The time is gone, the song is over, thought I'd something more to say.

月: 2022年11月 (3ページ目 (6ページ中))

人がいなくなった街

午後、自宅前のPCR検査場に行く。多くの人が並んでいるかと思ったらガラガラだった。というよりも、街全体に人がいないといった感じ。

北京では感染が広がりつつあり、週末は“宅一宅”(家にいる)するように呼びかけられている。それもあってだろうか、地下鉄の駅はガラガラだ。

北京の原宿と呼ばれる(私は全然違うと思うが)西単に来ても、この通り。留学時代は大学からバス1本で来られるとあってよく来た場所だ。週末には人を避けて歩かなければならないくらいなのに、この人出は確かに少ない。

北京では新型コロナウイルスの感染者で死者が出たとのこと。高齢者で基礎疾患があったということだが、中国で半年ぶりの死者確認にメディアは感染拡大への警戒感を伝えている。今がピークなのか、序の口なのか。考え出すと暗い気持ちになってしまうなあ。

段ボールの変わり果てた姿

先週、日本にいる妻にEMSを送ってもらった。出国する際に手荷物として持って行くと重くなるので、いくつかの荷物を別送するようにしていたのだ。

EMSだと本来数日で届くはずなんだけど、えらく時間がかかった。追跡サービスで荷物の所在はずっと確認していたが、中国の税関での手続きに時間がかかっているようだった。新型コロナウイルスの感染対策か何かで厳しいのかなあと思っていたら、妻から「マヨネーズじゃない?」と言われた。インターネットで調べてみると、マヨネーズは卵を使っているので禁制品だとするページがいくつか出てくる。これが理由かなあ??

もし禁制品だとしたらどうなるんだろう。日本に送り返されるのだろうか。それとも没収?送り返されたら、また時間がかかるし嫌だなあと思っていたところ、数日前に中国税関からSMSが来た。

おぬし宛てのEMSは税関で預かった。渡してほしくば関税を払え、とのこと。そうか……没収か……と思ったら、マヨネーズのことは書いていない。

とりあえず関税はオンラインで支払い。170元(約3350円)、うーむ、結構高い。一体何に関税がかかったのだろう。こういうEMSは税関での検査用に内容品を詳しく記載する必要があるが、実は書かなかったものもあるのだ*1。ということは、やはり箱を開封したのだろうか。とりあえず、これで届けてはくれるらしい。

そして、EMSは今日ようやく届いた。

ガムテープは私が日本で貼ったままだ。開封もされていないようで、マヨネーズもきちんと入っていた。うーむ、だとすれば、いよいよ何に時間がかかっていたのだろう。

それよりなにより、この段ボールのよれ具合。私が知っている姿と様変わりしてしまっている(笑)。出国直前の大雨の降る日に東急ハンズ渋谷店で購入したものだ。こんなボコボコになって、私と再会を果たすまでどんな旅をしてきたのか……

こう見ると、日本の配送業の方々は本当に仕事が丁寧なんだなあ。改めて感謝です。

References
*1とはいえ、書かなかったのはエバラのキムチ鍋の素や洗濯ネットなど大したものじゃないんだけど(笑)。

胡同で老百姓との交流

今日は仕事で胡同(フートン)に行った。

胡同というのは北京のあちこちにある細い路地のこと。日本語で言うなら「横町」とかになるのかな?ただの路地ではなく、古い町並みを留めているのが胡同の特徴。

その胡同を観光地化しているのが有名な「南鑼鼓巷」だけど、その北にある「北鑼鼓巷」に住んでいる方に用事があり、ちょいと訪問。

初めて行ったんだけど、こんな胡同がまだたくさん残っているんだとちょっと感動してしまった。いや、観光地化された胡同はたくさんあるけど、ここは本当に“老百姓*1の生活の場所なんだもの。また夜というのが良い。

この“寿衣”というのは、漢字だけ見ると「めでたいもの」のようだけど、実は死に装束のこと。葬式のときなどに着せるもので、中国の街なかでぽつぽつ見かける。

胡同のところどころにあった“掩蔽场所”という看板。日本語的に言うなら避難場所といったところか。英語ではシェルターとなっている。

一緒にいた中国人スタッフにどういう用途なのか聞くと、地震なんかが発生したときに逃げるのかな?と話していた。いやあ、でも北京で地震なんてそうそうないだろう。防空壕みたいなものかな。

写真左に移っているのは公衆トイレ。昔ながらの胡同にはトイレが備わっていない家も多く、至る所に公衆トイレがある。

北京に赴任してから1か月が経つというのに(仕事が忙しかったという事情はあるものの)こういう場所を訪れていなかったので、中国風情を前に「ああ、自分の好きな中国ってのはこれだよ!」という、えも言われぬ気分になった。私の会社がある場所は大使館がたくさんあって、外国人もたくさん住んでいるエリアなので「中国らしく」ないのだ。ここには留学時代を過ごした「あの頃」の北京と同じ空気が流れている気がする。

私の仕事は基本的にえらーい中国人の難しい中国語を聞く機会のほうが多い。一方、今日お会いしたのは胡同に住む20代の青年、全くの“老百姓”だ。日中関係とか難しいことは関係なく同じ人間として話している感じがして、いや、当たり前なんだけど感動してしまった。

自分はこういう中国が好きだったし、こういうことがしたくて今の仕事に就いたんだと思い出させてくれる一日だった。

References
*1老百姓”は漢字だけ見ると農業に携わるお年寄りを想像しちゃいそうだけど、中国語で「一般の人々」という意味。

昼食を食べながら考えたこと

ふと昼食を食べようといつもの蘭州牛肉麺の店に向かうと休業していた。平日なのにどうしたんだろう。いつもすごく賑わっていたから閉店したということはあるまい。不思議に思いながら別の飲食店に向かうと、そこも閉まっていた。

私が通う北京オフィスがある朝陽区は、北京で新型コロナウイルスの感染者が最も多く確認されている地区。ショッピングモールや公共施設が閉鎖を始めていると聞いていたけど、もしかしたらこれらの店舗も休業を命じられたのだろうか。

一応……と思い、さらに別の飲食店に行ってみると、そこは営業していた。

いただいたのは“土豆牛肉盖饭”(牛肉とじゃがいもの丼)。

ほかの店舗が開いていないからだろうか、店内は満席ですごい賑わいようだった。私のテーブルも途中から見知らぬ男性と相席に。こういうときに何の断りもないところが中国らしい。まあ、郷に入っては郷に従え、だ。店員さんも忙しそうに引っ切りなしに動いている。

ちなみに、中国ではセルフサービスの店でも食べ終えた食器はそのまま放置して帰る。日本だとマクドナルドやスターバックスでは飲み終えたカップを自分でゴミ箱に捨てるし、はなまるうどんや富士そばなら空の食器は返却口まで持って行くのが普通だ。

私が11年に留学していた頃から変わらないのだが、日本人の私はやはり抵抗がある。立つ鳥跡を濁さずではないが、自分の食い散らかした後をそのままにしていくようだからだ。それにスターバックスのようなカフェだと、いざ入店して席を探してもカップがテーブルに置かれていると、人が帰ったあとなのか席を外しているだけなのか分からない。そんなこともあって私は自分が飲食をしたあとは中国でも食器やゴミをきちんと片付けて帰るようにしている。

ただ、最近違う考えを持つようになった。

中国は中国で、きちんと食器やゴミを片付けてくれる店員がいるのだ。店内の掃除を担うとともに客のいなくなったテーブルを手際よく片付けてくれる。見たところ高齢者が多いかなあ。考えようによっては、客が放置して帰ってくれることで彼らの雇用が創出されているという見方もできる。

中国にはそういう仕事が多い。例えば街の至る所にゴミ箱が設置されていて、私は当初「回収業務はどうするのか」と思っていた。しかしきちんといるのだ、ゴミの回収だけを担う人が。おそらく地方出身者だろう、真っ黒に日焼けした人たちが竹ぼうきを片手にゴミを回収してまわっている。賃金は微々たるものだろうが、彼らはこのおかげで働けている。客がみんな真面目に食器を返却口に持って行き、街なかからゴミ箱をなくしてしまうと、彼らの仕事は無くなってしまうだろう。

しかし、そこは中国。何か仕事を作ると既得権益が生まれてしまう。

例えば中国では少なくとも72時間に1回はPCR検査を受けなければならない。検査を受ける人がいるなら、検査を「する人」も必要だ。防護服を着た検査員が検体を採取し、分析機関がそれを診断する。これが常態化した今、検査に携わる人たちの雇用を創出したと言える状況になっている。では今、PCR検査を廃止します!と決まったらどうなるだろう。彼らは明日から何をすればいいのか。

ほかにも中国では地下鉄に乗る際に必ず保安検査を行う。荷物をX線検査装置に通し、金属探知機で身体のチェックを行う。まるで航空機に乗るのかと突っ込みたくなる厳格さだ。

けれどやってみると分かるが、ずいぶん適当。X線検査の係員はスマートフォンをいじっているか、ひどいときは寝ていることもある。金属探知機にしたって同僚とぺちゃくちゃおしゃべりしながら私の体にちょこっとかざすのみ。個人の印象としては全然意味をなしていないし、あの検査のせいで夕方のラッシュ時なんて行列ができるんだから、正直やめてしまえばいいのにと思う。けれどやめてしまうと、彼らは明日から何をすればいいのか。

特に終わりの見えない中国の「ゼロコロナ」政策を見ていると、そういう場面が多い。「やめてしまうと、彼らは明日から何をすればいいのか」……答えが出ないまま、不条理な対策だけ続く。彼らの仕事がなくなることだけ心配するならまだいい。問題は、それで懐を肥やしている人間もいるからいかがなものかと思ってしまうのだ。

ふと昼食を食べながらそんなことを考えてしまった。店員さんたちは相変わらず忙しそうに働いている。彼らのように真面目に働いている人たちを思うと、何だかやるせない気持ちになってしまう。

出前なのに、出前じゃない

夜は出前にしようと思い、退勤する際にスマートフォンアプリで料理を注文した。こうすればちょうど家に着く頃に出前が届くのだ。

家の最寄り駅で地下鉄を降り、改札口を出たところでちょうど配達員から電話がかかってきた。

「出前が到着しましたよ」
「マンションの入り口に出前用のロッカーがあるので、そこに入れておいてください」
「ロッカーですね、分かりました」

私のマンションの入り口には出前用のロッカーがあり、そこに入れてもらえば直接やり取りせずに済むのだ。今は新型コロナウイルスの感染対策で配達員もマンションの中に入れないようになっているため、こうした方法がメインになっている。

しかし「もしや」と、足を止めた。どのロッカーに入れたか確認したところ……ああ、やっぱりだ。マンションの入り口ではない別のロッカーに入れている。

私のマンションは複合施設にあり、ほかにショッピングモールとオフィスビルがあるのだ。そしてオフィスビルの1階にも出前用のロッカーがあって、これが事を複雑にしている。以前何度かオフィスビルのほうのロッカーに入れられたことがあったので、今回もそうではないかと思ったのだ。

オフィスビルのロッカーまで来てアプリで解錠すると、果たして9番の扉が開いた。

今日は帰宅途中だったから良いが、部屋から取りに行くとなると結構面倒だ。と言うのもオフィスビルは少し離れたところにあるので、部屋からだと行き帰り10分ほどかかってしまう。マンションの入り口なら薄着でも取りに行けるのに。

もっと複雑なのが、マンションにも1号棟と2号棟があること。1号棟がメインの建物でフロントもこちらにあるのだが、私が住んでいるのは2号棟なのだ。出前用のロッカーがあるのは2号棟の入り口なので、電話で配達員に「2号棟の入り口にロッカーがある」と伝えても、向こうはおそらく1号棟にいるので「そんなものはない!」と怒り出す人さえいる。仮に彼らがやっとロッカーを見つけたとしても、それがオフィスビルのほうのロッカーだったりするから面倒なのだ。

とにかく私も出前のたびに場所の説明をしなければならないし、その苦労の甲斐なくして見当違いの場所に届くから困ってしまう。

何か方法がないものかと思い、マンションのフロントに相談しに行った。するとフロントのお姉さん、「うーん、それは避けられない問題ですねえ」と話す。うまい説明の仕方を自分で考えるしかないのかなあ。これから北京はどんどん寒い冬になるというのに、寒空の下オフィスビルまで出前を取りに行くんじゃ何のための「出前」なのか(^^;)。

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