The time is gone, the song is over, thought I'd something more to say.

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年を越してしまったそば

昼食を食べに“青海牛肉拉面”(青海牛肉拉麺)を食べに行った。

そう言えば、去年は年越しそばを食べなかった。すると、これは「年を越してしまったそば」だろうか……なんてどうでも良いことを考えながら来店。これを年越しそばの代わりに、今年も良い1年を過ごせるよう祈っていただくことにした。

スープと大量のネギしか見えないかもしれないが、下にきちんと麺は入っている。

ちなみに羊肉の串焼きも一緒になったセットを頼んだのだが「出来上がるまでもう少々お待ち下さい」と言われ、待っている間に麺をすすっていたら結局食べ終えてしまった。

羊肉の串焼きはどうなったのだろうと聞いてみたら、手違いですでに提供済みということになっていたようだ。若いお兄ちゃんが「本当に申し訳ありません」と平謝りし、私の串焼きを焼き始めてくれた。数分して焼き上がったのだが、再度「申し訳ありませんでした」と謝る始末で、何だかこちらのほうが恐縮してしまった。

この若いお兄ちゃん、見た目が今風で何だか遊んでそうな感じなんだけど、いつも朝から晩まで働いてしっかりしているのよ。今回の誠意ある対応も気持ち良い。こんなことがあっても、こういう店にはまた来たいと思う……どこかのベトナム料理屋と違って*1

References
*12022年12月30日の出来事なんだなー。

仕事始め

中国は今日から仕事始め。

この前、納めたばかりな気がするが(^^;)。日本は今日まで休みなんですか。だったらうちは日本の会社なんだし今日も休みにしちゃえばいいのに……と思ってしまうが、中国人スタッフもたくさんいる以上、そういうわけにはいかないのだろう。

夜は会社近くの日本式の居酒屋で新年会。つい2日前に上司の前で新年会をしたばかりだから新鮮味がないが(笑)久しぶりに「店」で酒を飲んだ。いや、久しぶりというか、最後に会社の人と酒を飲んだのは私が赴任した日以来だ。赴任してすぐは仕事が忙しかったし、その後、中国で新型コロナウイルスの感染が急拡大してどこも店舗が臨時休業してしまったのだ。私は1人でも晩酌をするのが好きな人間だが基本的に自分で肴をこしらえて家で食べるので、メニューの豊富さと(当たり前だが)頼めば何でも出てくるのに少し感動してしまった。

しかし、やはり家で飲むのと違って少々値は張るね。だったら家飲みでいいかなあ……と、このコロナ禍で思っちゃた人は少なくないんじゃないかしらん。

一年の計

新年快乐!兔年大吉!

あけましておめでとうございます。せっかくだしと雍和宮*1に初詣に行こうかと思ったけど、SNSで検索するとすごい人出のようだったので諦めた。

おとなしく家で過ごすことにして「がめ煮」を作った。

福岡出身の祖母が毎年正月に作ってくれる福岡の郷土料理。全国的には「筑前煮」と言ったほうが通じるかもしれない。福岡では正月料理に欠かせないもので、いつも鍋一杯に作って出してくれるのだ。祖母の味にはかなわないが、まあまあかな。

夕方頃になって岡山とビデオ通話。毎年元日は家族みんな祖父母宅に集まることになっていて、私も北京から遠隔で少し参加した。祖父母宅に行けなかった最後の正月は、まさに12年前の北京留学以来だ。あのときもビデオ通話で岡山とつないだが、インターネット回線の質が今ほど良くなく、ほとんど映像が見えなかったのを覚えている。それに比べれば、今回はテーブルに並んだおいしそうな「がめ煮」もちゃんと見える。みんな楽しそうで羨ましい。

夜は上司が自宅に招いてくれた。料理好きな別の上司がいろいろと用意してくれたほか、先輩の奥さんがおせち料理もお裾分けしてくれ、みんなで日本酒で乾杯した。

References
*1北京最大のチベット仏教の寺。

おおつごもり

今日は大晦日。ここ数日バタバタしていて髪の毛も切れず「おおがっそう」*1になっていたので美容院に行ってきた。さすがに大晦日は休業しているのではとおそるおそる予約の電話を入れたが、通常営業とのこと。

ここは日本人が経営していることもあって通うようになった。ただ私が予約するときは日本人スタイリストが大概空いていなくて、これまで中国人スタイリストにしか切ってもらったことがない。今日も中国人スタイリストで、若いお兄ちゃんだった。でもとても丁寧で、側面を刈り上げるときも自分の髪の毛を指さして「このくらいの短さでいいですか」なんて聞いてくれるので分かりやすかった。支払いは180元(約3400円)。日本人スタイリスト……いや、今までの中国人スタイリストよりも安かった。おそらく経験値などでランクが分かれているのだろうが、値段の割には満足だ。

夜はせっかくの年末年始だからということで、少し良い日本料理の居酒屋にデリバリーを頼んだ。ブリとサーモンの刺身、焼き鳥の盛り合わせ、軟骨の唐揚げ……居酒屋の定番メニューだ。少し値は張ったけど、ブリの刺身が本当においしかった。日本にいた頃はスーパーで半額になるころを見計らって刺身をよく買って食べていたけど、それがいかに贅沢なことなのか北京に来て身にしみて感じる。日本は本当に水産大国なんだなあ。舌鼓を打ちながら、妻や岡山の実家と電話をしたり紅白歌合戦を眺めたりして過ごした。

皆様、今年1年大変お世話になりました。どうぞ新しい年もよろしくお願いいたします。

References
*1岡山弁で「髪が伸び放題でボサボサになっている」状態のこと。

機関車フォー

中国は今日が仕事納め。12月31日、1月1日、2日は休日となり、3連休が待っている。今年も1年頑張りました~ということで、昼はいつもと気分を変えて、いつも賑わっている会社近くのベトナム料理の店に行ってみた。

店内は満席で、小さいテーブルで知らない女性と向かい合いの相席になった。日本ではまずないシチュエーション。そして注文してから料理が来るまで30分近く待った気がする。途中で何度も「キャンセルしようかな」と思ったほど。

ようやくやってきた“火车头汤河粉”、54元(約1020円)なり。

この料理名、直訳すると「機関車スープのフォー」。なんで?と思い調べてみると、百度百科*1によると「ベトナムの駅はどこもフォーを売っていて、人々は機関車に乗る際にフォーを食べることが習慣になり、以降『機関車』がフォーの代名詞になった」と説明があった。本当かなあ?

3分の2ほど食べたところで店員さんが「麺のおかわりはいりますか」と話しかけてきた。どうやら無料で「替え玉」が頼めるらしい。あやうくスープを飲み干してしまうところだった。せっかくなのでお願いし、しばらくすると麺とスープの入った小さいお椀を持ってきてくれた。と、次の瞬間だ。店員さんがその麺とスープを直接私のフォーに入れようとしたところ、手を滑らせてお椀ごとドボンと落としてしまったのだ。私も店員さんも、そして隣に座っていた人たちも「……あ」という声を出してしまった。

店員さんは慌てて「申し訳ありません」と言って、私の食べていたフォーをそのままサァーっと持って行ってしまった。食事を楽しんでいたのに品物が突然なくなった私は呆然とするしかなかった。どうするんだろう。フォーを作り直してくれるのだろうか。

すると持ってきたのは、おかわりの分が入っていた小さなお椀。

えええ!!これだけ??私のフォーはまだ3分の1ほど残っていたし、麺以外に野菜も入っていたのに。店員さんは「調味料はご入り用ですか」と聞いてくれたけど、ほしいのはそれじゃないよ。あとから入店した人は私のお椀を見て「お子様セットでも食べているのか」と思ったことだろう。

味は悪くなかったけどねえ。できあがるのも相当時間がかかったし、ちょっと、もう来ないかもしれない。

References
*1中国版Wikipediaと呼ばれているサイト。

気分だけでも「年の瀬」感を

日本は今日が仕事納めというところが多いのだろうか。弟も実家に帰省したようで、両親と賑やかに食事をしている写真が送られてくる。羨ましい。東京の本社もすっかり年末年始の雰囲気だ。

こちらは相変わらず「年の瀬」の雰囲気は皆無だが、今日は少し早めに退勤。晩酌をいただき、少しばかり年末年始の気分を味わってみた。これで明日が休みなら最高なんだけど、仕事なんだなあ。

さようなら「ゼロコロナ」

中国政府が新型コロナウイルス感染対策の大幅な緩和を発表した。事実上「ゼロコロナ」政策の終わりを告げた形だ。

いろいろ緩和しているんだけど、一番は水際対策。これまで中国に入国する人は出国前に2回のPCR検査を受け、到着しても最大8日間の隔離を経なければならなかった。ちなみにこれ、私の時は10日間だったし、その前は21日間(3週間)だった。さらに私の場合、出国直前に日本で陽性になってしまい、(日本政府が求めている)10日間の自宅療養を終えたあと、さらに14日間の「健康観察」という(よく分からない)期間を過ごさねばならなかった*1。これが理由で私の中国赴任は遅れに遅れたわけです(というのは、このブログでも以前書かせていただきました)。

こうだったのが、まず出国前のPCR検査は「陰性だったよ」と入国時に申告すればOK*2。陽性になっちゃった人も、陰性になれば中国に来てOK。そして何と言っても入国後の隔離が撤廃されたのが大きい。中国到着後、すぐに通常の生活を始めていいのだ。

思い返すと、私は中国が最も「激動」の時期にやって来たのかもしれない。入国時の隔離を経験し、やっと明けたら今度は感染爆発、在宅勤務が続いて、今度は「ゼロコロナ」政策の事実上の終了。何だったんだ、この3か月間。いろんなことが急展開過ぎて、ちょっと自分でも混乱している。

でも、隔離が無くなったことは本当に良かった。本心からそう思う。駐在員たるもの、中国で仕事を全うするのが役目。けれど万一、日本で何かあったら……というのは常に心に引っかかっていたのだ。妻はまだ日本にいるし、祖父母も今は元気だけどいつ体を壊すか分からない。しかし日本に帰るたびに隔離しているんじゃ駐在員として使い物にならない。日本と中国の距離は飛行機だと数時間なのに、隔離のせいで地球の裏側のブラジルよりも……いや、さらにその秘境のアマゾンのどこかに行くよりもっと時間がかかるのだ。

でも日本に帰りやすくなると思うと、どこか胸のつかえが下りたような気がする。極端な話、日帰りだってできるかもしれない。それに家族や友人にも中国へ遊びに来てもらいやすくなるしね。まだ日本人の観光目的のノービザ訪問はできないままだけど、これも時間の問題だろう。

でも、ふとした瞬間に「だったらあの隔離10日間、出国前14日間の健康観察はなんだったの」という気分になる。いや、私なんかはまだいい。厳しい「ゼロコロナ」政策の副作用で財産を失った人、仕事を失った人、あるいは大切な人を失った人がいるのだ。手放しに「ゼロコロナ」政策が終わりました!って喜んではいけない気がする。

References
*1だって陰性になったんだからさっさと出国させてくれればいいものを、感染が流行する「第7波」の日本国内で14日間過ごさないといけなかったんだもの。
*2以前は専用のウェブサイトでPCR検査の陰性証明をJPEG形式でアップロードし、大使館に申請して、グリーンの「健康コード」なるものを入手して……とにかく面倒だった。これに失敗して翌日の飛行機に搭乗できなかったという人もいるらしい。

戻り始めた日常

今朝、地下鉄で出勤をすると先週に比べてずいぶん人が増えていた。

北京に来て3か月。いつも地下鉄2号線で職場に通っているが、座れなかったことはほとんどない。しかし今日は自分の立つスペースの確保もやっとというほどだ。

道ばたで”煎餅馃子“(中国式クレープ)を作っている人たちの姿も。

いつも朝早くから氷点下のなか、おいしそうな匂いを漂わせて商売していたのだ。感染が拡大してから姿を見なくなり、どうしているのだろうと少し心配していた。ちなみに私も食べてみたいなと思いつつ、見た目が少々脂っこそうでまだ買ったことはない。

ならばと思い、昼によく行っていた蘭州牛肉麺の食堂を訪ねてみたが……閉まったままだった。

最後に食べたのは先月8日で、その後何度も見に来たがずっと閉まっている。ただ、ガラス扉の脇にぶら下がっている“今日已消毒”(本日は消毒済み)の札に書かれた日付は「12月8日」だ。今月に入ってから一度は店を開けたのだろうか。

この店は安くておいしいコストパフォーマンスの良い店で、しょっちゅう来ていた。まさかこのまま閉店してしまうのかなあ。営業再開してくれる日にぜひとも期待したい。

日本から感じる年末ムード

私が北京に赴任する前にいた東京の部署は今日までが通常体制で、明日から年末年始の体制に入るらしい。正社員は来週も出勤するが、スタッフさんがお休みに入るなど大幅に体制が縮小される。

そんなこともあって東京とやり取りをすると、みんなもう「年末モード」だ。メッセージの端々に「よい年をお迎えください」とか「来年もよろしくお願いします」なんて書いてあって「年の瀬」感がにじみ出ている。東京でよくお世話になったスタッフのお姉様も「今日で仕事納めです」と、同僚とパンケーキを食べている写真をLINEしてくれた。

私も日本にいたら、同じような「年の瀬」感に浸りながら返事ができたんだろうなあ。自分も「大掃除はいつしよう」「帰省はいつからいつまで」なーんて考えて。でも、なんせこちらは「年の瀬」感がゼロなのだ。前にも書いたけど。

爆発的とも言える感染拡大は今も続いていて、ようやく飲食店は再開しだしたものの、とても忘年会なんて雰囲気ではない。そもそも中国は年末年始より旧暦の正月(春節)を重視する文化なので、待っているのは短い3連休だけ。

何が言いたいかと言うと、私はこの「感染爆発」している中国で来週も仕事が続く。方や日本はコロナ禍に突入して初めての行動制限を伴わない年末年始。やはり……ちょっぴり羨ましい。

我が身を振り返ると、日本にいた頃はコロナ禍であれもこれもできなかった。一方、その頃の中国は「ゼロコロナ」政策でウイルスを抑え込み、人々は感染拡大に苦しむ日本(および諸外国)を横目に自由な生活を謳歌していた。ようやく日本がもとの生活に戻り始めた頃に私は中国に赴任。しかし私は中国で「ゼロコロナ」政策の恩恵を受けることなく今度は感染爆発を経験しているのだ……いやあ、二重に苦しめられている気がする。

そんなことをネチネチ言ってもしようがない。好きな中国で、好きな中国語を使って働くことができているのだ。将来「あんなときに北京にいたんですか」と逆に羨ましがられるような生活を送っているのだと思って頑張ろう、うん。

いっそのこそ「陽性」に?

先週、街から人が消えた北京。しかし今週になって徐々に元に戻りつつある。

とは言え、感覚的には3割ほど?出てきているのはどうやら「感染したけど回復した」という人たちのようだ。私が今北京で普通に暮らしていても感染しないのは、やはり日本で感染した際の抗体があるからかなあ。ここまでかからないと「一度感染する」というのはワクチン以上の安心感がある。

私のオフィスは半数以上の同僚が感染し、その多くが自宅療養から戻って来てきていない。そんなこともあって、ここ数日、私みたいな「生き残り組」に降りかかる業務量が半端ない。もともと「感染しないため」の在宅勤務だったが、今や感染した人がことごとく自宅療養していることもあって「感染したから」在宅勤務になってしまっている。もはや少数の「生き残り組」は出勤しないことには仕事が回らず、事実上、在宅勤務は解除の状態となっている。

そんなこちらの状況を知ってか知らずか*1、東京は次々と仕事のオーダーをしてくる。必死に感染対策をしながら山のような業務をこなす側からすれば「いっそのこそ陽性になったほうが楽なのでは」と思いたくなるような状況だ。ま、数か月前に感染したばかりの私はどう逆立ちしても陽性にはならなさそうだけど。いやいや、中国渡航直前に陽性になって会社に迷惑をかけたクチなんだから、今こそお返しせねば……とは言え、ここ1週間はいっぱいいっぱいな状況だ。

一方、中国の一般企業も感染者の増加で人手が足りないよう。中には「陽性なのに働かされ続けた」という話も出ている。うーん、それはそれで。

References
*1おそらく知らないか、知っていても「理解していない」。
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