The time is gone, the song is over, thought I'd something more to say.

月: 2023年2月 (4ページ目 (5ページ中))

仕事終わりの外食

今日は土曜日だけど出勤し、仕事終わりに無性に外で飲みたくなって妻を呼び出して、前にも訪問したお好み焼きの食べられる「百合亭」に行った。私は職場から直接向かったので妻とは現地集合。果たして1人で来られるだろうか?と少々心配したが、スムーズに来られたよう。

土曜日なこともあって店内は客で賑わっていたが、座れないほどではなかった。店内のテレビモニターで「世界ふしぎ発見!」を放送していて「ああ、土曜日の夜って感じだなあ」としみじみ。思わず「土曜日の夜はパラダイス」*1を歌いたくなる。

ボリューミーで具材がたっぷり詰まったお好み焼きを相変わらずおいしかった。

ここはお好み焼き以外にも居酒屋メニューが充実していて、いろいろと楽しんだ。こうして外食すると「自分が普段作れないようなものを注文しよう」と思うが、結局「食べたいもの」を頼んでしまう。ゴーヤチャンプルーなんて私の定番料理だが、それでも店で食べるのはおいしかった。

References
*11982年にリリースされたEPOの4枚目のシングル。古い?

最後のお別れ

いろいろな事情があって、ふと私の弟2人が実家のある岡山に帰っている。今日は祖父母宅に集まってワイワイしたらしく、私も帰宅してからオンラインで参加した。

正直、このタイミングで家族が集まる機会ができたことに心底ホッとしていた。気になっていたのが今週月曜日に亡くなった親戚のおばさんのこと。祖父の姉にあたる人で、亡くなってから祖父がかなり落ち込んでいると聞いていた。そりゃあそうだろう、私だって自分の兄弟が「もしそうなったら」耐えられないだろうなあ。だから孫が帰ってきて賑やかになれば、落ち込む祖父にとって少しでも励みになると思ったのだ。

ビデオ通話で弟と会話をしていると「明日、大阪に行く」と言う。どうやら明日(土曜日)大阪でおばさんの葬式があり、急遽弟が祖父母を連れて行ってあげる話になったようだ。

祖父は散歩が日課で、数キロくらいなら平気で歩くほど元気。判断力もしっかりしている。ただ、ここ数年で耳の聞こえが悪くなった。大阪くらいなら体力的に全く問題ないが、ただ「耳の聞こえ」を心配し1人で(乃至、祖母と2人で)行くことは半ば諦めていたのだろう。本当は行きたくて行きたくてしようがないのに。それを見かねた弟が、自分が大阪まで連れて行くことを申し出たようだ。

ビデオ通話をする弟の脇から祖母が「おじいちゃん、もう、それはそれは喜んでいるよ」と割って入る。しかし映像に祖父の姿が見えない。どうしたのかと聞くと、さっそく自室で大阪行きの準備をしているのだと言う。そうだね、喪服に数珠に、香典だって用意しなくちゃいけない。

弟たちと話していると祖父が部屋に入ってくるのが見えたので、私からも「気をつけて行ってきて。大阪のおばさんも最後のお別れができること、きっと喜んでいるよ」と伝えた。すると祖父が我慢できず泣き出したので、思わず驚いてしまった。祖父が泣いた顔なんて見たことがなかったからだ。曰く、姉が亡くなってここ4日ほど気が塞いでいたらしい。葬式に参列できることが本当にうれしそうで、私も画面越しに泣けてきてしまった。

人が亡くなっているのに「良かった」というのは憚られるけど、弟たちの帰省の時期がちょうど重なって本当に良かった。そして弟の提案にも感謝。急遽、大阪行きが決まった祖父母と弟に私からも少しカンパした。強行軍かもしれないけど、心おきなくお別れをしてきてほしい。

コスパのいい蘭州牛肉麺

今日も今日とて昼食を食べに会社近くの蘭州牛肉麺屋に行った。

ここの蘭州牛肉麺は15元(約300円)だが、1つ上の上質版だという“优质拉面”でも20元(約400円)。目玉焼きが載っているのと牛肉が気持ち多い以外は何が上質なのかよく分からないが、たった5元で贅沢な気持ちになれるなら……と思って、いつもこちらを注文している。

そして麺の奥に見えるのが“凉菜”。“凉菜”は辞書で引くと「前菜」と説明していることが多いけど、うーん、前菜じゃないんだよなあ。むしろサラダとか漬物といった呼び方の方が合っているかもしれない。ここの“凉菜”は皿からこぼれんばかりに盛られ大変ボリューミー。上に見えるのは“凉拌土豆丝”だけど、その下には“凉拌黄瓜木耳”も入っている。これでたったの5元(約100円)。

大変コスパがいいので、毎日満員御礼だ。今や中国もモノによっては日本と変わらない物価になっているし、こんなに安くてお店の皆さんは食べていけるのだろうかと心配になってしまう。いや、余計なお世話だね。いつもおいしいごはんをありがとうございます。

さらぬ別れのありといへば

母親から親戚が亡くなったと連絡を受けた。

その親戚は祖父の姉にあたる方で、大阪に住んでいたので「大阪のおばさん」と記憶していた。私も小さい頃に家におじゃましたことがあるし、最近だと4年半前に祖父母を連れて行ってあげたのを覚えている。たった4年半前だが、そのときはかくしゃくとして元気だった。いつもプールに行って運動をし、笑顔で「年の割には元気」と話していたのになあ。去年から体調を悪くして入院していたそう。加えて旦那さんと揃って認知症だったとか。

思えば、認知症とは残酷だ。祖父にしてみれば、目の前にいるのは紛れもない自分の姉なのに、自分のことを分からなくなっているのだ。高齢になって周りの人が亡くなっていく中、祖父にとっておばさんはたくさんの思い出を共有する大切な存在だっただろう。なのに記憶をなくせば赤の他人も同然になってしまう。私だったら寂しくて、とても耐えられないかもしれない。

そんなおばさんが今日亡くなったとのこと。コロナ禍だったという事情はあるものの、もっと祖父母を大阪に会いに連れて行ってあげればよかったなあと悔やむ。而立の年を過ぎて、こうした別れを経験する機会が増えた気がする。中国にいて難しいのは百も承知だが、幸い今も元気な祖父母を始め、お世話になった人たちとは少なくとも自分が後悔しないような付き合い方をしていたい。

流浪气球

ここ数日、ニュースを賑わせているアメリカによる中国の気球撃墜。今日、共産党系メディアとして知られる『環球時報』を見ると、おもしろい見出しだった。

中方抗议美击落“流浪气球”(中国はアメリカによる「さまよえる気球」撃墜に抗議した)

環球時報(2月6日付)より

おもしろいのは気球を“流浪气球”(さまよえる気球)と表現している点。

これを見てピンときた方は中国のエンターテインメントに通じている方だろう。中国で2019年に大ヒットした映画のタイトル《流浪地球》(邦題『流転の地球』)をもじったんだなあ。

流浪”というのは日本語の「流浪」と同じで「さまよう」という意味がある。だから日本語タイトルも『流転の地球』より『流浪の地球』や『さまよえる地球』のほうがよかった(分かりやすかった)んじゃないかと個人的には思っている。

この《流浪地球》、私も見た。ちょうど2019年に北京に出張する機会があり、仕事が終わってから映画館に見に行ったのだ。中国のSF特撮技術がハリウッドに追いついた!だったか、ずいぶん大げさな宣伝だったのを覚えている。とはいえカメラワークが理由か、何だかゲーム画面を見ているようだった。あとこれは「中国あるある」だが、内容がてんこ盛りで展開が早すぎて着いていけない。親子の愛みたいな「お涙頂戴」のシーンも全然共感できないし、プロパガンダなのか、ところどころで「中国!」を主張しすぎて一気に冷めてしまう。

とまあつらつらとコメントしたが、要するに私個人はそこまでの出来に感じなかった。そんな数年前の映画タイトルをなぜ今更もじるかというと、ちょうど今《流浪地球2》が公開中なのだ。ちょうど春節の連休前に公開され、私の周りでも「見た」という中国人が結構いる。

正直あんまり期待していないが、まあせっかく中国にいるんだし見に行ってもいいかも。

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