The time is gone, the song is over, thought I'd something more to say.

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久しぶりの王府井

仕事で北京中心部の繁華街、王府井(ワンフーチン)に行ってきた。

高級デパートが建ち並んでいるので日本人からは「北京の銀座」と呼ばれたり、かつて有名なオーストラリア人記者がここに住んでいたことから、その名前にちなんで「モリソンストリート」と呼ばれたりするらしい。王府井という地名そのものは、王府の井戸がここに存在したからだそう。

歩行者天国になっていて、いつもならたくさんの人出で賑わっているが、今日は閑散としていた。

高校生の頃に初めて旅行で北京を訪れた際はフリーの時間を使って訪れた王府井も、留学時代は数えるほどしか来たことがない。あまり自分好みの店が少ないのと、そもそも王府井は地方から北京に観光に来た人たちが「おのぼりさん気分」を味わう場所といった側面もあって普段使いするような店も少ない。北京の出入りが厳しい今はなおさら閑古鳥が鳴いている状態だ。

中国初の近代デパートとされる「北京市百貨大楼」もこんな感じ。店舗によってはテープが張られ、入れないようになっていた。客より従業員のほうが圧倒的に多かった。

会社近くの飲食店にはビックリマークの書かれた大きな紙が貼られていた。

書いてあるのは「アンタんとこは感染対策ができていません」という内容。ちょうど店主のおばちゃんが出てきたので「なぜこれを貼られたんですか」と聞いたら「たった1人、出前配達のお兄ちゃんが入店時に健康管理アプリをスキャンしなかったからよ」と憤慨しながら話してくれた。

北京ではどの建物に入るにも入り口に貼られたQRコードを健康管理アプリでスキャンしなければならない。そうすることによって「誰がどこを訪れたか」が記録されるので、濃厚接触の追跡などが可能になるのだろう。どうやら出前配達員がそれをせずに入店してしまい、その様子を現認されて店舗の責任となったようだ。

ただスキャンが面倒でどさくさに紛れて入店するような人はいるし、律儀にスキャンしてもチェックされない場合も多い。この店舗は、そんなところをめざとく確認されてしまったのだろう。店主は「いつまでこんなものを貼るのかさえ教えてくれなかった。うちの店だけじゃないのにいじわるされているみたい。めちゃくちゃよ」と怒りをあらわにしていた。

私の会社の北京オフィスが位置する敷地内でも陽性患者が確認された疑いで、その建物1棟が封鎖措置となってしまった。本来は新型コロナウイルスの感染防止のために始まった政策やルールが層を重ねるように厳しくなり(“层层加码”)、今やその政策やルールが感染防止以上に市民を苦しめるようになっている。うーん、本末転倒というか、何というか。

胡同で老百姓との交流

今日は仕事で胡同(フートン)に行った。

胡同というのは北京のあちこちにある細い路地のこと。日本語で言うなら「横町」とかになるのかな?ただの路地ではなく、古い町並みを留めているのが胡同の特徴。

その胡同を観光地化しているのが有名な「南鑼鼓巷」だけど、その北にある「北鑼鼓巷」に住んでいる方に用事があり、ちょいと訪問。

初めて行ったんだけど、こんな胡同がまだたくさん残っているんだとちょっと感動してしまった。いや、観光地化された胡同はたくさんあるけど、ここは本当に“老百姓*1の生活の場所なんだもの。また夜というのが良い。

この“寿衣”というのは、漢字だけ見ると「めでたいもの」のようだけど、実は死に装束のこと。葬式のときなどに着せるもので、中国の街なかでぽつぽつ見かける。

胡同のところどころにあった“掩蔽场所”という看板。日本語的に言うなら避難場所といったところか。英語ではシェルターとなっている。

一緒にいた中国人スタッフにどういう用途なのか聞くと、地震なんかが発生したときに逃げるのかな?と話していた。いやあ、でも北京で地震なんてそうそうないだろう。防空壕みたいなものかな。

写真左に移っているのは公衆トイレ。昔ながらの胡同にはトイレが備わっていない家も多く、至る所に公衆トイレがある。

北京に赴任してから1か月が経つというのに(仕事が忙しかったという事情はあるものの)こういう場所を訪れていなかったので、中国風情を前に「ああ、自分の好きな中国ってのはこれだよ!」という、えも言われぬ気分になった。私の会社がある場所は大使館がたくさんあって、外国人もたくさん住んでいるエリアなので「中国らしく」ないのだ。ここには留学時代を過ごした「あの頃」の北京と同じ空気が流れている気がする。

私の仕事は基本的にえらーい中国人の難しい中国語を聞く機会のほうが多い。一方、今日お会いしたのは胡同に住む20代の青年、全くの“老百姓”だ。日中関係とか難しいことは関係なく同じ人間として話している感じがして、いや、当たり前なんだけど感動してしまった。

自分はこういう中国が好きだったし、こういうことがしたくて今の仕事に就いたんだと思い出させてくれる一日だった。

References
*1老百姓”は漢字だけ見ると農業に携わるお年寄りを想像しちゃいそうだけど、中国語で「一般の人々」という意味。

久しぶりの海鮮に舌鼓

北京に赴任してから毎日仕事が忙しい。今が忙しいのか、それとも海外駐在とはこんなものなのか、着任したばかりでよく分からない。

東京にいた頃は平日でも帰宅してから習い事に行く元気があったし、料理を作って晩酌もしていた。いろいろしていると午前1時を過ぎてしまい(元気だけど)慌てて寝るようなこともあった。

一方、今は毎日15時間労働がデフォルトで、さすがに疲労困憊。おそらく赴任したてで、自分でも気負っているところがあるのだろう。年の近い先輩は、私の様子を見て「少し手を抜いていいんじゃないか」と言ってくれた。でもまあ、仕事があるだけありがたい。赴任早々、あいつは北京で何をしているんだって言われたくないもんね。

今日は仕事の関係先と日本料理店でランチをご一緒した。

先方のオススメで海鮮丼を注文。マグロ、ハマチ、エビ、イクラ、すごく具だくさんだった。海のない北京は刺身がとにかく高い。こっちに来てから刺身を一度も食べていなかったので、それはそれはおいしかった。日本で食べてもそれなりのお値段がしそうだったので、きっと驚くような値段だったに違いない。ごちそうになってしまった。

そういえば今日、日本は祝日だったんだなあ。こちらは朝から通常通り働き、ちょっぴり悔しい思いだったけれど、おいしいものが食べられたので良しとする。

打ち上げ

朝出勤していると、道行く人がみんな見上げて何かを撮影している。

何だろう?と振り返って見てみると、黄色に色付いた木々だった。

北京は秋が一番良い季節だと言われる。春は黄砂に悩まされ、夏は意外と暑い。かと思いきや冬は氷点下。まだ週末は散らかった家の片付けに費やしているけど、もう少し落ち着いたら郊外にも出かけてみたいなあ。早くしないと、あっという間に極寒の冬がきちゃうよ(笑)。

ここ最近大きな仕事を乗り切ったこともあり、夜は先輩の家で打ち上げ。

上司がお手製の料理をたくさん持ってきてくれた。ゴーヤチャンプルー、カボチャの煮込み、鶏肉とゆで卵の煮込み、きんぴらごぼう、肉じゃが……北京に日本料理店は増えたものの、こういう家庭料理は意外とメニューに無いからありがたい。

とても盛り上がり、用意していた酒が無くなってしまって追加で買いに行くくらいだった。ワイワイしていたら終電が無くなってしまったので、タクシーで帰宅。中国は日本に比べてタクシーが安いのでこういうときに助かる。

各々の事情

ここ1週間ほど、さまざまな仕事が立て込んでいてものすごく忙しい。けれど「自分がどれほどの仕事を抱え込んでいるか」って往々にして相手には伝わりにくいものだ。

今日、東京の本社から結構な量の資料がメールで送られてきた。

本文には「お気付きの点があれば、日本時間の明日正午までに打ち返して下さい」と書いてある。おそらく先方の都合でこういう締め切りになっているんだろうけど、そもそもこのメールが届いたのは夕方18時。普通の会社ならすでに「時間外」、電話なら「営業時間内にお掛け直しください」と言って切ってやりたいところだ。

明日の午前中に確認してくださいということなんだろうけど、私には私の予定があるのよ……まあ「そんなの知ったこっちゃない」ってことか。

朝星夜星

今日は午前6時出勤。昨日から新居なので会社までかかる時間が読めず、早めに家を出発。

午前5時台の北京はまだ暗い。新居から会社までは地下鉄で向かったのだが、ガラガラだった……って、そりゃあ午前5時台じゃそうか。会社にも思いのほかずいぶん早めに着いてしまった。

同じ時間に出勤した先輩が朝食の出前を頼むというので、私も一緒にお願いした。

注文したのは「永和大王」という、中国ならどこでも見かける中華料理のファストフードチェーン。私は豆乳、油条、蛋餅のセットを注文。これぞ中国の朝食!おいしかったが、油条も蛋餅も油を使った料理なので、食べ終わる頃には胃もたれしてしまった。やっぱり私も日本人なんだなあ(^^;)。

日中は頗る忙しく、今日も日付が変わってからの帰宅になってしまった。

日が昇らないうちから出勤し、真っ暗になってから退勤する。こういうのを「朝星夜星」と言うのだと、確か母親から教わった気がする……のだが、これは全国的に使われている表現なのだろうか。おそらく「朝、星が出ている時間から働きに出て、夜、星が出るまで働く」という意味なのだろう。

草木も眠る丑三つ時

ここ数日仕事がどっと押し寄せてきて、日付が変わるほどまで働いている。

実はこのブログも11日の分として更新しているが、実際に書いているのは12日の午前3時だ。ちなみにパソコンの時計をまだ日本から中国に変更していないので、モニター右下のタスクバーには午前4時と表示されていて、一瞬ギョッとする。いやいや、午前3時だって草木も眠る丑三つ時*1だよ。

会社の周辺の飲食店は比較的早く閉店してしまうところが多く、昨日と今日と夕食は続けてカップラーメン。さて、こんなブログを書いている場合じゃない。早く寝てしまわなければ。

References
*1厳密には午前2時から午前2時半を指すそうだ。

連休明けで土日に勤務

中国は国慶節の連休が明け、今日から出勤日だ。

え、今日は土曜日でしょ?と喉元まで出かけたが、中国はそうではない。

日本の大型連休は一日一日が「文化の日」や「建国記念の日」など、祝日として定められている。一方、中国の場合「国慶節は3日間の休みとする」などと、日数のことしか定められておらず、連休にするため前後の土日を動かす……という複雑なことをしているのだ。

これが今月1日~15日までのカレンダーだ。

例えば国慶節の場合、法律では「3日間の休み」と定められている。10月1日が国慶節だが、今年は1日と2日は土日でもともと休みだ。そのため10月3日から3日間を祝日として、まず5連休ができる。多くの人はこのカレンダーを見て「ああ、6日と7日も休みだったら」ときっと思うだろう。

そこで中国は政令で8日と9日の土日の休みを6日と7日に移動させることで7連休を作っているというわけだ。しかしあくまで「移動させてきた」ものなので8日と9日は平日扱い。何だか得したのか損したのかよく分からない気分だ。いっそのこと土日休みはそのままにすればいいのに。

そういうこともあり、北京は土曜日だけれど朝から多くの人が出勤していた。

一方、日本は東京の本社は土曜日で休日態勢。みんな家で王様のブランチ見ているのかな。なーんだか働くのが惜しい気分(笑)。こちらは昨日まで連休だったとは言え、日本がずっと平日だったから何度も仕事の連絡が普通に来ていたんだもの(^^;)。まあ、海外勤務だと仕様がないね。

午後は東城区にある公安局に行ってきた。

中国に長期滞在する場合は入国後30日以内に「居留許可」を取得する必要があるのだが、これを公安局が出してくれるのだ。本当ならもっと早く来たかったが、隔離が明けてすぐ国慶節の連休に入ってしまったため、ようやく今日来ることができた。

中国の公安は日本でいう警察に近い組織だが、管轄している業務が広い。例えば日本の場合、出入国管理は法務省だし、人口や戸籍管理は市役所や区役所の管轄。しかし中国ではこれらは全て公安の管轄。むしろ日本的に表現すれば「警察も公安の業務のひとつ」と言ったほうが分かりやすいか。

公安と聞いてもあまりいいイメージが湧かないのが正直なところだが(笑)*1今日対応してくれた人たちはとても気持ちの良い人たちだった。

色々と仕事を片付けていたら食事をするのも忘れるくらいすっかり遅くなってしまい、同じく最後まで残っていた上司と先輩に誘われ遅い夕食を食べに行った。向かったのは青海牛肉麺の店で、「牛肉涼麺」という冷やし麺をいただいた。見た目が日本の冷やし中華にそっくりだが、いや、味も結構似ていた。スパイシーなところは独特だが、どこか酸味のある感じが冷やし中華を彷彿とさせる。

回族だろう、若いお兄ちゃんたちが店を回していた。先日来、中国で「ごちそうさま」の気持ちをどう伝えるかよく考えているが、今日は店を出るときに「味、とてもおいしかったですよ!」とストレートに伝えたところ、お兄ちゃんが「じゃあ、また来て下さいね!」とニコーッと笑ってくれた。

我ながら気持ちが良い。日本の「ごちそうさま」と違ってそう頻繁に言えるセリフではないが、今度からおいしかった、満足したと思ったら、素直に「おいしかったよ」と伝えてみようかなあ。

References
*1実際、中国人に話を聞いても「公安」に少々怖いイメージがあるという人は結構多い。

ようやく隔離が明ける

今日はようやく隔離が明ける日だ。

午前6時過ぎに起床して支度。その後、午前7時40分頃だったか、施設スタッフが隔離終了証明書(”解除医学观察通知书“)と直近のPCR検査の陰性証明書を持って部屋を訪れた。私が「もう出て行っていいんですか」と聞くと「いいですよ」のひと言。

いざ「出ていい」と言われると不思議な気持ちだ。あれだけ開けるなと言われていた扉は今や全開。向かいの部屋からは私と同年代くらいの男性が出て行こうとしていた。目が合うと「あなたですね、電話で通訳をしていたのは」と中国語で話しかけてくれた。そうか、向かいの部屋にまで私の声は聞こえていたのね(^^;)。すると夜な夜な風呂上がりに気持ちよくなって歌っていた声も聞かれていたのだろう、ちょっぴり恥ずかしい。

施設を出て、迎えに来てくれた中国人のドライバーさんと合流。数年前に北京出張に来た際にも一緒に働いたことのある方だ。「教えられた住所に来たけど、とても人が泊まる施設に見えなかったので、ここでいいのかと不安になったよ」と笑いながら話していた。

中国に入国してから防護服を着た人たちにしか囲まれてこなかったので、車から見える景色がとても新鮮だった。ゼロコロナ政策のもと中国ではみんなほぼノーマスクなのかと思ったら、結構な人が着用している。ドライバーさんに話を聞くと、公共の場所ではマスクを着用するよう指示があるので、外出時は基本的に着用しているらしい。とは言え、あごマスクや鼻だしマスクが散見されるのは日本と同じだけれど。

北京のオフィスに向かうと、上司や先輩たちが迎えてくれた。みんな東京で一緒に働いたことのある人たちばかりなので初出勤という感じがせず、まるで「帰ってきた」ようだ。最近の日本はどうだったとか隔離期間はこんな感じだったなどと、しばし談笑する。

さて、そうのんびりとはしていられない。中国は明日から国慶節の大型連休に入るため、今日のうちにいろいろと作業を済ませておかなければならないのだ。

まずは最重要とも言える携帯電話の契約。

中国では公共・民間を問わず、さまざまなサービスを受けるのに携帯電話が欠かせない。特に金銭のやり取りは日本以上にキャッシュレスが進んでいて、場所によってはスマホアプリでの決済しか受け付けてくれないところもあるくらいだ*1。もちろんスーパーやコンビニなら現金で支払えるが、店によっては小銭のストックがなくておつりが出せないなんてことも。

兎にも角にも携帯電話は仕事だけでなく生活面でも必需品ということもあり、まず一番に契約した。

続けて中国銀行へ銀行口座を開設しに行った。

とにかくいろんなことを書類に書かされた。なかには生まれた住所を書く欄まであり、口座の開設になぜ出身地の情報が必要なんだろうと思いながら”Okayama”と書いたところ、その後データ入力された書類にはちゃんと”冈山“(『岡山』の簡体字表記)と印字されていたので、この行員は”Okayama”=岡山だと分かっているんだなあと妙に感心してしまった*2

ちなみに、この写真を撮った直後に係の人から「撮影禁止です」と怒られてしまった。

午後も色々と手続きを行い、予定していたタスクは何とか全て終了。

夜は職場が歓迎会を開いてくれた。隔離期間を除けば実質中国で初めていただく食事だけれど、訪れたのは日本式の居酒屋(^^;)。でも冷たーい生ビールが飲みたかったのと、隔離中は弁当で中華料理をさんざんいただいていたので、正直とてもありがたかった。

焼き鳥や刺身の盛り合わせなど定番メニューは揃っているし、ビールはアサヒスーパードライで、まるで日本にいる気分だった。日本を離れてそんなに経つわけではないけれど、隔離が明けた安堵感と相まって何だかホッとした。

ちなみにこの居酒屋、トイレに入ると便器の上に大きな文字で”禁止大便”と書かれていて思わず面食らってしまった。いや、小便器に書かれているなら分かるが、あくまで座るタイプの便器なのだ。上司・先輩も気になったようで「あれはどういう意味なのか」という話になった。とりあえず「配管が細くて大便をすると詰まってしまうということではないか」という結論に落ち着いたが、いやいや、それにしたってトイレは小か大しかないのにねえ(笑)。

中国駐在生活、これからどんなことが待っているのかとても楽しみだ(^^;)。

References
*1まさに私は隔離施設で宿泊費用をAlipayかWeChat Payで払えと言われてしまった。
*2中国人の間で岡山の知名度はそんなに高くないのと、もし知っていたとしても一般の中国人は岡山を中国語発音の[Gāngshān](ガンシャン)で認識していることが多いので”Okayama”と見聞きしてもそれが岡山のことだとピンと来ないことが多い。

新型コロナウイルスに感染しました

新型コロナウイルスに感染してしまった。それも2日後の中国渡航を前に。

中国への渡航者は飛行機に乗る前日・前々日に必ずPCR検査を受けることを求められていて、このうち前々日の検査を受けたら陽性判定となってしまったわけ。

検査を受けたのは港区のクリニック。中国大使館の指定検査機関で、当日のうちに陰性証明書を発行してくれる「お墨付き」。それだけあって検査料は何と3万5000円!無料のPCR検査場だって街なかに増えてきているというのに、何とも足元を見た商売だ。

しかし受けないことには渡航できないのだからしようがない。午前中に検査を受けて*1、午後は役所へ行って転出届を出したり、会社へ行って仕事をしたり……そんなことをしていると夕方近くに非通知でずっと鳴り続ける電話があったので、出てみるとまさかの陽性判定の連絡だった。

コロナ禍になって2年余り。ここまで感染せずに来たのに、出国の前々日に感染するとは……自分の不甲斐なさに落ち込む。もちろんフライトはキャンセルだし、それどころか中国渡航は1か月近く延期ということになる*2。会社に大迷惑をかけ、直近で接触した人たちを感染リスクにさらしてしまった。その責任と申し訳なさで潰れそう。

とりあえず自宅(というか、ウィークリーマンション)に帰ってから、会社や直近で接触のあった人たちに連絡した。みんな「ここまで感染者が増えれば、かかるもかからないも運だから気にしないで」と慰めてくれる。かえって申し訳なさが増して泣けてくる。中国駐在にあたって再開したブログなのだから中国での「隔離生活」から幕を開けるだったはずが、まさかの日本での「療養生活」から始まるとは……情けない限り。

方々に連絡を済ませて時計を見ると午後9時前だった。いざ自分が陽性だと思うと一気にだるさを感じだし、とりあえず早めに布団に入って寝ることにした。

References
*1少し長めの綿棒のようなものを鼻にぐいぐい突っ込まれる、インフルエンザ検査なんかのときにやるタイプだった。結構痛くて鼻血が出るんじゃないかと思った。
*2日本政府の求める自宅療養10日間に加え、完治後も中国政府から14日間の健康観察を求められて、これが終わってようやく今回受けた渡航前PCR検査にたどりつける。
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