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The time is gone, the song is over, thought I'd something more to say.

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新型コロナを感じる

1か月ほどせきが止まらない。

風邪のように「ごほごほ」出るわけではなく、胸の深くからこみ上げるように出てくる。黙っていればあまり問題ないが、しゃべりだすとせきが出そうになって結構しんどいのだ。

これまでも年に数回こうした症状が続く時期があった。熱もないしだるさも感じない。味覚もしっかりあるので、新型コロナウイルスではなさそうだ。今回もすぐ治るだろうと思っていたのだが、一向にやまない。新型コロナウイルスの感染流行が第7波に突入した今、せきが続くと周りの目も気になるので病院にかかることにした。

いざ電話で予約をすると、せきが出る場合は「発熱外来」の扱いになるという。特に今は新型コロナウイルスへの感染を疑って受診する人が多いので、病院の裏口から入るように指示された。

パーティションで区切られた場所に待機していると、医師と思われる男性がやってきて診察をしてくれた。熱を測り、パルスオキシメーターで酸素濃度を調べ、聴診器で胸の音を聞く。一応せきは新型コロナウイルスの症状なので、無料でPCR検査もしてくれるらしい。長い綿棒のような道具を口にくわえ、唾液をしみこませた。

診察はこれで終わり。あれ?これじゃ新型コロナウイルスかどうかを調べに来たみたいじゃないの。私はせきの止まらない原因が知りたかったので「どういう診断になるんですか」と聞いたら「せきぜんそくか気管支炎でしょう」とずいぶんそっけなかった。息を機械に向かって「フ~」と吐いて呼吸を調べるとか、いろいろな検査はやらないの?

「薬を処方しますから、それでも改善しなければそれからです」。

そ、そうですか(^^;)。私のあとにも発熱外来の患者が次々来ていたので、そちらも忙しいのだろう。病院のカウンターからも発熱外来の予約を受け付けている電話の声がひっきりなしに聞こえてきた。周りに新型コロナウイルスの患者がまだあまりいないので実感しなかったが、増えているんだなあ。ふと新型コロナウイルスを身近に感じる一日だった。

帰れそうで帰れない

家を引き払ったのに郵便物の転送手続きをするのを忘れていた。もしや何か届いているのではないかと思い、引き払った家のポストを見に行ってみた。案の定、いくつか私宛の封筒やはがきが入っていた。危ない危ない。

もう住む家はないとは言え、4年間も住んでいたので「帰ってきた」感じがする。いつも買い物をしていたスーパーをのぞくと、いつもレジにいたおばちゃんたちがきょうも相変わらず働いている。よく行ったうどん屋はきょうのお昼も行列で大盛況。どの光景も変わらないけれど、私の家はもう無いから「帰れない」んだなあ。何だか不思議な感覚。

郵便物の転送手続きも済ませた。今までは手書きの申込書を郵便局の窓口に出していたけど、ネットでもできることを知る。これなら中国に行ってからも転送手続きの更新ができて助かりそうだ。

家なき子

家を引き払ったため、宿無しになってしまった。

と言うのが、家を引き払ってすぐ中国へ出発する想定だったのだ。ビザは7月中に出るだろうと踏み、飛行機も8月の頭の便を予約。ところがビザが一向に出ない。飛行機はキャンセルし、出国は延期。しかし家については管理会社と退去予定日の契約を交わしてしまっていたので、延ばすことができない。おそらく次の入居者の募集を始めてしまうのだろう。

数日は妻の家に泊まらせてもらっていたのだが、それもワンルーム。在宅勤務の日もあるようで、私が家にいると少々やりづらそう。妻は別にいいと言ってくれるのだが、私が気にしちゃう(^^;)。

そんなこともあって、ウィークリーマンションを契約した。即日入居できる物件を紹介してもらい、浅草近くの家に住むことになった。

契約のやりとりはすべて電話・ネットで、店舗を訪れることはなかった。契約書をメールで送ってきてくれるので、私はそれを印刷し、記入・なつ印したものをスキャンしてメールで送信する。鍵はポストの中にあり、事前に教わった暗証番号を入力して取り出した。

テーブルやソファー、それに冷蔵庫や洗濯機といった基本的な家具は備え付けなので助かる。今まで住んでいたエリアから結構離れることになったので、とても新鮮な気持ちだ。

岡山行

金曜・土曜・日曜で実家のある岡山に帰っていた。祖父母に妻の顔を見せてあげ、妻にも私の生まれ育った場所を紹介してあげたかったというのが一番の目的だ。

金曜の夕方に岡山に到着し、両親と外で食事をした。両親は両家の顔合わせの際に妻の顔を見ているが、当時はお互い緊張していただろう。お酒を飲みながら、ざっくばらんに会話できてよかった。

土曜は私の生まれ育った地元を紹介して回った。3年前に亡くなった父方の祖母の仏壇にも線香をあげ、結婚したことを報告。おばあちゃんっ子だったので、もし生きていたらとても喜んでくれただろう。通っていた小学校を訪れたり、いつも遊んでいた公園を見せたり、単なる私の自己満足だが、妻は埼玉生まれで岡山に詳しくないので純粋にさまざまな景色を楽しんでくれていたように思う。

夜は母方の祖父母宅を訪れ、両親も一緒に夕食。妻の顔を見るのは祖父母のたっての願いだったので、かなえられて本当によかった。祖母はいつも通りという感じだったが、祖父は少し緊張していたかもしれない。食卓には祖母特製のポテトサラダなど私の好物がたくさん並んだ。酒を飲みながらいろんな話で盛り上がり、本当ににぎやかだった。夜は祖父母宅に宿泊。

翌日、祖父が何か書き物?をしていた。祖父が席を立ったときにこっそりのぞき込むと、次のようなことを書いていた。

孫夫婦が岡山を訪れた。お嫁さんはとても落ち着いていて、初めて会ったような気がしない。なかなかできた子です。

もっといろいろ書いていたようだが覚えていない。けれど、とても喜んでくれているのは分かった。私たちが家を出るとき、祖父ははち切れんばかりの笑顔で「本当におめでとう」と、私と妻の手を握ってくれた。

結婚は誰のためにするというものではないが、それでも周囲、特に祖父母が喜んでくれているのを見ると、本当によかったと思う。妻には岡山にいる間いろいろと気を使わせただろう。妻にも感謝感謝、お疲れさま。

結婚しました

朝9時から引っ越しの荷出し。なんとか間に合った……いや、ギリギリ間に合っていないのか?

とても手際いい業者だった。運び出しだけでなく梱包作業までしてくれた。ソファーも、テーブルも、デスクも、どれも巨大な段ボールでクルクルッと包んでしまうのだが、この手際が本当にいいのだ。段ボールをチョキチョキと切って、ガムテープで貼り合わせて、とたんに巨大な「家具ケース」をこしらえてしまう。

海外というと確かに荷物の取り扱いが粗雑な印象がある。私が中国に留学していたころも、日本から届いた段ボール箱が「どんな扱いをしたのか」と疑問に思うほどボコボコに潰れた状態で届いていたなあ。それを思うと、海外の引っ越しでは家具の保護は大切なのだろう。

引っ越し作業は6時間ほどで終わり、午後は彼女と一緒に区役所に婚姻届を出しに行った。

事前に入念に調べていたので不備があるとは思っていなかったが、あっという間に受理されて少々あっけなかった。

そもそも結婚という話も中国に赴任が決まってからあれよあれよという間に進んだこともあり、正直実感が湧かない。区役所を出てから彼女……というより、今や妻となったパートナーと向き合って「これからよろしくお願いします」と、お互いペコッと頭を下げ合った。

夜は安いチェーンの居酒屋で祝杯を挙げた。いや、もっといい店で飲んでもよかったけれど、きょうが荷出しだったこともあって余裕がなかったのよ(^^;)。それでも「おいしいね」と笑顔で食べる顔を見ていると、この人を選んでよかったと感じる次第。

皆様、夫婦ともども、これからもよろしくお願いいたします。

きょうもきょうとて

きょうもきょうとて引っ越しに向けた荷造り。

今回は中国に行くので、少々特別な引っ越しだ。まず荷物を3種類に分けなくてはならない。「船便で送る荷物」、「航空便で送る荷物」、そして「日本にとどめておく荷物」の3種類だ。

基本的に荷物は船便で送ることになる。時間はかかるが大量に送れるし手荒く扱われる可能性が低い。一方で生活必需品など急ぎで必要になるものは航空便で送る。私の場合、服や靴といった比較的軽くてすぐに使うものを航空便に指定している。空港で結構荒く扱われるようで、電子機器といった取り扱いに注意を要するものは航空便に指定しないよう言われている。

これ以外の中国に持って行かない物は「日本にとどめておく荷物」という扱いだ。引っ越し業者がトランクルームを持っていて、そこに置いておくことができる。ただしこのトランクルーム、いわゆる個人が借りるものと違い、巨大な倉庫のような施設らしい*1。一世帯ごとにラックを組み立て、そこで管理をするとのこと。空調設備などが整ってしっかりした環境らしいが、その規模ゆえ「ちょっとあの段ボールから取り出したい物があるんだけど~」といざお願いしてもそれはできないのだとか。

そうすると荷造り……というか、荷物の選別作業は結構重要だ。だって「日本にとどめておく荷物」にしてしまうと、私が数年後に中国から帰任するまでお預けということになってしまう。

ならば全部中国に持って行ってしまう、という手もある。あのスタンドランプも、この65インチ大型テレビも、ぜーんぶ持って行ってしまおうか!?しかーし、ところがどっこい、よっこいしょういち*2、それらの多くは持って行っても使えないか、そもそも中国に送れないのだ。

まず一番大きな理由は電圧。日本の場合は100Vだが、中国は220Vだ。日本の家電を中国のコンセントにそのまま指すと「ボンッ!」と煙を出して壊れてしまうだろう。最近のパソコンやスマホは基本的に世界統一の仕様になっているので、どの国の電圧にも対応していることが多い。コロナ禍の前だって変圧器など持参して旅行することはすでになくなっていた。

しかしよく見てみると、100V専用の家電は意外と多いのだ。デスクランプ、ステレオオーディオ、プリンター、スピーカー、炊飯器、ホットプレート、ザッと思いついただけだが、これらはすべて100V専用だった。

次の大きいのは、中国に「輸出できない」という理由。私のような個人であっても、荷物を中国に送るのは「輸出」ということになる。この輸出制限が厳しいのだ。まずアウトなのは、中国共産党の体制を批判する書籍や映像。さらに海外と通信できる機器?もダメだとか。そのため大型テレビも「日本の放送は見られないにはせよ、大型モニターとして使えるじゃないか」と考えたのだが、やはり持って行けない。最近のテレビはGoogle TVとしてネット通信ができるからだ。皆さんもテレビでNetflixとかYouTubeを見たことがあるんじゃないかと思う*3。さらに「ブルーレイが再生できる機器」もダメらしい。去年末に争奪戦を勝ち抜いて購入したPlay Station5、これも持って行こうとしたが「ブルーレイが再生できる」という理由でダメだった。手荷物として持って行く「完全自己責任」であれば構わないらしいが、つくづくよく分からない理由だ。

そんなことをいちいち考えながら荷造りをしていると全く作業が進まない。明朝の9時には業者がやってくるというのに(^^;)。今夜は徹夜コースかな。

References
*1イメージ的にはコストコのような建物らしい。
*2古いっちゅーの。
*3中国ではそもそもネット規制でNetflixもYouTubeも見られないじゃないか、というツッコミはとりあえず置いておく。

いろいろなものを退会

きょうは日がな一日、荷造りをしていた。

あと引っ越しに合わせていろいろなものを解約。新聞は先週解約したけれど、実は今も配達されている。解約したことが伝わっていないのかしらん。ここの家に越してきて4年間お世話になったから、配達員の方もクセ?が抜けないのかなあ。

あとケーブルテレビのJCOMも解約。ネットで何でも出来るようになった現代だけど「解約はお電話で」とのこと。ならばと電話するとオペレーターに「引っ越し先は決まっていますか?」としつこく聞かれる。新聞を解約するときにも聞かれたなあ。どちらに行かれるのですか、そちらでは新聞は取り続けませんか、と。その点、今回は楽だ。だって引っ越し先が海外なのだもの(笑)。引っ越し先が国内ならあの手この手で引き止めようとするのだろうけど「国外です」と答えると「あ、そうなんですね」で終わった。

それにしても荷造りが進まない。いや、ひとつひとつ箱に詰めているので「進んではいる」はずだが、部屋が散らかっているだけのような気がするのはなぜだろう。

ハムスターの巣のような家

今週の木曜日に引っ越しを控え、きょうからようやく荷造りの作業を始めた。最も多い荷物のは書籍だろうか……段ボールの中にせっせと詰め込む。あちらこちらに荷物が散乱して、家の中がまるでハムスターの巣のような状態だ。

そんな作業をしていると、もう数年以上読んでいない書籍が結構あることに気付いた。数年以上読んでいないということは、中国に持って行っても読む可能性は低い。これを機に断捨離しようかなあ。

せっせと荷造りをしているはずなのに、家の中が逆にどんどん汚くなっているような気がしてならない。木曜日の引っ越し当日までに間に合うのだろうか……って、だったらこのブログを書く前に作業しろっちゅーの(^^;)。

家族写真

きょうは両親の東京滞在最終日で、みんなで家族写真を撮りに行った。

父親が来年に定年退職を控えているため、母親が仕事着姿の父を囲んだ家族写真を撮りたいとずっと話していたのだ。ちょうど両親が上京してきてくれたので、東京に住む2人の弟にとっても都合がよかった。まもなく中国に赴任してしまう私にとってもベストタイミングだった。

当初はどこか写真館を訪ねて撮影しようかと考えていたが、兄弟のうち末っ子の弟が映像制作の仕事をしている関係で、知り合い……というより友人のスチールカメラマンに頼んでくれた。立派なスタジオも借りてくれ、撮られるこちらが緊張するくらいの設備だった。

あまり写真館で撮影したことがないのでよく分からないが、ああいうところは1枚いくら……という値段設定なのだろうか。それにくらべると、こちらは友人のプロカメラマンが撮影してくれるのだから無限にシャッターを押してくれた。さまざまなポーズ、さまざまな表情で撮らせてもらい、おそらく100枚は超しただろう。

誰もがスマートフォンを持つようになりいつどこでも写真が残せるようになったが、こうした記念の節目にきちんとした場所で写真を撮ってもらったことは実は少ない。というか、無いんじゃないかな。撮影してくれた弟の友人も「私もこんな家族写真を撮ろうかな」と話していたが、誰かが思い立たないとあまりやらないものだ。母親のアイデアにとりあえず感謝。

コロナ禍のテーマパーク

上京している両親のリクエストで東京ディズニーランドに行った。

私がまだ小さかった頃、年に1回、家族で東京ディズニーランド旅行に行くのがお決まりだった。岡山から東京へ出るには新幹線や飛行機、はたまた寝台列車を利用するわけだが、この移動がまた楽しみなのだ。幼い私からすれば海外旅行のような気分で、首都圏住まいの人が日帰りで東京ディズニーランドへ遊びに行くのとはちょっと違う。私にとって東京ディズニーランドは特別だ。

もちろん両親にとっても東京ディズニーランドは特別な場所であり、上京してきたタイミングでぜひ行ければと思っていたので、今回かなってよかった。

新型コロナウイルス対策で入場者数には相変わらず上限が設けられていたが、アトラクションにおける過剰な対策は撤廃されてきているようだった。例えばウエスタンリバー鉄道は、客席を1列1列区切っていた分厚いビニールシートが取っ払われていた。またホーンテッドマンションは以前、ゲストが立ち止まらないように一部の演出を取りやめていたが、これも復活していた。

東京ディズニーランドもコロナ禍に突入していろんなことが変わってしまい、何だか寂しさを感じていたが、徐々に戻りつつあるんだなあ。小さい頃の「思い出」の東京ディズニーランドが帰ってきた感じがしてうれしかった。ただ人が少ないのはやはり快適で*1入場者数の上限はぜひ継続してもいいんじゃないかと思う(^^;)。

References
*1とは言っても、2年前にオープンしたアトラクション「美女と野獣“魔法のものがたり”」は開園直後で2時間半待ちだった。
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