The time is gone, the song is over, thought I'd something more to say.

月: 2023年3月 (5ページ目 (6ページ中))

2011年3月11日

東日本大震災と、東京電力福島第一原子力発電所の事故の発生から今日で12年。干支でいえば、丸々1周した計算になる。

12年前のあの日に何が起きたかはメディアが朝からずっと取り上げてくれているので、私は自分自身がどう過ごしていたかを振り返ってみたいと思う。

2011年3月11日、私は今と同じように中国・北京にいた。確か、金曜日だった。授業が午前中で終わる日で、地震発生の瞬間、私は留学生宿舎で過ごしていた。当時、私は毎週土曜日に日本語学校で日本語を教えるお手伝いをしていたため、確かその教材を作っていたのを覚えている。

教材作りをする手を止め、ツイッターを眺めているとNHKの公式アカウントが「緊急地震速報です」とつぶやいた*1。それが午後2時46分、北京時間午後1時46分だった。揺れが大きいことはすぐに分かった。フォロワーたちのツイートが続いたからだ。「やばい」「大きい」……けれど、私の記憶では、あのころ日本では地震が相次いでいたこともあり、大したことだとは思わなかった。そして私は昼食後だったこともあり、ウトウトして昼寝してしまった。

大変なことだと気付いたのは目を覚ましてから。ツイッターのタイムラインが大騒ぎしていたのだ。ふと「もしや」と思い、部屋のテレビを付けてみた。すると中国国営の中国中央テレビがNHKの放送波をそのまま流していた。それが、まさに津波が田畑をのみ込んでいくヘリコプターから撮影された映像だった。

中国中央テレビの放送画面(2011年3月11日撮影)

私は恐ろしくなってルームメートのカナダ人を呼んだ。彼はテレビを見ると、絶句して「ツナミ?」とだけ発したのを覚えている。そう、英語でも津波は「ツナミ」なのだ。

東京にいる弟や友人の安否はツイッターで知ることができた。そして西日本在住とはいえ、両親のことが心配になって電話をした。電話に出た母親が「日本は大変なことになっているよ」と話したのが印象に残っている。

もう1人、連絡した人がいる。ランゲージパートナーだった中国人の学生だ。留学していた大学の日本語学科に通う女子学生で、日本語と中国語を教え合う仲だった。ちょうど地震の1週間前に日本留学をスタートさせたばかりだった。日本に行く前、彼女は「地震が起きたら怖いなあ」と話していたが、まさか到着早々こんな事態に巻き込まれるとは。メールをすると「私は大丈夫よ、ありがとう」とすぐに返事が来た。彼女の留学先は東京だったが、大阪にいる友人を訪ねて避難するらしかった。理由は福島第一原子力発電所の事故の影響を恐れて、だ。

もうひとつよく覚えているのは、有志の日本人留学生で募金活動をしたことだ。日本だと募金箱に数十円を入れて……程度かも知れないが、意外と100元札*2をポイッと入れてくれる人もいて、ありがたいなあと思った。

有志の日本人留学生で行った募金活動(2011年3月24日撮影)

実は原発事故をめぐっては中国でもひと騒動あった。塩の買い占め騒動が起きたのだ。確かヨウ素入りの塩は放射性物質の沈着を防ぐ効果があるとか、そんなウワサが出回り、スーパーからは塩が消え、在庫のある店舗には客が殺到する騒ぎになった。

しかし、そんな騒動も当時を日本で過ごした人たちの苦労を思えば何てことない。ツイッターを見ているだけでも、その苦労は伝わってきた。例えば計画停電。証明が間引きされたり、夜でも電気が付かなかったり。私は北京にいたので何一つ困ることはなかった。当時の日本の合言葉は「がんばろう日本、がんばろう東北」。このフレーズを聞く度に、私は母国が大変なことになっているのに、その苦労を分かち合えていないような、後ろめたい思いになった。

いざ、思い出してみると、12年間開けられることのなかった引き出しの記憶がたくさんよみがえってくる。私は私で外の世界から日本をどう見つめたか、せめてその思いを忘れないようにしよう。そして今日の午後2時46分には私も黙祷をしようと思う。

References
*1当時はもうツイッターがあって、東日本大震災の発生時には安否確認や情報伝達で大きな役割を果たした。
*2当時のレートだと1600円くらいだった気がする。

黄砂襲来

今日は午後から出社。インフルエンザからの復帰後、初の外出だ。

会社に出てから同僚たちにお礼と謝罪を。だって私が休んでいた間の「仕事のしわ寄せ」が行ったんだもの。私がインフルエンザだと診断される前日に「きっとインフルエンザだ」と見事予言していたドライバーさんにも「あなたの言っていたことが正しかったよ」と伝えると、ケラケラ笑っていた。それよりあなたは大丈夫だった?と聞くと、自分の胸をドシンと叩いて見せてくれた。50過ぎだというのにたくましいなあ。見習わねば。

しかし今日は窓の外を見ると、病み上がりの身が「再度悪化」するんじゃないかと言わんばかりの天気。これぞ北京の風物詩、黄砂だ。まだ手前が見えるからましなほうだろう。私が留学していた頃には、家に帰って髪を洗うと茶色の水が流れたこともあったなあ。

この時期は窓を開けていると気持ちが良いけど、これじゃあとても開けていられない。家の中が砂だらけになること請け合いだ。何事も一筋縄には行かないね。

酒を飲まずに4日目

インフルエンザへの罹患が判明した日から4日目。1滴も酒を飲んでいない。

今回、服用している薬の中にはタミフルも含まれている。病院で処方される際、医師から「タミフルの服用後、10代の若い人を中心にまれに異常行動を起こすことが確認されています。それを踏まえた上で処方を希望するかはあなたの判断です。どうしますか」なんて聞かれ方をした。まあ、私はもう10代ではないし……ということで迷わず処方してもらったけど、ああいう聞かれた方をすると、ちょっと身構えてしまう。

タミフルでなくても薬を服用している期間中に飲酒はよくないし、そもそも罹患して1日目、2日目はしんどくて「酒を飲みたい気分」にもならなかった。それが回復してくると、やはり酒が恋しくなる。晩酌が大好きな私にとって、酒がない夕食というのは何かこう、福神漬けのないカレーというか、ネギのない蕎麦というか……どこか寂しい気がしてしまう。

もうひとつ、意外な発見があった。酒を飲まない夜は「短い」のだ。以前は酒を飲まない夜は長いと思っていた。酔わないと時間を有効に使うことが出来るからだ。けれど今回は食事後に眠くなってしまう。おそらく服用している薬の1つが「眠くなる」副作用があるからかもしれない。しかし食事後に歯を磨いていると、もうこのまま眠ってしまいたいほどウトウトしてくるのだ。これなら酒を飲んで妻とゲラゲラ笑っていたときのほうが夜が長かったように思う。とにかく「味気ない夜」だ。

とりあえず、処方された薬は明日が最後。仕事も午後からは出勤する予定なので、生活もやっと元通りだ。仕事から帰って「プシュッ」のビールを早く飲みたいなあ。

おとなしく過ごす

インフルエンザに罹患したため、出勤も停止となり自宅で療養。

朝起きるとやはり少々しんどい。午前中は薬を飲んでゆっくり過ごしていると、昼頃には楽になってきた。午後は在宅で少々仕事をこなす。

健康のありがたみは病を患って初めて気付くのだと、改めて感じる。“身在福中不知福*1

References
*1自分が幸せな状況にいると、その幸せに気付かないものである。

インフルエンザになりました

起床すると体調が頗る悪い。昨日以上に悪化しているようで、体温を測ると38.4度。さらに鏡に映る自分の顔を見て驚いた。左目に「めぼいと」*1ができていたのだ。そんなにひどくはないが、こんなの小学生以来じゃないか。

実は妻が昨夜、朝から病院に行ったほうがいいと繰り返し言ってはいたんだけど、会社を休まないといけなくなるので私自身は消極的だった。ただ、そんなことも言っていられない「しんどさ」になってきたので、午前休をもらって病院に行くことにした。まさか数週間前に来たばかりの病院を再訪することになるとは。

いざ到着して体温を測ると39度に悪化していた。医師に症状を説明すると、例の如く鼻、耳、口を検査し、聴診器で腹と背の音を確認とテキパキ診察が進む。相変わらず手際良い。最後にインフルエンザの検査で、例の15センチほどの綿棒を右と左の鼻に両方突っ込んで終了。私が「インフルエンザの可能性が高いですか」と聞くと、医師は「……まあ、高いでしょうな」との回答。検査結果が出るまで20分待ち、結果は果たしてインフルエンザA型の陽性だった。

診察室から受付に戻ってくると、前回来院した際も対応してくれた看護師さんがいて「あれ?前回奥さんがインフルエンザで来院された際に、旦那さんにも予防用にタミフルを処方しませんでしたっけ?」と言う。「そうですよ、それを全部服用した上で、今回の罹患ですよ」と答え、2人でケラケラ笑う。いやあ、笑い事じゃないんだけど(^^;)。

帰宅後、すぐ会社にも連絡。案の定、数日間は出勤停止となってしまった。こんな重要なときに……去年の新型コロナウイルス感染といい、なんでこうもタイミングの悪い男なのだろうか。我ながら情けなくなる。とりあえず安静にして、早く職場復帰できるよう努めたいと思います……はい。

References
*1「めぼいと」と当たり前に使っていたが、辞書を引いても出て来なかったので「?」と思ったら方言らしい。「ものもらい」のことを指す岡山弁。
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