理に満足しているなら尚更。

何かいい表現はないかなあ。

References
*1CBDは「セントラル・ビジネス・ディストリクト」(”Central Business District”)の頭文字で、中国語では”北京商务中心区“と呼ばれている。北京市政府が世界経済の中枢となることを目指して開発を進めているビジネスセンター。

北京隔離生活10日目

中国北京での隔離生活10日目。

明日の午前8時にはここを出る(つもり)なので、今日が実質隔離の最終日だ。

朝から隣の部屋の男性が親族と思わしき人と電話をしている声がいつにも増して大きい。おそらくWeChatでビデオ通話をしているのだろう、相手の声まで聞こえてくる始末だ。何を言っているかまでは聞き取れないが、明日の何時に迎えに来てくれみたいな話をしているのだろうか。

今日の昼食、スペアリブとじゃがいもの煮込み。

午後2時半頃にPCR検査のスタッフがやってきた*1。スタッフは2人いて、それぞれ順番に私の口の中に綿棒を入れてきた。おそらく検体は2つ採取するということなのだろう。

終わって扉を閉めようとしたら「扉は開けておいて」と言う。何だろうと思ったらずかずかと部屋に入ってきて、壁の照明スイッチやデスクの上にある私のマウスなど、私が触れたであろうあらゆる箇所を綿棒でスリスリと擦って検体を採取し始めた。あらかじめ説明してくれればいいものを、あれだけ私を外の世界と遮断しておきながら、突然スタッフが部屋の中に入ってきたので驚いてしまった。

今日の夕食、隔離施設で食べる最後の弁当だ。特別かと期待したけれど普通だった(^^;)。

午後7時前になって、部屋の内線電話が鳴る。

出ると突然「あなたの健康状態に異常がなければ明日の朝に医者があなたの部屋に向かう。するとあなたは午前9時に部屋を出ることが出来る。午後0時にはあなたの部屋に消毒が入る」と舌足らずな日本語の自動音声が流れた。

一瞬あっけにとられ(笑)言われたことを頭で反芻していると、女性が中国語で「聞き取れた?」と聞いてきた。ああ、この声の主は隔離の初日に私がいろいろと日本人との仲介役になって助けてあげた女性だ。今回のメッセージを日本人に伝えるにあたり、おそらくオンラインの機械翻訳で中国語を日本語に訳し、スマートフォンなどで読み上げさせたものを受話器越しに聞かせたのだろう。言葉の通じない日本人にどう伝えれば良いか、彼女なりに考えたんだなあ。

医者さえ来れば隔離施設を出られるそうので、晴れて明日には自由の身になれそうだ。

ちなみに現在、北京市内で自由に行動しようとした場合「北京健康宝」というアプリをスマートフォンに入れておく必要がある。ビッグデータに残る本人の移動記録に基づき、赤・黄・緑の表示が出るようになっている。赤なら集中隔離の対象者、黄なら自宅隔離の対象者、緑なら異常なしといった具合で、緑にならないと自由な行動は許されない。

私の「北京健康宝」は今日の午後6時頃まで黄色で”居家观察“(在宅観察)と表示されていたが、午後8時過ぎには緑色の”未见异常“(異常なし)に切り替わっていた。本来なら今日が隔離満了日なので朝から何度も確認しては「なぜ緑にならないんだろう」と気になっていたので安心した。

今や北京ではオフィスビル、レストラン、観光地に入るにもこの「北京健康宝」の提示が必要な場所が多く、みんな毎朝出かける前に「緑、よーし」と確かめるのが新たな習慣になっているらしい。これが例えば前日に訪れた場所で感染者が出たような場合、突然「北京健康宝」にポップアップ*2が表示され、ただちに隔離をしてPCR検査などを受けなさいということになるそう。

まだ慣れないけれど、この「北京健康宝」とは長いつきあいになりそうだ。

References
*1このPCR検査だって当初は午後4時だって聞いていたんだけど(笑)。
*2中国語では”弹窗“と言う。

北京隔離生活9日目

中国北京での隔離生活9日目。

今日の昼食は鶏肉と椎茸、じゃがいもを煮込んだ料理だった。

さて、明日は隔離の満了日……とは言え、出られなさそうなのは前に書いたところ。会社から念のため再度確認するように言われ、例によって室内にある内線電話で問い合わせをしてみる。

回答は案の定、明日は出られないというものだった。午後4時頃に行うPCR検査の結果が深夜にならないと出ないため、という理由だった。しかし私より先に中国に向かった会社の先輩を始め、他の隔離施設の人たちは10日目の夕方には解放されているのだ。そもそも普通に考えて解放日の午後4時にPCR検査を行うのもよく分からない。だったら朝イチにやって、午後4時に解放するのが筋だろう。

こういうシチュエーションに出くわすと「ああ、中国だなあ」と感じる。あっちでAだと言っていたことが、こっちに来ると途端にBになるのだ。

ではいつ出られるのか?と聞いたら午前10時頃だと言うので「深夜にPCR検査の結果は出ているのだから、午前8時でも変わらないでしょ?」と言うと「では午前8時に電話をください。確約はできないけれど」という、またはっきりしない回答だった。

今日の夕食。

とりあえず会社には事情を説明して、30日の午前8時に迎えに来てもらうことになった。

30日は朝から様々な手続きで大忙し、分単位でスケジュールが組まれていた。夜は会社近くのホテルに泊まることになり、予約メールも送られてきて、いよいよ隔離が明けるんだと実感。何度も言うけど、明けたらまずは冷たいビールが飲みたいなあ。

北京隔離生活8日目

中国北京での隔離生活8日目。

今日の昼食。バナナ付き。

今日の夕食。毎日隔離でそろそろ書くことも無くなってきてしまった。

ふと隣の部屋からびっくりするぐらいの大声で電話をしている声が聞こえてきた。しかし、もっとびっくりしたのが「これ、私の声も隣に同じくらいの音量で聞こえていたってこと?」という事実。ずいぶん遮音性の高い部屋なんだなあと思ったら、みんな静かに過ごしていただけらしい。私はテレビの音量も結構大きめにしちゃっていたよ。うるさいと思われたであろうお隣さん、ごめんなさい。

消えゆく東急ハンズ

今日、東急ハンズが会社名を「ハンズ」に変更するというニュースを目にした。

東急ハンズがホームセンター大手のカインズに買収されたというのは知っていたので、東急のグループと資本関係が無くなった以上、会社名から「東急」の名が消えるのは時間の問題だと思っていたけど、ついにかあ。「TOKYU」の文字が入っている従来のロゴも変わってしまうわけだ。

読売新聞によると「店舗の新たな屋号やロゴは今後決める」らしい。すると会社名は「ハンズ」だけど、そこらにある東急ハンズの店舗は「ハンズ」を冠さない、全く別名の店舗名になる可能性もあるわけだ。まだどうなるか分からないけれど、もしそうなってしまうとしたら寂しいなあ。

東急ハンズ渋谷店

もっと寂しいのは、買収の背景にある東急ハンズの業績低迷だ。「何でも揃う」という東急ハンズのビジネスモデルはずいぶん昔からAmazonといったオンラインショッピングの台頭で追い込まれていて、そこに新型コロナウイルスの感染拡大がトドメを指したというわけ。

私のようなハンズファンは「ハンズで買い物をするのが好き」だったし、そういう人は一定数いるだろうから、何もカインズに身売りしなくてもやっていけるんじゃないかと思ってしまうが、言われてみればそういう傾向はあったのかもしれない。神戸にあった東急ハンズ三宮店の閉店だ。

東急ハンズ三宮店(2006年5月撮影)

岡山生まれの私にとって、神戸はたまに遠出する特別な場所。神戸に行けばいつも東急ハンズ三宮店に寄り、見たことのない商品や珍しいものを見るのが大好きだった。特に「バラエティー」のフロアは小さかった私にとって大きなおもちゃ箱の中に入ったような気分で、アレも欲しいコレも欲しいと言って親を困らせたことを覚えている。

その後上京し、東京には新宿・渋谷・池袋……と、それぞれの街に東急ハンズがあることを知って驚いた。私にとって東急ハンズは神戸に行かなければ出会えない存在だったからだ。今でこそ岡山にも東急ハンズはできたが、私にとっての元祖は神戸の三宮店であることに変わりはない。

神戸に行くたびに必ず寄っていた東急ハンズ三宮店だが、2020年に閉店してしまった。小さい頃から慣れ親しんだランドマークが無くなってしまうのは何とも言えぬ寂しさだったし、他県民の私がそう思うくらいだから、地元の神戸っ子たちに走った衝撃は計り知れないものだっただろう。三宮店の閉店はそれほど「東急ハンズ」の低迷ぶりを示す象徴的な出来事だったし、今思えばカインズによる買収の前兆だったのかもしれない。

台湾・台北駅にて(2010月3月撮影)

ちなみに台湾にも東急ハンズは進出している。数年前までは現地企業と合弁会社を作って運営していた関係で「TOKYU HANDS」ではなく「HANDS TAILUNG」という名前で店舗展開していた*1。10年前に台湾へ旅行した際、台北駅で東急ハンズとそっくりなロゴを見かけて不思議に思ったことを覚えている。

今回、カインズ傘下に入ることに伴うロゴ変更も台湾のパターンにならって”手”だけは踏襲するっていうのはどうかしらん。だって社名に「ハンズ」=「手」という名前は残るんだもの。

ロゴに描かれた”手”は1976年の創業当初から使われているもので、「手を通じて新たな生活・文化を創造しよう」という意味が込められているらしい。これまでハンズが大切にしてきた理念や多くの人が抱く思い出をロゴに残しながら、新しい風をカインズに吹き込んでもらえれば……っていうのは、私の勝手すぎる要望でございましょうか(^^;)。

References
*1現在は日本と同じく「TOKYU HANDS」とブランド名に変更している。けれど今回の社名変更で台湾の店舗名はどうなっちゃうんだろうねえ。

北京隔離生活7日目

中国北京での隔離生活7日目。今日からもう朝食をアップするのはやめた(笑)。

昼食はこんな感じ。左上のおかずは味付けこそ多少中華風だったけど、ハンバーグのようだった。

そして右上のは”土豆丝“ですな。日本語的に言えば、ジャガイモの細切り炒めというところか。日本でもよく作ったが、私は酢を多めに作るのが好き。お酒が進むのよー、今はお酒無いけどね。

隔離生活も今日で1週間。施設スタッフに電話を掛け、いつ出られるのか確認してみた。

求められている隔離は10日間。私は9月19日に入国したので、普通に考えると29日が満了日になる。しかし私は19日の夕方に隔離施設に到着したので、その日はカウントされず、30日が満了日となるらしい。もし誰かに迎えに来てもらうなら30日午前と伝えておきなさい、とのことだった。

あと4日間かあ、長いなあ。けれど最悪の事態は免れそうだ。というのが中国は10月1日から国慶節という、建国記念日の大型連休に入ってしまうのだ。現地の携帯電話を契約したり銀行口座を開設したり諸々の手続きをしておこうと思ったら、店が開いている9月30日中に済ませなければならない。30日午前に解放されるのであれば何とか主要な手続きだけでも済ませられそうだ。

夕食はクリスマスかっ!というくらい大きなチキンだった。

隔離施設を出たら一番に何をしたいかなあ。まず冷たいビールを飲みたいかな。あとはおいしいコーヒーも飲みたいなあ。自宅ではお茶のようにコーヒーをがぶがぶ飲む人間なので、持ってきていたドリップパックコーヒーは飲みきってしまった。

北京隔離生活6日目

中国北京での隔離生活6日目。

今日の朝食。今までのブログを見られていたのか、ついに”油条“が出てきた(笑)。最近の朝食はゆで卵だけいただくような感じになっていたが、あれだけ自分で”油条“と言っていたのだから……と今日は全部いただいた。ちなみに”油条“のわきにあるのはもち米シューマイ。

そうこうしていたら、あっという間に昼食が出てくる。気付いたら、毎日弁当の写真しかアップしていないじゃないか(笑)。中国駐在のバタバタな日常をつづるはずが、まさかこうして食事情をアップし続けることになるとは。いやー、だって部屋から1歩も出られないし、ましてや今日は日曜日でとても静かだからねえ。

隔離生活も6日目になり、窓から見える景色にも見慣れてきた。当初こそ施設スタッフとのやり取りがあったが、ここ数日はとても静かだ。隔離生活を快適に過ごせるようインターネット環境だけは気合いを入れて準備してきたので、部屋でNetflixやTVerも視聴できるし、日本にいる妻ともLINEで通話が出来る。それだけにふとした瞬間「あれ、ここは日本だったっけ」と思ってしまう。

私のスマートフォンにはまだ日本の天気予報アプリが入っているので、台風15号が関東に最接近した昨日はひっきりなしに「豪雨予報」なんて通知を送ってきた。え、雨?と外を見るとピーカンと晴れているので「ああ、そうか、ここは北京だった」と気付く始末。

夕食は鶏肉と大根、にんじんを煮込んだ料理。カレーっぽい味付けだったけど、クミンかな。

明日で中国に入国して1週間。

長いようで短いようで……いや、やっぱり長いかな。日本が外国人観光客の受け入れ再開に舵を切ったこともあって日本に行きたいと思っている中国人は多いだろうけれど、帰国時にもれなく隔離を求められるんじゃ、いくら日本が規制を緩和したって普通の人は行きにくいよねえ。とは言え、この国が隔離を無くす選択肢を採るのは「ゼロコロナ政策」を放棄するときだろうから、そう簡単には無くならないだろうけれど。せめてもうちょっと期間が短くならないものかな、というのは思う。

ムラのある忙しさ

出国直前になっていろいろと仕事が立て込んできた。

私が新型コロナウイルスに感染したために中国赴任が遅れた責任も感じていたので、自分から名乗り出て働いていたところはあるんだけれど。来週の月曜日が出国予定だというのに普通に働いている私の姿を見て、同僚からは「本当にギリギリまで働かされるんですね」と声を掛けてもらうも、じゃあ名乗り出なければよかったのかというと、そういうわけにもいかないしねえ。

仕事を終えて滞在中のウィークリーマンションに戻ってからは荷造り。

部屋にとっちらかった荷物を集めてスーツケースに詰めると、これがまた入りきらない。出国が延びたせいで新たに購入したものが増えたのだ。まあ、そうなるだろうなというのは薄々気付いていたけど(笑)。ううむ、いくつかは段ボールに詰めて別に送るしかないかなあ。

ランチをごちそうになる

同じ部署の先輩で、今は別会社に出向している方からランチのお誘いを受ける。

この先輩も中国駐在の経験があるので、仕事の話だけでなく生活面のことなどいろいろアドバイスが聞けて大変参考になった。とても気さくな方で、おまけに岡山出身の同郷という親近感も手伝って、とても話がしやすい。みんな「何でも聞いていいよ」とは言ってはくれるものの、内容によっては聞きにくいこともあるもんねえ*1

予定では来週月曜日が出国予定日。いよいよだなあ。

搭乗予定のフライトは北京への直行便なので、中国到着後の隔離も北京で行うことになる。そういえば北京の隔離ホテル情報を調べていなかったと思い、ツイッターにつぶやいている人がいないか検索してみると……うわあ(絶句)。清掃が行き届いていないとか、そもそもホテルではなく「売れ残りのぼろぼろマンションだった」など悲惨な声が相次いでいる。一方、まあまあなホテルもあったようで、ツイッターでは「ホテルガチャ」*2という言葉も出ていた。いずれにせよ「とてもよかった」と言えるホテルはなさそうだ。

うーん、隔離中のことを考えてもうちょっといろいろ用意したほうがいいかなあ。

References
*1特に金回りや待遇面のこととか(^^;)。
*2「ガチャ」はカプセル入りおもちゃが出てくる「ガチャガチャ」や「ガチャポン」の「ガチャ」。出てくるおもちゃがランダムで選べないのと同じで、「ホテルガチャ」も「どのホテルになるかはランダムで選べない」という意味。
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