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The time is gone, the song is over, thought I'd something more to say.

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北京隔離生活10日目

中国北京での隔離生活10日目。

明日の午前8時にはここを出る(つもり)なので、今日が実質隔離の最終日だ。

朝から隣の部屋の男性が親族と思わしき人と電話をしている声がいつにも増して大きい。おそらくWeChatでビデオ通話をしているのだろう、相手の声まで聞こえてくる始末だ。何を言っているかまでは聞き取れないが、明日の何時に迎えに来てくれみたいな話をしているのだろうか。

今日の昼食、スペアリブとじゃがいもの煮込み。

午後2時半頃にPCR検査のスタッフがやってきた*1。スタッフは2人いて、それぞれ順番に私の口の中に綿棒を入れてきた。おそらく検体は2つ採取するということなのだろう。

終わって扉を閉めようとしたら「扉は開けておいて」と言う。何だろうと思ったらずかずかと部屋に入ってきて、壁の照明スイッチやデスクの上にある私のマウスなど、私が触れたであろうあらゆる箇所を綿棒でスリスリと擦って検体を採取し始めた。あらかじめ説明してくれればいいものを、あれだけ私を外の世界と遮断しておきながら、突然スタッフが部屋の中に入ってきたので驚いてしまった。

今日の夕食、隔離施設で食べる最後の弁当だ。特別かと期待したけれど普通だった(^^;)。

午後7時前になって、部屋の内線電話が鳴る。

出ると突然「あなたの健康状態に異常がなければ明日の朝に医者があなたの部屋に向かう。するとあなたは午前9時に部屋を出ることが出来る。午後0時にはあなたの部屋に消毒が入る」と舌足らずな日本語の自動音声が流れた。

一瞬あっけにとられ(笑)言われたことを頭で反芻していると、女性が中国語で「聞き取れた?」と聞いてきた。ああ、この声の主は隔離の初日に私がいろいろと日本人との仲介役になって助けてあげた女性だ。今回のメッセージを日本人に伝えるにあたり、おそらくオンラインの機械翻訳で中国語を日本語に訳し、スマートフォンなどで読み上げさせたものを受話器越しに聞かせたのだろう。言葉の通じない日本人にどう伝えれば良いか、彼女なりに考えたんだなあ。

医者さえ来れば隔離施設を出られるそうので、晴れて明日には自由の身になれそうだ。

ちなみに現在、北京市内で自由に行動しようとした場合「北京健康宝」というアプリをスマートフォンに入れておく必要がある。ビッグデータに残る本人の移動記録に基づき、赤・黄・緑の表示が出るようになっている。赤なら集中隔離の対象者、黄なら自宅隔離の対象者、緑なら異常なしといった具合で、緑にならないと自由な行動は許されない。

私の「北京健康宝」は今日の午後6時頃まで黄色で”居家观察“(在宅観察)と表示されていたが、午後8時過ぎには緑色の”未见异常“(異常なし)に切り替わっていた。本来なら今日が隔離満了日なので朝から何度も確認しては「なぜ緑にならないんだろう」と気になっていたので安心した。

今や北京ではオフィスビル、レストラン、観光地に入るにもこの「北京健康宝」の提示が必要な場所が多く、みんな毎朝出かける前に「緑、よーし」と確かめるのが新たな習慣になっているらしい。これが例えば前日に訪れた場所で感染者が出たような場合、突然「北京健康宝」にポップアップ*2が表示され、ただちに隔離をしてPCR検査などを受けなさいということになるそう。

まだ慣れないけれど、この「北京健康宝」とは長いつきあいになりそうだ。

References
*1このPCR検査だって当初は午後4時だって聞いていたんだけど(笑)。
*2中国語では”弹窗“と言う。

北京隔離生活9日目

中国北京での隔離生活9日目。

今日の昼食は鶏肉と椎茸、じゃがいもを煮込んだ料理だった。

さて、明日は隔離の満了日……とは言え、出られなさそうなのは前に書いたところ。会社から念のため再度確認するように言われ、例によって室内にある内線電話で問い合わせをしてみる。

回答は案の定、明日は出られないというものだった。午後4時頃に行うPCR検査の結果が深夜にならないと出ないため、という理由だった。しかし私より先に中国に向かった会社の先輩を始め、他の隔離施設の人たちは10日目の夕方には解放されているのだ。そもそも普通に考えて解放日の午後4時にPCR検査を行うのもよく分からない。だったら朝イチにやって、午後4時に解放するのが筋だろう。

こういうシチュエーションに出くわすと「ああ、中国だなあ」と感じる。あっちでAだと言っていたことが、こっちに来ると途端にBになるのだ。

ではいつ出られるのか?と聞いたら午前10時頃だと言うので「深夜にPCR検査の結果は出ているのだから、午前8時でも変わらないでしょ?」と言うと「では午前8時に電話をください。確約はできないけれど」という、またはっきりしない回答だった。

今日の夕食。

とりあえず会社には事情を説明して、30日の午前8時に迎えに来てもらうことになった。

30日は朝から様々な手続きで大忙し、分単位でスケジュールが組まれていた。夜は会社近くのホテルに泊まることになり、予約メールも送られてきて、いよいよ隔離が明けるんだと実感。何度も言うけど、明けたらまずは冷たいビールが飲みたいなあ。

北京隔離生活8日目

中国北京での隔離生活8日目。

今日の昼食。バナナ付き。

今日の夕食。毎日隔離でそろそろ書くことも無くなってきてしまった。

ふと隣の部屋からびっくりするぐらいの大声で電話をしている声が聞こえてきた。しかし、もっとびっくりしたのが「これ、私の声も隣に同じくらいの音量で聞こえていたってこと?」という事実。ずいぶん遮音性の高い部屋なんだなあと思ったら、みんな静かに過ごしていただけらしい。私はテレビの音量も結構大きめにしちゃっていたよ。うるさいと思われたであろうお隣さん、ごめんなさい。

消えゆく東急ハンズ

今日、東急ハンズが会社名を「ハンズ」に変更するというニュースを目にした。

東急ハンズがホームセンター大手のカインズに買収されたというのは知っていたので、東急のグループと資本関係が無くなった以上、会社名から「東急」の名が消えるのは時間の問題だと思っていたけど、ついにかあ。「TOKYU」の文字が入っている従来のロゴも変わってしまうわけだ。

読売新聞によると「店舗の新たな屋号やロゴは今後決める」らしい。すると会社名は「ハンズ」だけど、そこらにある東急ハンズの店舗は「ハンズ」を冠さない、全く別名の店舗名になる可能性もあるわけだ。まだどうなるか分からないけれど、もしそうなってしまうとしたら寂しいなあ。

東急ハンズ渋谷店

もっと寂しいのは、買収の背景にある東急ハンズの業績低迷だ。「何でも揃う」という東急ハンズのビジネスモデルはずいぶん昔からAmazonといったオンラインショッピングの台頭で追い込まれていて、そこに新型コロナウイルスの感染拡大がトドメを指したというわけ。

私のようなハンズファンは「ハンズで買い物をするのが好き」だったし、そういう人は一定数いるだろうから、何もカインズに身売りしなくてもやっていけるんじゃないかと思ってしまうが、言われてみればそういう傾向はあったのかもしれない。神戸にあった東急ハンズ三宮店の閉店だ。

東急ハンズ三宮店(2006年5月撮影)

岡山生まれの私にとって、神戸はたまに遠出する特別な場所。神戸に行けばいつも東急ハンズ三宮店に寄り、見たことのない商品や珍しいものを見るのが大好きだった。特に「バラエティー」のフロアは小さかった私にとって大きなおもちゃ箱の中に入ったような気分で、アレも欲しいコレも欲しいと言って親を困らせたことを覚えている。

その後上京し、東京には新宿・渋谷・池袋……と、それぞれの街に東急ハンズがあることを知って驚いた。私にとって東急ハンズは神戸に行かなければ出会えない存在だったからだ。今でこそ岡山にも東急ハンズはできたが、私にとっての元祖は神戸の三宮店であることに変わりはない。

神戸に行くたびに必ず寄っていた東急ハンズ三宮店だが、2020年に閉店してしまった。小さい頃から慣れ親しんだランドマークが無くなってしまうのは何とも言えぬ寂しさだったし、他県民の私がそう思うくらいだから、地元の神戸っ子たちに走った衝撃は計り知れないものだっただろう。三宮店の閉店はそれほど「東急ハンズ」の低迷ぶりを示す象徴的な出来事だったし、今思えばカインズによる買収の前兆だったのかもしれない。

台湾・台北駅にて(2010月3月撮影)

ちなみに台湾にも東急ハンズは進出している。数年前までは現地企業と合弁会社を作って運営していた関係で「TOKYU HANDS」ではなく「HANDS TAILUNG」という名前で店舗展開していた*1。10年前に台湾へ旅行した際、台北駅で東急ハンズとそっくりなロゴを見かけて不思議に思ったことを覚えている。

今回、カインズ傘下に入ることに伴うロゴ変更も台湾のパターンにならって”手”だけは踏襲するっていうのはどうかしらん。だって社名に「ハンズ」=「手」という名前は残るんだもの。

ロゴに描かれた”手”は1976年の創業当初から使われているもので、「手を通じて新たな生活・文化を創造しよう」という意味が込められているらしい。これまでハンズが大切にしてきた理念や多くの人が抱く思い出をロゴに残しながら、新しい風をカインズに吹き込んでもらえれば……っていうのは、私の勝手すぎる要望でございましょうか(^^;)。

References
*1現在は日本と同じく「TOKYU HANDS」とブランド名に変更している。けれど今回の社名変更で台湾の店舗名はどうなっちゃうんだろうねえ。

北京隔離生活7日目

中国北京での隔離生活7日目。今日からもう朝食をアップするのはやめた(笑)。

昼食はこんな感じ。左上のおかずは味付けこそ多少中華風だったけど、ハンバーグのようだった。

そして右上のは”土豆丝“ですな。日本語的に言えば、ジャガイモの細切り炒めというところか。日本でもよく作ったが、私は酢を多めに作るのが好き。お酒が進むのよー、今はお酒無いけどね。

隔離生活も今日で1週間。施設スタッフに電話を掛け、いつ出られるのか確認してみた。

求められている隔離は10日間。私は9月19日に入国したので、普通に考えると29日が満了日になる。しかし私は19日の夕方に隔離施設に到着したので、その日はカウントされず、30日が満了日となるらしい。もし誰かに迎えに来てもらうなら30日午前と伝えておきなさい、とのことだった。

あと4日間かあ、長いなあ。けれど最悪の事態は免れそうだ。というのが中国は10月1日から国慶節という、建国記念日の大型連休に入ってしまうのだ。現地の携帯電話を契約したり銀行口座を開設したり諸々の手続きをしておこうと思ったら、店が開いている9月30日中に済ませなければならない。30日午前に解放されるのであれば何とか主要な手続きだけでも済ませられそうだ。

夕食はクリスマスかっ!というくらい大きなチキンだった。

隔離施設を出たら一番に何をしたいかなあ。まず冷たいビールを飲みたいかな。あとはおいしいコーヒーも飲みたいなあ。自宅ではお茶のようにコーヒーをがぶがぶ飲む人間なので、持ってきていたドリップパックコーヒーは飲みきってしまった。

北京隔離生活6日目

中国北京での隔離生活6日目。

今日の朝食。今までのブログを見られていたのか、ついに”油条“が出てきた(笑)。最近の朝食はゆで卵だけいただくような感じになっていたが、あれだけ自分で”油条“と言っていたのだから……と今日は全部いただいた。ちなみに”油条“のわきにあるのはもち米シューマイ。

そうこうしていたら、あっという間に昼食が出てくる。気付いたら、毎日弁当の写真しかアップしていないじゃないか(笑)。中国駐在のバタバタな日常をつづるはずが、まさかこうして食事情をアップし続けることになるとは。いやー、だって部屋から1歩も出られないし、ましてや今日は日曜日でとても静かだからねえ。

隔離生活も6日目になり、窓から見える景色にも見慣れてきた。当初こそ施設スタッフとのやり取りがあったが、ここ数日はとても静かだ。隔離生活を快適に過ごせるようインターネット環境だけは気合いを入れて準備してきたので、部屋でNetflixやTVerも視聴できるし、日本にいる妻ともLINEで通話が出来る。それだけにふとした瞬間「あれ、ここは日本だったっけ」と思ってしまう。

私のスマートフォンにはまだ日本の天気予報アプリが入っているので、台風15号が関東に最接近した昨日はひっきりなしに「豪雨予報」なんて通知を送ってきた。え、雨?と外を見るとピーカンと晴れているので「ああ、そうか、ここは北京だった」と気付く始末。

夕食は鶏肉と大根、にんじんを煮込んだ料理。カレーっぽい味付けだったけど、クミンかな。

明日で中国に入国して1週間。

長いようで短いようで……いや、やっぱり長いかな。日本が外国人観光客の受け入れ再開に舵を切ったこともあって日本に行きたいと思っている中国人は多いだろうけれど、帰国時にもれなく隔離を求められるんじゃ、いくら日本が規制を緩和したって普通の人は行きにくいよねえ。とは言え、この国が隔離を無くす選択肢を採るのは「ゼロコロナ政策」を放棄するときだろうから、そう簡単には無くならないだろうけれど。せめてもうちょっと期間が短くならないものかな、というのは思う。

北京隔離生活5日目

中国北京での隔離生活5日目。

今日の朝食。

袋から取り出すときにパンが一瞬”油条“に見えて「おお、昨日の愚痴が伝わったか!?」と思ったけど”油条“ではなかった。申し訳ないけれど、今日の朝食もほとんど口を付けなかった。

今入っている隔離施設は宿泊代が1日400元と、朝昼晩の食事代が1日100元。今は円安で1人民元が約20円というビックリする値段なので、日本円に直すと宿泊代が1日約8000円、食事代が1日約2000円だ。昼食と夕食のクオリティーにはおおむね満足しているけれど、じゃあ100元の価値があるかというとちょっとねえ。朝食はいらないので、その分、昼食と夕食のクオリティーをもう少し高めてもらうとか……できないか(^^;)。

昼食は豚肉と海藻や干豆腐を煮込んだ料理だった。うーむ、私はこの”卤味*1がまたちょっと苦手で……って今日は食事の文句ばっかりだね。すみません、黙って食べます。

ちなみに私の部屋の入り口にある注意書きが独特だ。

左の”拒绝尼古丁“(ニコチンお断り)は初めて見た。英語は”No Smoking”になっているが、中国語も”禁止吸烟“(禁煙)ではだめだったんだろうか。そして真ん中の”保持安静“(お静かに)は分かるが、右の”请勿蹦跳“(飛び跳ねないでください)というのもユニークだ。それだけ飛び跳ねるような人がいたということなのか、想像力がかきたてられる。

ちなみに「ニコチンお断り」の割には、部屋でタバコの吸い殻を2つ見つけた(笑)。

1つは洗面所の隅、もう1つはバルコニー。バルコニーはおそらく逃走防止のためだろう、部屋から行けないようになっている。というのがバルコニーに通じる扉にストッパーが付いていて、20cmほどしか開かないようになっているのだ。おそらくこの施設が隔離用に使われるようになってからずっと同じ仕様だろうから、もしかするとバルコニーの吸い殻は建設当初から存在したのではないか。すると……建設作業員のタバコ?

夕食は中国版肉じゃがといった感じの料理だった。

今日は土曜日だけあって会社とのやり取りも特になく、静かな1日だった。10日間の隔離もようやく折り返し地点に立ったというところだ。

References
*1塩水に五香や醤油などを入れて甘く煮た料理のこと。

北京隔離生活4日目

中国北京での隔離生活4日目。

こちらは今日の朝食。そういえば今朝はPCR検査がなかった。

昼前に北京のオフィスとリモート会議。そこで日本は秋分の日で祝日だということに気付く。うーむ、得しているのか損しているのかよく分からない気分(^^;)

そうこうしているとあっという間に昼食が運ばれてくる。やはり朝食は食べないくらいがちょうど良いところ(笑)。今日は白身魚と白菜を蒸したような料理がメインだった。

持参したトラベルルーターで室内にはVPNを通したWi-Fi環境を作り出しているので、テレビに接続したChromecastでTverを試聴しながら昼食。日本のテレビ番組を見ていると一瞬自分は中国にいることを忘れてしまいそうだ。このおかげで10日間の隔離生活も何とかなりそうで、我ながら良い準備をしてきた。

夕食は骨付き鶏だった。

夜、廊下からシャーという音が聞こえたので何だろうとドアスコープからのぞいてみると、防護服姿の人が「これでもか!」というほど消毒液をぶちまけていた。いやあ、分かるけれど、そこまで汚いもの扱いしなくても……と思わず笑ってしまった。

各部屋に配られるゴミ袋にはバイオハザードのマークが印字されている。まるで危険物扱いだが、この国が新型コロナウイルスに対して未だどれだけ神経質になっているのかがよく分かる。

中国の感染対策を見ていて、日本で感染が広がりだした当初の頃を思い出した。

2020年2月にクルーズ船「ダイヤモンドプリンセス号」で新型コロナウイルスの集団感染が発生したとき、ニュースで防護服を着た集団が船内に入り込んでいくのを見て目に見えないウイルスに漠然とした恐怖心を抱いたのをよく覚えている。

今や日本では「良い意味でも悪い意味でも」新型コロナウイルスは身近な存在になった*1。しかし中国の新型コロナウイルスとの向き合い方は、2年半前の「ダイヤモンドプリンセス号」と何も変わっていない。当時、船内で隔離された乗船客はこんな気持ちだったのかなあと追体験している気分だ。今や世界中がウィズコロナに舵を切っているのに、なぜここまで怖がっているのだろう。

……とここまで書いておいて何なんだけど、一般の中国人はもしかすると「感染する」ことより、感染したために「隔離される」ことのほうが怖いんだろうなあ。厳しいゼロコロナ政策を堅持するこの国では感染者と同じ列車に乗り合わせた人でさえ隔離を余儀なくされるんだもの。そりゃあね、消毒液もぶっかけるよねえ。

References
*1まさか自分が感染するとも思わなかったし(^^;)。

北京隔離生活3日目

中国北京での隔離生活3日目。

今日の朝食。昼食も夕食もおいしくいただいているが、正直朝食は私の好みではない。中国には”油条*1や”煎餅馃子*2とか、おいしい朝食の定番メニューがもっとあるじゃないねえ。せっかくの中国なんだから、そっちのほうを出してくれればいいのになあ。

今日は朝からPCR検査もあった。同じフロアの端からだんだんと検査を行い、最後に角部屋の私のところまで来る。「PCR検査を行いますよー」と叫ぶ大きな声がどんどん近づいてくるので、ああ、そろそろ自分の部屋に来るなというのが分かる。

このとき廊下から聞こえてくるガヤガヤ感が私にとって唯一「ああ、隔離されているのは私だけではないんだ」と感じられる瞬間だ。この隔離施設が郊外にあるという事情もあるだろうけど一日中、本当に静かなのだ。もしや隔離されているのは私だけ?みんな実はどこか外に出て行っているのではないか?うーむ、スタッフに賄賂を渡せばそのくらいありえるか(笑)なんて思ってしまうほど。

昼食はスペアリブとポテトを煮込んだ料理。あとは中華料理おなじみの”西红柿炒鸡蛋*3なども入っていた。朝食のクオリティーに比べると昼食と夕食は段違いに良いのだ。とてもおいしかった。

夕食は肉だんご(里芋がコロコロ入っているように見えるが、これ、肉だんご)と大根の煮物。チンゲンサイを炒めたものや、ミックスベジタブルをエビと炒めたもの。部屋から一歩も出ていないので3食だけは毎度きっちり出てくるので、おなかがすぐにいっぱいになってしまう(^^;)。

References
*1中国式の長い揚げパン。揚げてあるけど、そんなに脂っこくない。これを”豆浆“(豆乳)と一緒に食べるのが定番。
*2中国式クレープとも言うべき料理。生地の上に卵液を広げて葱を振りかけ、好きなソースを塗って最後に”油条“と野菜をのせて巻いたら完成。
*3トマトと卵の炒め物。

北京隔離生活2日目:インターネット環境

中国北京での隔離生活2日目。

朝からPCR検査、口の中に綿棒を突っ込まれ「アー」と声を出すよう指示される。これは毎日実施するのかなあ。検査をしてくれたスタッフに聞いても「私は検査だけを受け持っているので、お答えしかねる」という返事だった。

今日は部屋でのインターネット環境について少し書いておこうと思う。

私が入った隔離施設にはひとつひとつの部屋にWi-Fiが設置されていて、自由に接続することが出来る。ただしご多分に漏れず、中国の「グレートファイヤーウォール」と呼ばれるインターネット規制が掛かっているため、GoogleやYahoo!JAPANといった検索サイトを始め、TwitterやFacebookといったSNS、YouTubeにもアクセスすることが出来ない。

そこで利用するのがVPNというサービスで、おそらく中国に滞在経験のある日本人ならほぼ全ての人がお世話になっているかな。私は今回、隔離にあたってトラベルルーターを持参し、このルーター自体にVPNをかましてネット環境を作り出してみた。

持参したのが「GL-MT1300」というVPN対応のトラベルルーター。かわいいポケットサイズ。

このルーター自体にVPNをかますのだが、厳密に言うと私が入れたのはVPNではなく「Shadowsocks」というサービス。VPNは外部から見て明らかに分かるトンネルを作って通信をするので、規制する側にとっても「規制しやすい」。一方で「Shadowsocks」は通信内容を暗号化しつつも、外から見たら通常の通信と変わらないので、当局の目を逃れやすいという利点がある。

部屋にあったのは中国電信のモデムで、ここからWi-Fiも出ている(そのWi-Fiは中国国内の通信)。このモデムと「GL-MT1300」を接続し、そちらで国外との通信をすることに。

多くの人はパソコンやスマートフォンなどの単位でVPNを入れているけど、こうやってルーターにVPNを入れてやれば、そのWi-Fiに接続している機器は全て国外と同様の環境になる。例えば私の場合、プライベートのパソコン・スマートフォン、会社のパソコン・スマートフォンと持っているが、この「GL-MT1300」に接続しているため、どれもVPNをわざわざ立ち上げなくてもすでに日本と同じような環境でインターネットを楽しむことが出来る。

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