日本のマクドナルドで「平成バーガー」なる商品が発売されたそうです。
それぞれ「たまごダブル」、「焙煎ごまえびフィレオ」、「ジューシーチキンブラックペッパー」の3種類です。いつ頃の商品か、私はよく覚えておらず「確かに言われてみればあったような」くらいの記憶しかないですけど。
商品そのものより、私が気になったのは「平成バーガー」のテレビCMです。浜崎あゆみの「Boys&Girls」の音楽を起用し、平成っぽい格好をした池田エライザさんがガラケーを持って登場するなど、あの頃の「平成っぽい雰囲気」を再現しています。
私はCMを見て「令和も5年経って、平成が懐かしさを感じる時代になったかあ」なんて、素直にかつ感慨深く受け取っていましたが、巷ではCMに「違和感がある」とか「モヤモヤする」なんて否定的な声があるそうです。
マクドナルド「平成風CM」にモヤモヤを感じる背景
日本マクドナルドは5月31日から「たまごダブル」、「焙煎ごま えびフィレオ」、「ジューシーチキン ブラックペッパー」を期間限定で復活販売している。今回販売される3種の“平成バーガー”はいずれも1998年、2006…
こちらの東洋経済の記事では「平成ガールズカルチャー」を紹介しているというライターの方が、何がどう「モヤモヤした」のか説明していらっしゃいます。
平成時代のカルチャーを専門とする筆者も、今回の“平成バーガー”の新CMを見たときに、違和感を覚えた。
池田エライザのキュートさでカバーできているものの、平成のそれぞれの年でのはやりを1つにごちゃっと混ぜ、むりやり詰め込んだような印象を受けたのだ。
例えば、キャッチフレーズにもある『超ベリーグッド』を省略した“チョベリグ”という言葉は1996年にはやったが、2000年代初めに携帯電話『ツーカー』のCMに出演していた浜崎あゆみのときにはすでに死語になっている。
また、前回の“アジアのジューシー”のPUFFYへのオマージュが雑な印象ならば、今回は「過剰な平成推し」にも感じる。
ざっくり言えば「雑な平成像」になっちゃっていますよ、ということですね。確かに平成だって31年あったわけですから、同じ「平成」でも細かく見れば初期と末期で雰囲気は全く違います。中にはこのCMを「架空の平成」なんて言うコメントもあるようです。
これと似た話ですが、最近平成についてこんな風に書いたブログ記事を読みました。
いや、「平成レトロ」とか言われているの見てそう思ったのよ
なんかファンシーでカラフルなだけなのよ
実際の平成はぜんぜん違ったよなぁ
阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件、神戸連続児童殺傷事件って暗い話題ばっかだった
ワイドショーではいつも援助交際、心の闇、エアマックス狩りの話題
流行ってたコンテンツもエヴァとかリングとかサイコサスペンスものとか、暗いものばっかり
大学で一番人気の学部は心理学部でみんな内向きだった
小室サウンドとかモーニング娘とか、ああいうのは全部空元気だったんだよな
そこらへんの文脈がごっそり抜けて明るくカラフルな時代だったと振り返られてもね
あの頃の空はいつも灰色で薄暗かった気がするよ
この感じ、リアルタイムで生きてたやつらにはわかるよな?
この中に書いてある「平成レトロ」というのは平成時代に流行った、今や懐かしさを感じるものたちを指しています。例えば「スケルトン」のグッズや「ファンシー絵みやげ」といった……と言っても分かりづらいですよね?実際に見た方が分かりやすいと思います。
例えば「スケルトン」というのはこういうやつです。機械の基盤が透けて見える構造を「スケルトン」と言い、平成中期~後期にかけて家電なら何でも「スケルトン」になるほどのブームになりました。私なんかは特にゲーム機やコントローラーで「スケルトン」の商品をたくさん持っていました。
また「ファンシー絵みやげ」というのは、その名の通りファンシーな絵が描かれた土産物のことです。今も日本各地の土産物店で「たま~に」見ることがありますね。
こちらのページの1枚目に紹介されているキツネの絵が描かれたブロック式のカレンダー、私も持っていました。どこで買ってもらったかも覚えていませんが。
なぜかキツネが多いんですよね。あとは男の子や女の子のキャラクターとか……で「MORI NO NAKAMA」(森の仲間)みたいにローマ字で日本語表記しています。各地の土産物店に多く、私も鍵の形をしたキーホルダーや液晶温度計?のついた板状のキーホルダーを持っていましたねえ。
そうそう、こんなのです。私が持っていたのは写真中央のような温度計でした。確か、広島城のキーホルダーだったように記憶しています(^^)。
閑話休題。
つまり「平成レトロ」とはこういったものを指しています。で、こうしたグッズが「エモい」と評判になっていて、当時を過ごした人たちだけでなく、若者の間でもリバイバルしているそうです。
そこで先ほどのブログ記事に戻るわけですが「リアルタイムで生きてた」方々は、実際の平成はこんな「ファンシーでカラフル」なものではなかったとおっしゃっているわけです。むしろ平成の空は「いつも灰色で薄暗かった気がする」と。マックのCMといい、このブログ記事といい、どちらも「自分が知っている平成と違う」ということを言っています。
平成は時代の区切りに過ぎません。平成を過ごした人ひとりひとりに「自分の平成」があるわけで、それが違うのは当然でしょう。確かに平成は先ほどのブログ記事にも書かれていた通り「阪神淡路大震災」「地下鉄サリン事件」、大変なことが相次いだ時代でした。バブルがはじけて「平成不況」と言われながら暗い時期を過ごした方々が多いのもよく分かります。
方や、私には私の「平成」があります。平成元年生まれの私は、平成に幼少期を過ごし、平成に成人になり、平成に就職しました。確かに暗い事件・事故の多い時代だったかもしれませんが、私にとっての平成は「たくさんの平成に生まれたアニメを見て、友人たちとスーパーファミコンで遊び、親のWindows95を触らせてもらい、どんな将来が待っているだろうとワクワク過ごしていた」時代です。それなりに楽しかったし、明るかったし、未来に夢を見ていたように思います。
ひとりひとりに「自分の平成」があるわけですから、暗い時代だったという意見を否定するつもりはありません。けれど「実際の平成はぜんぜん違った」とか簡単に括ってほしくないな~と思っちゃうわけです。私だって「リアルタイムで生きてたやつ」ですから。
今、昭和レトロとか平成レトロといって、少し前に流行ったものが再評価される動きが相次いでいます。そりゃあマックのCMといい、平成レトロといい、重箱の隅をつつけば「何か違う」というところはいくらでも出てきます。けれど、それを楽しんでいる若い人たちを否定するなんて大きなお世話でしょう。それぞれがそれぞれの平成を楽しめばいいのです。