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The time is gone, the song is over, thought I'd something more to say.

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日本大使館に出生届

今日は娘の出生にかかる手続きとして、出生届を提出しに北京市内の日本大使館に行きました。

出生届は日本だと最寄りの役所に提出しますが、外国の場合は大使館なんですね。出生届の用紙は大使館に用意されていて、これ以外に届出人のパスポート(今回の場合は父親である私)、中国の病院が発行してくれた「出生医学証明」(“出生医学证明”)、その「出生医学証明」の日本語訳が必要でした。この日本語訳は自分で訳したもので大丈夫なようです。

ちなみに「出生医学証明」というのは中国の病院が発行してくれる書類で、子どもが生まれたことを証明するものです。この書類には子どもの名前を記載する必要がありますから、出生届を提出するよりも前に決めておかないといけません。ただ外国人の場合、「出生医学証明」に載る名前は基本的にアルファベットなので、最悪「漢字表記」だけは出生届の提出時まで悩める……ということになるかもしれません(^^;)。ほかにも多民族国家の中国ならではの「民族」と書かれた欄もありました。日本人の私たちは「大和民族」とでも書かれるのかしらんと期待していたら、実際には空欄でした。

去年8月に自分のパスポート更新で訪問した以来の日本大使館領事部です。

窓口で子どもの出生届を提出に来た旨を伝えると用紙をくれるので、これに記入していきます。ここに書いた情報が将来ずっと戸籍謄本に残ると思うと感慨深い……父である私が今日届け出たことや、そして娘の出生地も「中国北京市」と記載されます。娘にとって北京が名実共に第二の故郷になりますね。

事前に記入事項も調べておいたので、窓口では書き直しを指摘されることもなく提出完了。これが私の本籍地である岡山市の戸籍謄本に反映されるまでは2か月ほどかかるそうです。とりあえず、これにて日本側に娘の出生を公的に届け出ることができました(^^)。

注射器でミルク

娘がNICUでの健康観察を終え、晴れて一般病室に戻ってきました。

いざ戻ってくると肩に力が入ります。息はしている?オムツは換えないといけない?そろそろ授乳の時間?とにかく分からないことだらけ。抱き方ひとつにしても緊張しちゃいます。私の母はさすが3人の息子を育て上げたこともあって抱き方がうまい(^^;)。亀の甲より年の功だなあ。

こちらの病院では母乳を推奨しています。ただ出産直後だと母乳の出が悪いこともあり、その場合には看護師さんがこうしてミルクを飲ませてくれます。で、使うのが注射器(シリンジって言うんですね)。生まれたばかりの子どもはうまく吸えないことが多いので、こうして飲ませてあげるんですね。飲み終えると慣れた手つきで娘を縦抱きし、背中をポンポンと叩いてゲップさせます。当たり前なんですけど、あまりに看護師さんの要領が良いので見ていて感動してしまいました。分からないことがあれば、その場で聞けば何でも答えてもらえますし。

今日はこのほか聴力検査を実施。眠っている娘の耳に検査用の道具を使って何か聞かせていました。娘は寝っぱなしなのでどう調べているのか不思議ですが、脳の反応を見ているようです。周りは音を立ててはいけないのかと我々は固唾を飲んで見守っていましたが、右耳は問題ないものの、左耳のみ明日再検査することになりました。

追記)

左耳もその後、問題なしということになりました。何を以て問題なしなのか不思議な検査です(^^;)。

娘がNICUに入院

昨日生まれてきた娘ですが、小児科の医師からNICU(新生児集中治療室)に入院することを勧められました。生まれてくる前に子宮内でうんち(胎便)をしてしまったようで、羊水が汚れていたそうです。この汚れた羊水を飲み込むと、まれに肺に入って呼吸障害などを引き起こす場合があるのだとか(胎便吸引症候群)。ほかにも病気の感染リスクがあり、念のためにNICUに入院して健康観察したほうが良いと助言をもらいました。

娘の体に将来障害が残る可能性があるなら迷っている暇はありません。ただし先生は「おそらく問題はないけど『念のために』入院しましょう」と言います。うーん、悩みますねえ。と言うのが、こちらの病院ではNICUに入院すると日本円にして1日あたり30万円近い費用がかかるのです。「念のために」で1日30万円……

けれど最終的には入院を決心しました。海外旅行保険が適用できることが分かったからです。会社が結構良い海外旅行保険に入ってくれていて、帯同している家族も利用することができるのです。会社に問い合わせたところ、娘も生まれた瞬間から加入できる(というより『加入させられる』)ことが分かりました。一応保険会社にも電話をして「医師が必要だと判断した治療なら保険金は支払われる」と言質を取ったので、ありがたくNICUに入院することにしたのです。

けど、結果的にすごく助かりました。娘の健康はもちろんですけど、娘が一時的に手を離れたことによって妻が休める時間が確保できたからです。こちらの病院は「母子同室」を掲げ、娘は生まれた瞬間から妻とずっと同じ部屋にいました。親子の絆を深めるのが目的だそうですが、生まれて数時間の新生児が同じ部屋にいるのって相当気を使います。とにかく目が離せず、出産したばかりで体調の戻っていない母親はなおさら大変です。NICUだと専門の看護師さんが24時間つきっきりで見てくれるわけで、安心感がまるで違います。

NICUでの面会は1日3回まで。清潔区域*1のため、入口で専用の防護服、マスク、帽子を着用し、入室後も手洗いをした後、手指消毒剤で消毒を指示される念の入れようでした。当時NICUに入院していたのはうちの娘だけだったのでVIP待遇。いつ面会に行ってもスヤスヤ眠っていました。あまりに静か(微動だにしない)なので大丈夫?と思ったくらいです。すると看護師さんから「お腹が空いたときの泣き声はそりゃあすごいですよ」「今が静かなだけです」と笑いながら教えてくれました。

最終的に娘のNICUで請求された額は約1万5000人民元、日本円にして約33万円でした。想像していたよりは安かったですが、それでも高いですね。一旦は立て替える必要があるそうで、とりあえずクレジットカードで支払い。後日、病院の診断書や明細をインターネット経由で保険会社に送ったところ、翌日には振り込まれました。ありがたい限りです。

この日の夜は病院を後にし、北京首都国際空港へ。今夜から日本の母が身の回りの世話のために中国に来てくれることになっているからです。T3ターミナルの到着ロビーでぞろぞろと出てくる到着客を眺めていたら、大きなスーツケースをゴロゴロさせた母親が出てきました。中身に入っているのは私たち夫婦があれこれ持ってくるようお願いした日本の物品です。いやはや、ありがたい限り。自宅に着く頃には午後10時を回っていたため、遅い夕食は自宅で簡単に済ませました。

References
*1病原微生物の汚染を防ぐことに特化した空間のこと。

上海出張

今週末から春節の連休が始まる中、上海に出張。

向かう飛行機は満席でした。私の両隣には(失礼な言い方ですが)身なりからして地方出身の方かなあ?という男性。離陸前にはスマートフォンをスピーカーホンにして身内と思わしき人と大声で電話したり、電話が終わっても大音量で“抖音”(中国版TikTok)のショートムービーを見始めたりと自由な方でした。春節で帰省するのかな?しかし上海の方ではないでしょうし、なぜ北京から上海に向かう便に乗っていたかは分かりませんけど。

上海って北京よりだいぶ南にある印象ですが、いざ飛行機を降りると北京と変わらないくらい寒かったです。仕事を終えてホテルに帰ったのは日付が変わる頃。朝が早かったこともあり、寝る前に楽しもうとせっかく冷蔵庫に冷やしておいたビールは半分しか飲まないうちに眠ってしまいました。

「こげない自転車」をこぐ

夜に複数人と食事をする約束があり、私は仕事が長引きそうだったので先に始めておいてもらうことにしました。で、30分くらい遅れて向かおうとしたのですが、どうやって行くか。目的地は歩くと20分くらいかかる場所。全く問題なく歩ける距離ですが、遅れているだけに早く向かいたい。かと言って、車で行くには近いのです。

中国でこういうときに便利なのが「シェアサイクル」です。いわばレンタル自転車ですね。町中そこらに止まっていて、スマートフォンアプリで自転車のQRコードをスキャンすれば、すぐに乗れます。で、どこで返却しても自由*1。日本にも首都圏などを中心にドコモのシェアサイクルがありますが、特定の場所(ポート)で借りて返却も特定の場所(ポート)にしか返せません。その点、場所の制限がない中国のシェアサイクルは便利です。ま、一方で無秩序にカラフルなシェアサイクルが散らばっているのは景観的に美しいとは言えませんけど。

まあ、でも急いでいるときにシェアサイクルは助かるんです。で、今日もどう向かおうかと職場を出たところで黄色がトレードマークのシェアサイクル“美团”の自転車が止まっているのを見つけたので、これに乗って向かうことにしました。すると……

いざペダルを漕ごうとすると足が空回り。よくよく見ると右足側のペダルが付いていない!

これ、中国のシェアサイクルでよくあるんです。いざ乗ろうとした自転車が故障していること。けどタイヤがパンクしていたとか、ハンドルが歪んでいたとかならまだしも、ペダルが取れているなんてどういう乗り方をしたのやら。先ほども書いたように中国のシェアサイクルは場所の制限がないので、こういう“故障自転車”が管理されないままそこらに止まっているんでしょうね。

しかし困りました。周りを見ても他にシェアサイクルは見当たりません。と言うことで私、ペダルの付いていない自転車、片足だけで頑張ってこぎましたよ!しかし足の普段使わないような部分に力を入れるので何度もつりそうになりました。

結局数百メートルこいだところで別のシェアサイクルが止まっているのを見つけたので、乗り換えることで事なきを得ました。でも、おかげで支払った料金は2台分。そんなに高い金額じゃないけど……ちょっぴり悔しい。皆さんも中国でシェアサイクルに乗る際は、借りる時点で「そもそも乗れる自転車かどうか」確かめることをおすすめします。

References
*1ただ、人が非常に集中する場所、例えば観光地や繁華街の近くでは駐輪禁止区域が設けられている場合があります。

振替出勤日

今日は来週から始まる春節のための「振替出勤日」。それなに?おいしいの?……いや、もう詳しく説明はしまい*1。地元の中国人からも評判がすこぶる悪い制度が理由で日曜日なのに出勤です。

日曜日だというのに出勤時の地下鉄は平日のような混みよう。いや、まあ中国国内に限っては平日扱いなので、平日っちゃあ平日なんですけど。うちは日本の会社なんだし、どうせ日本が休みなら今日は休みにしちゃえばいいのに……とぶつぶつ言いながら今日も出勤するのです。

References
*1以前、中国の「連休」のからくりを説明したので、そちらをご参照ください。

春節のライトアップ

今日は土曜日ですが休日出勤。仕事を終えて会社から帰宅していると道路沿いの街路樹がライトアップされていました。

提灯までぶら下がり、すっかり春節ムードですね。先月、昼間におっちゃんたちがせっせとLEDを街路樹に巻き付けている作業を見ていましたもんね。

春節に向けた準備
今日、昼食を食べに外に出ると街路樹に登ってゴソゴソ作業をしている人たちを見かけました。よく見てみるとLEDライトを街路樹にくるくると巻き付けていました。なるほど、夜になるとライトアップさせるんですね。春節(旧正月)に向けて着々と準備が進んでいます。

この通りは「建国門外大街」といって、少し向こうに行くと「長安街」という天安門の前を通る道に繋がります。北京のメインストリートだけあって飾り付けにも気合いが入っていますね。

 

「ゼロコロナ」政策の“残り香”

昨日、綿矢りささんの「パッキパキ北京」の書評を書いたからというわけじゃないですけど、今日お昼時に会社近くを歩いていると「ゼロコロナ」政策*1の“残り香”を見つけました。

写真手前にあるQRコード。「ゼロコロナ」政策の頃には北京市内のあらゆる場所で目にしたものです。公共施設、デパート、スーパー、コンビニ、マンション、とにかく「見ない場所はない」くらい。大体は建物の入口に掲示されていて、市民が建物に入る際に「健康コード」(“健康宝”)というスマートフォンアプリで必ずスキャンすることが求められました。

こうすることで当局は「誰がどこを訪れたか」を把握することができるんですよね。スキャンさせることで、訪問記録が残りますから。で、どういうことが起きるかと言うと、厄介なのは自分が訪れた場所で感染者が確認されたときです。アプリに突然「あなたはリスクが高い地域を訪問しました」というポップアップメッセージが表示され、これは自分で解除できません。さらに数日間建物へ入れなくなったり公共交通機関の利用ができなくなります。

つまり濃厚接触者でもないのに「同じ場所を訪れていた」というだけで行動が制限されるのです。ポップアップメッセージを中国語で“弹窗”(タンチュアン)と言うのですが、当時は北京在住の日本人の間でもずいぶん話題に上がったし、また恐れられました。だって出張中に「タンチュアン」が出たら北京に戻ってくることもできないんですから。増してや、もし一刻も争う生命の危機に瀕しているときに行動を制限されたらどうなるやら。

多大な犠牲のもとに行われた「ゼロコロナ」政策は、これまた大混乱の末に終了しました。別に当時を知る者としてしたり顔をするわけではありませんが、あれは本当に経験した人にしか分からない出来事だったように思います。今や北京の人たちは「ゼロコロナ」政策なんて無かったかのように平和に過ごしています。それでいいのだと思う一方、本当にそれでいいの?と感じるのも事実です。ま、たった1年ちょっと前の出来事なのに私も遠い昔のように感じて過ごしてしまっているわけですが。

References
*1新型コロナウイルスの感染拡大を徹底的に抑え込むためにとられた中国政府の政策。

パッキパキ北京

最近旧ツイッター、もといX(エックス)で話題になっていた本。妻も読んだそうで、私もAmazonのKindleで購入して読んでみました。綿矢りささんの「パッキパキ北京」です。

作品の舞台はコロナ禍真っ只中の北京。ちょうど2022年の年末、北京で新型コロナウイルスが感染爆発した頃から始まります。私も同じ時期に北京で過ごしていましたから、いろいろと我が事として思い出されることも多く、楽しく読みました。

主人公は36歳で子どものいない駐在妻*1。中国入国後の隔離*2を経験し、北京に到着してから贅沢三昧の日々を過ごします。すでに北京で3年働く頭ガチガチサラリーマンの夫よりよっぽど北京暮らしをエンジョイする物語です。主人公の女性は中国語が全く出来ないのに中国のネット通販「タオバオ」(“淘宝”)や中国版インスタグラムとも呼ばれているSNS「小紅書」(“小红书”)を使いこなしていて、読んでいるだけで中国の「今」が分かります。

北京という街の特徴についてもよく分析していて、うまい表現で書かれているのを見ると、いや、言い得て妙だなあと感じます。

北京では地方出身者が肩身の狭い思いをしてるとか、故郷を恋しく思って帰りたくなるとも聞いていたから、北京は田舎から出てきた人間を打ちのめすほどの大都会のコンクリートジャングルかと思ったら、意外と土くさい素朴な雰囲気が街にも人にも残っている。これなら行ったこと無いけど上海とか、または東京の方がよっぽど、田舎から出てきた人間を不安にさせる近未来的な発展具合と騒がしさがあるんじゃないかと思った。

パッキパキ北京/綿矢りさ

そうそう、北京って今や世界第2の経済大国・中国の首都なのに、なんかこう、巨大な田舎みたいなところがあるんですよね。冬になると立派なショッピングモールの入口に防寒用の巨大な布団みたいなものが下がっていて、ちょっとダサい(笑)けど、これが室内の温度を保ったり、あと防風にもなったりして良いんです。東京ではまず見られないと風景かと思います。

あとは新型コロナの感染爆発した時期を経験した人なら「分かる分かる」「大変だったなあ」と思い出される描写もたくさんありました。

夫は少しも北京に馴染んでない。会社と家との往復で、仕事は難なくこなしているけど、それ以外はほとんどほとんど家に閉じこもり気味だった。夫が巨大な都市北京のめぼしい場所にまだ行ってないと知り、少しからかうと、「君が来るほんの少し前までは、コロナ感染対策が厳戒態勢で、とてもじゃないが街をうろつける雰囲気じゃなかったんだ。マンションからほとんど出ないで過ごして、仕事や会議もオンラインでこなして、毎朝氷点下十度以下の極寒のなか、ときには一時間以上も毎日場所が変わる野外のPCR検査所の長蛇の列に並んだんだ。遊ぶ余裕なんかこれっぽっちも無かったよ」とすごい剣幕で反論が返ってきた。よっぽど苦労したらしい。

パッキパキ北京/綿矢りさ

わはは、そうそう。中国の「ゼロコロナ」政策、特に末期の頃は店がどこも閉まってしまい、開いている店も24時間以内のPCR検査の陰性証明を要求されるなど本当に大変でした。

推して知るべし
今日、会社のオフィス近くにびっくりするぐらいの行列ができていた。時間は午後4時過ぎだったかな、みんなPCR検査を受けるために並んでいる人たち。ここ朝陽区は北京で最も感染が確認されていて(と言っても100人余り)区内のあらゆる場所が24時間以内の陰性証明を要求するようになってきている。一方で大量のPCR検査場を閉鎖しているという話も。そりゃあ……こうなるよねえ。私の会社のオフィス近くにも検査場がひとつある。誰でも入れるエリアではないので、そこは混んでいないようだ。しかしそうでない人はこの列を毎日並ばないとい...

しかし、ほどなくして「ゼロコロナ」政策は急転直下、光芒一閃の政策変更をするんですよね。PCR検査はなし崩し的に求められなくなり、入国後の隔離もなくなりました。中国に来たのが「ゼロコロナ」政策の前か後かで抱く印象は本当に違うと思います。

中国に住んでいて、かつ「ゼロコロナ」政策を経験した身としては面白く読みました。ただ、ストーリーとしてはどうでしょう。最後も何だかあっさり終わってしまって「え、もう終わり?」と思ってしまい、中国(特に北京)に住んでいないとか、あるいは中国について前提知識が少ない方は楽しめるのかなあと感じました。あるいは、この作品は綿矢りささん自身が北京滞在時に見聞きした経験が詰め込まれているということですから、もしかすると純粋に「エッセイ」を読んでいるつもりで楽しめば良いのかも知れません。

References
*1夫の海外転勤に帯同する女性のこと。
*2中国政府の「ゼロコロナ」政策においては中国入国後にホテルで一定期間の「隔離」が求められました。私のときは10日間、ホテルの自室から一歩も出られない日々を過ごしました。
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